2015年3月19日木曜日

真如-その視覚的表現(その3)

 さるH25/3/2、以前著書を紹介した事もある正木晃氏応現院
にてあの世と仏教 霊魂・葬儀・先祖供養」の題で講演をして
いるのを、常楽我浄にてご覧になった方もおられる事と思う。
(直近の再放送はこちら
 実はこの講演、教苑内で発表当初は曼荼羅がテーマだった
応現院食堂棟の告知掲示物が、突然修正されているのを見て、
とても奇異に感じた事を今もはっきり覚えている。本年の寒修行
瑞教にて、苑主代表より真如苑大日如来像について話を聞くに
改めて、先の講演テーマ変更の件が思い出され、正木晃氏が
当初の予定通り曼荼羅をテーマに講演したらどんな内容だった
だろうかと、改めて氏の著作をチェックした中に

ガナ(集団)チャクラ(輪)=人間マンダラ

なる儀礼が紹介されていた。日本の密教は7世紀頃、インドから中国を通じて伝わった中期密教を基として発展したものだが、
その後もインドでは密教は別個に発展を続け、8世紀に性行為
を修行に導入した後期密教が登場する。元々インドではマンダラ
を地面に描く事が密教初期から行われていたが、後期密教の
マンダラには選りによって、墓場で死体の腸によって描かれ、
その上で生身の男女の修行者達が性的ヨーガを中心とする
儀礼を行ずるのだという。これをガナチャクラと言うのだそうだ。

 真におどろおどろしい光景が描写されるのだが、ここでふと
思い出したのが普段真如教徒が通常取組む向上接心。実は
これも『集団』で『輪』を描いて取り組む修行である。接心者は
内側を向いて輪を描いて座り、接心をとる霊能者はその輪の
内側に座り接心者に相対する。霊能者は一人の接心をとると
基本的にはその左隣りの接心者の前に移る。
 修行そのものだけではない。この接心の『輪』に入る為に
待機する接心者も30人程度を1グループとして『輪』と呼ばれ
案内・誘導の際管理されている。この様な修行が下記に引用
したような穏やかな日常的な雰囲気の中行われている。
 この様な一般人がその社会性を喪失せず、日常を通じて
本来峻厳な中に追求されるような悟りを求めていく事ができる
修行が実現した背景には、これまでも教苑において讃迎されて
きた開祖霊祖の苦難の取組み、両童子の抜苦代受は元より、
仏教、そして密教がインドで発祥し現代日本に真如三昧耶流
が生まれるまでの法流血脈が辿ってきた歴史的観点から
いえば、唐・律令国家下における「金胎両部の相承」に始ま
って、恵印三昧耶法の「実修実証」の精神、そしておそらく
最後の要素として、大般涅槃経を以って、総ての人々への
悟りへのインターフェース」と、その総てが

悟りへの到達と社会性の両立

とでも謂うべき一貫性を持っているように思われる。

 この接心の『輪』に入ると言う事は、即、この身このまま、
真如曼荼羅界会の世界に入っている事ではないだろうか。



まるで病院のよう
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  応現院を訪れると、その大きさ、駐車場の広さにまず驚かされるが、全体の雰囲気は大学
キャンパスに近い。ただ、屋根の上に、金の相輪が輝いている点が宗教施設だということを
示している。
 一階の広いロビーに入ってみると、たくさんの信者であふれているが、両側には受付が並ん
でいて、それはまるで病院の受付を思わせる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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 何より印象的なのは、そこに非日常的な雰囲気が漂っていない点である。一人一人の信者
がどの程度の頻度で応現院を訪れるのかはわからないが、なかには遠方からやってきた人
たちもいるはずである。その点で、そこは日常の場ではなく、非日常の場であるはずだが、
そうした雰囲気がない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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 日常的な宗教
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 そもそも霊能者は特殊な格好をしていないし、入神するのに本尊に向かって印を結び、唱え
言をするだけである。教団では、誰もが霊能者になることができるとしている。霊能者が一人
の信者に相対する時間も三分程度で、霊能者が発する霊言の内容も、教えを再確認したり、
先祖の不幸を聞き出したり、信者の健康状態を確かめるといったものである。霊能者自身、
霊からのことばを仲介しているというよりも、自らの直感にしたがってアドバイスを行っていると
認識している。そして、自らの接心が終わると、信者たちはその場を去っていく。霊能者にし
ても、接心が終われば、入神を解き、やはりその場を退いていく。
 こうした接心は、シャーマニズム的な神憑りというよりも、カウンセリングに近い。初期の
教団では、激しい霊動が起こったこともあったようだが、今ではそうではない。受付の雰囲気
と相まって、まさに応現院はスピリチュアルな病院なのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
島田裕巳著『日本の10大新宗教』9-真如苑 より)

 


マンダラとは何か

追記

 近年、接心のカウンセリングとしての側面のみが重視され
接心において『輪』を作る事の霊的な意味を忘れたかの如き
会座運営がされる事が見受けられる。現代社会に生きる
一般教徒各個人の事情を配慮した結果と感謝に受止める
反面、真如苑の接心修行において『輪』をつくる事の意味を
今一度深める契機になればとこれを著した次第。

                                  南無真如



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