2017年7月10日月曜日

犬日々(dogdays)雑感

 梅雨が明け七月に入り暑い日が続く。さる六日に行われた
沖縄灯籠流しをビデオ録画にて拝聴。この沖縄での取組みは
ハワイでのそれと違いまだ日も浅いが、それだけではなく
太平洋戦争の戦場となって以後もこの地に留まり続ける米軍
基地、更にはそれ以前、薩摩藩と中国に両属の歴史を持った
二重支配の因縁に彩られたこの土地には、まだまだ救いを
待つ諸霊の苦しみが色濃い様に思われる。

 久々に #シンゴジラ のタグがトレンドにのる。一時は
小出恵介の身辺事情によってノーカットはおろか中止まで
懸念されたWOWOWでの放送無事行われた為らしい。
 (ゴジラ・沖縄といえばメカゴジラを思い出す。ゴジラ
と共にメカゴジラと戦うキングシーサーには沖縄の復権
への願いも託されていたのだろうか)

 祖霊信仰の国日本にとって、夏は慰霊の季節であり、
更に戦後、第二次大戦の終戦がこれに重なってくる。
真如苑でも13日の迎え盆から15日の盂蘭盆会、来月
16日の河口湖水施餓鬼廻向法要まで、彼我戦争犠牲者
をも含めた廻向が継続される。思えば昨年のシン・ゴジラ
公開もこの期間の真っ只中、7月29日だった。そして
本年WOWOWのシンゴジラ放映も丁度ほぼこの期間中に
行われる。#シンゴジ実況 の熱狂に浮かれていた頃には
気が付かなかったが、今改めてシン・ゴジラとゴジラ論
を概観してみると、更にみ教えとのつながりを見つけて
唖然とさえしてしまった事があるので記しておきたい。

 ゴジラは何故東京(皇居?)を目指したのか?
 ゴジラは第二次大戦の戦死者の亡霊だ等とする説がある
実はこれ少々違うんじゃないかと思っている。正確に言う
なら
第二次大戦の将兵=英霊が、英霊足らんとする為に、捨て
ようとしても捨て切れなかった思念の凝結
なのではないかと思う。
 
「・・・・・・・・・・・・・・私はすでに
 身・口の悪行を調伏し、智慧の良田を得、
 煩悩を除いて、今はただ如来の甘露の法雨
 を希っているものです。…
(一如の道 大般涅槃経 序品第二)

 小林よしのり氏が言うように、第二次大戦の将兵達が
公の行いに徹した事は事実だと思う。それでも各々の心
の奥に何が渦巻いていたかは当の本人だって判らなかった
かもしれない。そんな無意識化における負の思念の集積が
ゴジラだとしたら、それこそ毎年毎年沢山の祈りをもって
廻向されて行かなきゃいけないんじゃないだろうか?。
 そんな荒ぶる負の思念の凝結を抑え込んだヤシオリ作戦
限界研の座談会で笠井潔氏は退魔の儀式等と評している
がこれが「ゴジラ調伏の法」として、防災予備施設があり
真如苑発祥の地である立川市で完成した事に機縁を感じる。
 更に、ラストシーンで凍結されたゴジラが東京駅から
皇居の方向を向いているとの指摘もあるが、仮に事実なら
その先にある真如苑・友心院もゴジラの視野に入っている
筈である。事実友心院宝前のみ仏は東を見て祀られている
ので、ゴジラは天皇と共に真如のみ仏をも礼拝し祈りの中
鎮まったと考えたい。
                   南無真如

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