2016年4月8日金曜日

立教80年降誕会に思う -苑史の陰に-

 昨日の雨にも関わらず桜は保った。寧ろ散った花びらが風情を
増している。四月八日は降誕会、釈尊の誕生を讃迎すると共に、
真如霊能の礎となった真導院の誕生日でもある事から、併せて
これに祈り向けていくものである。

 もしかしたら荻野は「」と「親代わり」の違いを、何か意識して
しまったのではないだろうか?。16歳で亡父の遺言により開祖
の「親代わり」としての庇護の元明敏な才覚を発揮し教務総長の
重職に就いた荻野。方や10歳にして、本尊加持の霊能を始め、
人格等宗教家としての天稟を示し周囲の信頼を集め、法嗣として
」の期待を受ける真導院友一。当時、師の家族と内弟子が
起居を共にする濃密な人間関係の中、教団の将来(後継問題)
を軸に、明敏で立ち回りの巧い荻野と、対照的に、純粋で真っ
すぐな性質の友一が、ともすれば対立的な雰囲気に陥っては
いなかっただろうか?。勿論、開祖にしてみれば二人が手を取り
教団の将来を担って行く事を期待した事と思う。苑内刊行物には
友一の荻野への反駁を「目上への口答え」として開祖が窘める
エピソードが載っている所を見ると、開祖には既に危惧があった
のかもしれない。もしかしたら荻野はその生立ちから、未だ肉親
の愛情を求める気持ちが強かったのかもしれない。それだけに
総親の友一への法嗣としての期待が膨らむ程、自分の立ち位置
が内弟子でしかない事を意識せざるを得なかったのではないだ
ろうか。こうなると開祖の水晶の念珠を荻野が持ち出した逸話も
自分の法流継承の正当性を訴える事で愛情を得ようとした行為
との見方も成り立ちそうだ。この様な状況に輪をかけたのが周囲
の無理解ではないだろうか?。現在でもよく聞かれる批判だが、
総親への崇敬から義憤に駆られ、荻野の行為のみを追及する
ばかりで、そこに陥る筋道を自らに直視する姿勢を欠いたが故に
結果、荻野をして教団を存亡の危機に追い込む行為に走らせて
しまった、当時の教団事務局員達にも責任の一端はあると思う。
 かくて友一が法嗣として光り輝くほど、その陰に荻野の心の闇
は深く濃く、増上慢に陥る事で自らの個我を守ろうとした。結果
教団の存続の為に、未来の法嗣は霊界にその働きの場を移さざ
るを得なかった。こうした苦難の先にかの非法の弟子をも救わん
と、開祖が国訳一切経に取組む中、大般涅槃経が見出された事
を尊く見つめなければならない。

 どうも法流継承というのは師弟の愛情と、法の序列の問題が
ち難く結びついているので、拗れ易い様に見える。ましてや
真如苑では師が肉親だったのだ。開祖遷化の際に、苑主代表
と真玲猊下が微妙な関係に陥ったのもこれが原因と思われる。
 長年苑史に触れる度、とある識者が「お家芸」などと揶揄する、
一連のいざこざを見るに、何故にこう拗れるか腑に落ちなかった
のだが、アドラー心理学でいう所の出生順位の考え方がこの件
に一定の視座を与えてくれた。兄弟が親の愛情の獲得を巡って
対立するものとするこの考え方からすると、当時ご家族が歩んだ
苛烈な道開きの過程に、通常なら問題にならない親子関係の
ストレスも、過大に影響する事が想像される。当時を回想する
開祖親教と、参考にした資料を照らし合った時には心がどぶ泥
に沈む思いがしたものだ。

 はっきり断っておくが、別に今更荻野を擁護したい訳ではない。
苑内で昭和25年の法難が語られる度、荻野の心理の掘り下げ
が全くされていない事に違和感を感じていた。またこの点を理解
しなければ荻野と同じ迷いや過ちに陥る事は防げないと思える
からこそ、立教80年のこの時、長年腹中にあったこの疑問を明
らかにして置きたかったのだ。

「例え、魔女が生まれなくなった世界でも、それで人の世の呪いが消え失せる訳ではない。世界の歪みは形を変えて、今も闇の
から人々を狙っている。」
魔法少女まどか☆マギカ 第12話 暁美ほむら

 確かに、苑主代表は次期後継者を教団職員から指名したが
それでもこういった掘り下げが無意味とは思わない。俗に言う
「兄弟は他人の始まり」家族は社会の最小単位だからだ。

 四月初旬発刊ARAN with SHIN-NYO No.4の高橋伴明氏への
インタヴュー「善美と醜悪の境界で」を読んだ。氏の言う通りに、
人間が”真善美”と対立する”偽悪醜”を併せ持つなら、この法会
が意味する所が美しく讃迎されるだけでなく、その陰にあったもの
をも正しく見つめられていかなければならない。

                               南無真如