2015年9月6日日曜日

両部不二、慧印、そして真如 -その2- 文献研究の視座から 

 空海が唐で恵果阿闍梨より受法し、日本に請来した両部密教で「両部の大経」とされている大日経と金剛頂経。この二つが全く別個に発達した事は前回述べた。同じ密教とはいえ、思想的脈絡にも乏しく
修行の方法にも大きく隔たりがあると指摘されている。以下に相違点
を簡単にまとめる。

          大日経(胎蔵)   金剛頂経(金剛界)

区分(チベット)  行タントラ      瑜伽タントラ

発達段階     大乗⇔密教    完全に密教化
           過渡的

修行の特徴    段階的(漸悟)   頓悟
           時間重視      無時間的

 
 更に、津田真一氏はこの両経の特徴を著書「反密教学」で、

          大日経(胎蔵)   金剛頂経(金剛界)

          利他行の宗教   瑜伽の宗教
          慈悲の宗教     即身成仏



とし、この両経を

『・・・「両立不可能にして、且つ、二者択一不可避」な関係にある
 ことです。第三の選択肢は無いし、両項をジンテーティッシュに総合
 する第三項もない。・・・』(「反密教学・密教理解の原位置」より)

事から、これを<Criticality>と表現、両部不二密教は成立しえ
ないとしている。

反密教学

果たして、両部不二密教は本当に成立しえないのだろうか…

                                続く