2011年3月19日土曜日

発露懺悔

WikiPediaにおける「真如苑」の記述、ネットに書き込まれる
「教徒」と「普通の人」の、「反苑の会」サイトや
ツイッターにもある諸々の誹謗中傷…。

内に眼をむければ、導きの親と子のトラブルが
時には教団内の移籍につながったり、必ずしも全ての
教徒が良好な関係を保っているわけではない現実。

在位二十年を迎えた継主さまの道のりも例外ではなかったし、
(そういった出来事が聞えて来たり、稀に見る程度には
近い所に居た事もある。)
総親さまの道びらき(教団創立)の歴史を振り返れば
この教えが始まったと同時に、こういった苦悩も
生じている事は明らかである。

真如苑も、他との関係に悩み、傷つく、(時として傷つけて
しまう)「人の集団」である事に変わりは無い。

私もひとつ、明らかにしなければならない事がある。
以前私は、当時経親だった父の勧めで、当時付き合いの
あった人々を10名、自分の所属として本人の断り無く
教団に登録してしまった。み教えにおける私の修行を
進めようという、父の心に負け(情に引かされた面が
大きい。決して気乗りはしなかったが)結局元々取組む
意思に欠けていた事、「一般の人達」と「信じている自分」の
ギャップに当惑したまま、その人たちへの教えの取次ぎに
取組む事も出来ず別れたまま。自分でも大きく後悔する事
になり、後にネットに問題の書き込みを見て大きく驚く。
今でもこの件のツイートを見ると慙愧の念に苛まれる。

総親さま、両童子さま、継主さま、護法善神さま、
教団の関係各位の皆様、そして私の行動によって
誤解、迷惑など色々なものを蒙った方々、ここに
私が記した事によってもしかしたら過酷な目にあう
かも知れない全苑教徒の皆さま。
ここに深くお詫び申し上げます。

なおご本人に無断でしてしまった登録は、既に私の責任で
抹消させて頂いております。

本当に申し訳ございません。

合掌

1 件のコメント:

  1. こんばんは、Twitterでは汗射太助 と名乗っている者です。なるほど、二世信者サンでしたか。ならば、家内やその導き親(勧誘者)のような一世信者サンと違う感覚をお持ちだとは思います。しかも、親御さんが経親さんですか、成長されるまでに大変な葛藤をご経験されたでしょう。そして迷いつつ道を歩みながら確立した信仰心を持ちそれで、今回の「名も無い 末徒」さんとしてのアプローチなんですね。

    当方周囲にも二世信者もおりまして、確かに少々スタンスが違う自然体であられることは感じております。しかし このカテゴリーで書かれているように、親である一世世代から強い圧力で(肉親の情も圧力として子供に上手く使われるところがありますので)無断入信を過去にしてしまったことの懺悔ですね。、「無断入信」と検索をかければ 真如苑と出るように、無断入信は真如苑の代名詞となっております事実を はっきり把握していただきたいと思います。そしてかく言う私自身も無断入信させられている状態です。

    しかし多くの真如教徒は、口をそろえて「そんな行いは真如苑には無い、そのような誹謗は他宗の中傷だ!!」と言う中、よく告白されました。抹消と言うことは除籍と言うことですね。ここにも自ら信じる信仰をより良くしようという二世サンとしての意識を感じます。ただ、他から聞いた話では お救け実績は残るそうなので、もう僧階も霊位もある程度進んでいられるのですか?ならば、内部でもある程度の発言力はあるのでしょうね。

    あなた様がそう行動されたとしても、実際は日本中で行われている無断入信の横行、このことが 信仰は自由だと信者(信徒)にしゃべらせておいて、「信仰」と言う物を自ら冒涜する行為を平気でその信者に行わせる 真如苑という組織の問題が端的に見えると思います。

    創価二世や天理三世あたりの方と同じく、真如二世の 名も無い末徒様は 幼少期よりその独特の精神世界の環境で過ごされたため、もしかすると理解されないかも知れませんが、普通、無宗教と言われ自らそう思っている周囲の方々も、自ら意識していないだけで、日本国民としては共通する独自の宗教心を持っています。

    ニコライ・ベルジャーエフという哲学者が「人間は宗教的動物であり・・・」と言っていたそうですが、人は何らかを信じ心の拠所とする生物。日本には国民が根の所で共通して持つ独自の宗教観がしっかりとあるのです。お正月から始まる一年間が円環のように独自の宗教儀式で組み立てられ、国はそれを休日にさえしている。この重要さ感じませんか?

    しかし、真如苑の教義はそこに入った信者に対し、自らの徳を積むためと言う利己的な理由で、他者の心をないがしろにするような、勧誘(お救け)をさせ、その究極の姿がその無断入信行為だと思います。しかし、意に計らず、特に和合などと言いつつ相手に合わせ信頼させてた人に 事もあろうか心や無意識の信仰を踏みにじられたときの辛さ、驚き、悔しさ。それを指して 昔ある勧誘被害者が「精神のレイプ」と真如苑のお救けを表現していた事がありました。

    日本人は宗教的に寛容でおとなしい。ゆえにそのような 元からある無意識の信仰に対する心の蹂躙を受けたとしても、イスラム教徒やキリスト教徒の原理主義者のような殺し合いにまでは発展しません。しかし、その結果がネット上に見られる、名も無い末徒 様が 真如苑に対する誹謗讒謗と受け取られる言葉たちです。これは同じくネット上で見られる 創価学会や幸福の科学に対する罵詈雑言と全く同じ、真如苑がこれらと基本的に全く同じ構造と組織拡大方法をとっているための反応と思って下さい。

    あなたの緊い(きつい)言葉を あちらで指摘しちゃいましたが、私も恐らくあなたにとって緊いことを書いていると思います。しかし信頼した恋人、家族、友人、上司、色々な人から、お救け(勧誘)をうけ心に傷を負ってしまった人たちが教団の 教勢を上げるためとしか思えない 三つの歩み奨励により、増え続けていること 苑内である程度の立場のある方に心していただきたいのです。

    あ、そうそう、そちらの本文 末尾から10行上は「総親さま」ではなく、文意からして「双親さま」の方ではありませんか?大事なところのような気がして・・・コマカクテすみません。(笑)

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