2011年9月26日月曜日

真如苑がカルトと呼ばれる訳(その5)

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1170265641


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1267557592


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1070984470


教徒と結婚したものの、離婚まで考えるに至ったケースについて


1、宗教に対する態度


 元々本人が、宗教に対して無関心か、あるいは否定的な態度である事。21世紀の現代の日本人としては、ごく有触れた宗教への態度と思う。 正木晃氏は著書「現代の修験道」で明治維新以降の近代化政策や、日本の仏教・宗教研究が「宗派」や「哲学」に偏り、「民衆救済」や「修行」の研究が進んでいない事、その為に有識者がオウム真理教を正しく評価できなかった事が世論の混乱を招いた事を指摘している。 研究を基盤として確立される「教育」、有識者の発言を一つの起点として始まる世評、(そして、私見を付け加えればインターネットも)私達現代人の意識は常に様々な要素によって、知らず知らずのうちに意外なほど大きな影響を受けており、宗教観も例外ではない。こういったネガティブな波によって現代人の宗教観は既に大きく傷ついている。


2、核家族意識


 宗教観のギャップ、配偶者の人間性、配偶者家族の宗教への強い働きかけ等、後から見るとリスクが事前に充分に予期されているにも関わらず、何故か結婚生活に踏み切っている。
 言うまでもないが人間は一人で生きている訳ではない。どんな人間にも必ずなんらかの社会的背景がある。しかし、ここに挙げた人々は自分の築こうとする幸せを配偶者と自分だけの関係の中に限定し、自分達の周囲の問題に敢えて目をつぶったようにも見える。


3、生活上の不満


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1469677069


 真如苑の事ばかりでなく、より濃密な人間関係を求めようとする、自分より年配の配偶者家族との付き合いに疲れているケース。こうなると真如苑だけが問題とばかりも言えないようである。例え真如教徒の家庭でなくとも若年層、現役層からみて、過干渉なケースはいくらでも起こりうる。アンチ真如苑達の言う所の
「無断入信(本人の承諾なしの登録)」もこの延長線上で起こっている。上記に指摘した、「傷ついた宗教観」と高い個人情報保護・法令順守の意識を持つ若年・現役層がこの有様を見れば、激烈な忌避・嫌悪の反応を引き起こすのは当然ではあるが、ここにあるのは急激に変化した日本の有り様に完全に対応しえない年配層の姿でもある。こあのあたりの核心についてはまた次回以降としよう。








現代の修験道

0 件のコメント:

コメントを投稿