2011年4月17日日曜日

大願(その三)

「まあ、成朝殿」
「康慶殿、これが落ち着いていられるか!。」


これでもう何度目になるだろう。


 「摂関家はあんまりじゃ。功徳を求める余り氏寺たる
興福寺を省みぬ。御修法といえばやれ真言じゃ天台じゃと、
挙句の果てに氏寺に属する我らではなく、京におる院派や
円派にばかり仕事を取られるのでは話にならぬ。山階道理
にでも乗らねば我ら奈良仏師に明日はないわ!。」


「山階道理」 当時の興福寺の権威を指してこう言い、それを
以って要求を通す行動の最たるものが、興福寺堂衆による
「強訴」だった。成朝はこれに関わる事によって当時評価の
低かった奈良仏師の地位向上を目論んでいたのだ。


 「成朝殿、我らは匠ぞ。政で認められても所詮一時の事、
仕事で認められてこそ匠の本懐ではないか?。」
「その仕事が来ないのでは腕も見せられんわ!。」


と言って、工房から走り出る成朝を目で追いつつ思わず
溜息をつく康慶。確かに成朝の言うとおり仕事が少ない。
しかし、興福寺が氏寺としての権威を摂関家に持つから
こそ「敬して遠避ける」事にもなると康慶は見ている。
 師匠の康朝から預かった仏所を、成朝にいつか渡さねば
ならない。しかし、匠としての修行に身の入らない成朝に、
奈良仏師の伝統を直ぐに渡す訳にも行かなかった。


「親父殿?」


様子を聞きつけた運慶が工房を覗き込んでいる。


「なんでもないわ」


実は、康慶は運慶を僧にしようとした事がある。興福寺内
に伝手を辿り預けたはよいのだが、運慶の方で投げ出して
仏所に帰ってきてしまった。なんでも「五性各別により悟れる
者とそうでない者がある」「修行に三大阿僧祇功の時を必要
とする」等の法相唯識の教えに我慢がならなかったらしい。


「自分の身の回りさえ意のままにならんな。」


独り自嘲する康慶だった。

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