#シンゴジ実況 に参加の皆さん、大変お疲れ様でした。
非公式とはいえ、特定の宗教法人を名乗るアカウントも参加させ
て頂き、大変有難う御座いました。
#真如苑対ゴジラ 等と言うハッシュタグを定める荒業だけでは
あきたらず、開祖伊藤真乗のまこと教団事件の回想を換骨奪胎
し、虚構の世界に置き換える暴挙に至っては、教苑内外・顕幽
よりご批判・お叱りを頂戴するのでしょうか…。
しかしながら…、私、名も無いまめぞうが #シンゴジ実況 に参戦
したのは、決して故なき事ではありません。事の起りは7月29日、
教導院生誕のセレモニーに立会った後、当日公開のシン・ゴジラ
を地元映画館に観に行った時。いわゆる爆音上映と本作の相性
がとても良さそうと感じたのと、『陰陽師』の野村萬斎が中の人を
演じていると聞いて少々関心があったに過ぎません、しかし…。
後半舞台が立川防災予備施設となるこの展開。以前このブログ
で立川の地域史の米軍基地闘争・砂川事件を紹介した自分と
しては、米軍立川基地だったこの土地から、日本が自らの力で
ゴジラを制し、国土への三度目の核投下を防ぐ出発の地として
描かれた事に大変感銘を覚えました。
このシン・ゴジラの印象に今秋発刊の教団誌・歓喜世界250号
掲載の苑主瑞教が重なります。初代ゴジラ公開の昭和29年は、
真導院三回忌、教団誌・歓喜世界初号発刊、そして接心道場の
建立が発願された真如苑にとって意義深い年であり、立教80年
を迎えた本年、教苑はその接心道場の時代を復建した盛儀、
「聖地復建荘厳」を控えていたのです。ここにゴジラを通じ当時
との共時性を予感していた所、シン・ゴジラの世界をツイッター上
で追体験する架空実況 #シンゴジ実況 が話題となります。これ
にあわせシンゴジラ製作の庵野秀明監督の株式会社カラーより
香盤表(ストーリーのスケジュール)が架空実況の進捗に応じて
発表されるにつれ、#ヤシオリ作戦 の実施が11/26,聖地復建の
クライマックス、接心道場済摂会が11/27,28と、教苑の予定と
一致する展開に真如教徒として、そしてこの映画のファンとして
とても嬉しく思ったものです。(実はカラーや東宝が立川を舞台
にするにあたって、真如苑の動向をあらかじめ調査し、それに
合わせて香盤表を作成したなんていう陰謀論が頭を掠めない
でもありませんでしたが、そこまでする理由が有りや無きや?)
しかしながらこの11月、非常に色々な出来事がありました。
ざっと、振り返っても
・博多陥没事故
・米大統領選
・福島沖震度5弱地震
・11/24積雪
・キューバ・カストロ前議長死去
・原発避難先いじめ
・ツイッター、サーバーダウン
・・・・・・・・・
等々歴史の転換点とでも言う様な事、震災を思い出させる事
珍しい天候、 #シンゴジ実況を根底から脅かしかねないSNSの
トラブルetc…。ここで一つ心に留め置きたいのはシン・ゴジラ
のサブタイトルが「現実対虚構」であるという事。現実と虚構の
接点は何処にあるのか?。シン・ゴジラは「日本という現実に、
本来虚構である巨大生物(ゴジラ)が出現したら」という模擬実験
であり、また庵野秀明監督はプレスリリースの中で「…ゴジラが
存在する空想科学の世界は、夢や願望だけでなく現実のカリカ
チュア、風刺や鏡像でもあります。現在の日本でそれを描くという
無謀な試みでもあります。」と述べています。
しかしながら、たとえフィクションとはいえ本年の大ヒットとなった
本作は本当にただの「無謀な試み」でしかないのでしょうか?。
上記の #シンゴジ実況 期間中の現実世界の動きを見ていると、
何かそうとばかりは言えないのではないかという思いに駆られ
ます。実は「現実」と「虚構」を結びつけているのはシン・ゴジラ
を観て感動した我々であり、ツイートという形での想念の結集が
実は現実に目に見えない影響を与えているのではないのか?。
つい、そんな想像をしてしまうのです。
今秋、自国第一を唱える米大統領の誕生により、世界はその
先行きに大きな転換点を迎えました。日本ももう、今までの様に
は行かないでしょう。真如苑が立教80年に昭和30年代初期の
精舎を建直すのは、決して苑主代表や年経た古参篤信教徒達
の懐古趣味からではなく、もう一度あの時の様な歴史の転換点
に起ち、より良い道を模索できるまたとない機会であると、愚考
します。
南無真如
2016年12月7日水曜日
2015年6月21日日曜日
接心道場の時代 -そして復建の今-
今国会での安保法制論議で、立川の郷土史「砂川事件」に脚光
が当たっている。件の人物が砂川事件の最高裁判決を以って
日本が集団的自衛権を行使しうる根拠とした為だ。
昭和32年、当時真如苑は法難(まこと教団事件)の最終的解決
がついていない中、教団存続の基となった真導院の霊言「僕の
やすむところよりも、皆さんの心の休み場所(接心道場)を先に」を汲み、接心道場の建立に邁進、開祖伊藤真乗は大般涅槃経
・高貴徳王菩薩品の一節「像及び仏塔を造る事、猶し大拇指の
如くし、常に歓喜心を生ぜば、即ち不動国に生ぜん」に触れ接心
道場安置の一丈六尺の大涅槃像謹刻に取組む。こうした教団の
再出発に余念のない状況だったと言って良いだろう。
同年9月22日、立川米軍基地拡張の為の測量阻止の為、基地
内に立ち入ったとして、砂川闘争に参加した学生や労働組合員
23名が検挙、うち7名が起訴される砂川事件が勃発、一審では
無罪(伊達判決)となるも、検察はこれを最高裁に跳躍上告する。
これを最高裁は統治行為論を骨子とした判決により、原判決を
破棄、地裁に差し戻され起訴された7名は有罪となった。しかし
これは米軍駐留を違憲と判断した伊達判決を、アメリカの世界
的核戦略展開の為、当時岸信介政権下で進行中の、日米安全
保障条約改定調印の最大の障害と見た、戦後占領時代からの
米軍基地特権を保持し続けようとしたマッカーサー二世駐日米
大使らの、最高裁判所までをも含む、内政干渉によるものであっ
た事が2008年以降(奇しくも真如苑大日如来がクリスティーズ
のオークションにかけられた年でもある)新原昭治による米解禁
公文書の調査によって明らかにされている。
その後も拡張予定地の地権者らは土地収用を拒否し続け、
1968年(真如苑発祥精舎荘厳の年にあたる)米軍は横田への
移転を決定、1977年(これも発祥第二精舎荘厳の年)跡地は
日本に全面返還されるに至る。基地が返還されなければおそらく
立川市は基地の街となって、今日の様に、多摩地区の中心と目
され、平穏な繁栄を享受する事もなく、そして開祖が接心道場の
時代より構想していた総合道場(現応現院)建立が実現する事
もなかっただろう。
この全面返還を以って砂川闘争は勝利と位置づけられたが、
司法判断という別のステージにおいて、沖縄を含む他の地域
の米軍基地闘争は今日まで全て砂川事件最高裁判決を判例と
して、米軍の特権は維持され続けている。
「歴史は繰り返す」と言う。真如苑が接心道場を復建する本年
安保条約を改定した岸信介の孫にあたる人物が国民と国土の
安全を訴え安保法制を改定しようとしている。昭和30年代当時
と唯一相違があるとすれば、件の人物と真如苑の間にご縁が
ある事だろうか。開祖遷化の平成元年、追悼法要に父君、母君
と共に哀悼の意を表した事が、当時の歓喜世界特集号である、
「創の悠恒に」に記されている。現在氏と真如苑がどの様な関係
にあるか不明だが、教団の社会貢献活動において実りを産んで
いるのだろうか。
冒頭の件の人物のドイツ記者会見の約一週間後6月14日に
真如苑はベルリンにて灯籠流しを行ったが、早い段階で荒天が
予想され、開式を6時間もの大幅に渡って早め執行する異例の
事態となり、予定されていたネット中継は収録録画によるものと
なった。当日苑主代表は挨拶にて「負けない心」を訴えたが、
過去にも、同時多発テロ直前に行われたシカゴ支部落慶の際、
様々な注意が必要なほどの荒天が現地にて見られた事がある。
真如苑苑主はベルリン灯籠流しだけでなく、世界各地で法会
を行い、そこに向けられる人々の祈りを結集、真如の功徳を遍く
展べられている。こうしたみ光が歴史の闇をも照らし、新たな闇
が生じない事を信じたい。
南無真如
が当たっている。件の人物が砂川事件の最高裁判決を以って
日本が集団的自衛権を行使しうる根拠とした為だ。
昭和32年、当時真如苑は法難(まこと教団事件)の最終的解決
がついていない中、教団存続の基となった真導院の霊言「僕の
やすむところよりも、皆さんの心の休み場所(接心道場)を先に」を汲み、接心道場の建立に邁進、開祖伊藤真乗は大般涅槃経
・高貴徳王菩薩品の一節「像及び仏塔を造る事、猶し大拇指の
如くし、常に歓喜心を生ぜば、即ち不動国に生ぜん」に触れ接心
道場安置の一丈六尺の大涅槃像謹刻に取組む。こうした教団の
再出発に余念のない状況だったと言って良いだろう。
同年9月22日、立川米軍基地拡張の為の測量阻止の為、基地
内に立ち入ったとして、砂川闘争に参加した学生や労働組合員
23名が検挙、うち7名が起訴される砂川事件が勃発、一審では
無罪(伊達判決)となるも、検察はこれを最高裁に跳躍上告する。
これを最高裁は統治行為論を骨子とした判決により、原判決を
破棄、地裁に差し戻され起訴された7名は有罪となった。しかし
これは米軍駐留を違憲と判断した伊達判決を、アメリカの世界
的核戦略展開の為、当時岸信介政権下で進行中の、日米安全
保障条約改定調印の最大の障害と見た、戦後占領時代からの
米軍基地特権を保持し続けようとしたマッカーサー二世駐日米
大使らの、最高裁判所までをも含む、内政干渉によるものであっ
た事が2008年以降(奇しくも真如苑大日如来がクリスティーズ
のオークションにかけられた年でもある)新原昭治による米解禁
公文書の調査によって明らかにされている。
その後も拡張予定地の地権者らは土地収用を拒否し続け、
1968年(真如苑発祥精舎荘厳の年にあたる)米軍は横田への
移転を決定、1977年(これも発祥第二精舎荘厳の年)跡地は
日本に全面返還されるに至る。基地が返還されなければおそらく
立川市は基地の街となって、今日の様に、多摩地区の中心と目
され、平穏な繁栄を享受する事もなく、そして開祖が接心道場の
時代より構想していた総合道場(現応現院)建立が実現する事
もなかっただろう。
![]() |
| 米軍立川基地の変遷 |
司法判断という別のステージにおいて、沖縄を含む他の地域
の米軍基地闘争は今日まで全て砂川事件最高裁判決を判例と
して、米軍の特権は維持され続けている。
![]() |
| 砂川事件と田中最高裁長官 |
「歴史は繰り返す」と言う。真如苑が接心道場を復建する本年
安保条約を改定した岸信介の孫にあたる人物が国民と国土の
安全を訴え安保法制を改定しようとしている。昭和30年代当時
と唯一相違があるとすれば、件の人物と真如苑の間にご縁が
ある事だろうか。開祖遷化の平成元年、追悼法要に父君、母君
と共に哀悼の意を表した事が、当時の歓喜世界特集号である、
「創の悠恒に」に記されている。現在氏と真如苑がどの様な関係
にあるか不明だが、教団の社会貢献活動において実りを産んで
いるのだろうか。
冒頭の件の人物のドイツ記者会見の約一週間後6月14日に
真如苑はベルリンにて灯籠流しを行ったが、早い段階で荒天が
予想され、開式を6時間もの大幅に渡って早め執行する異例の
事態となり、予定されていたネット中継は収録録画によるものと
なった。当日苑主代表は挨拶にて「負けない心」を訴えたが、
過去にも、同時多発テロ直前に行われたシカゴ支部落慶の際、
様々な注意が必要なほどの荒天が現地にて見られた事がある。
真如苑苑主はベルリン灯籠流しだけでなく、世界各地で法会
を行い、そこに向けられる人々の祈りを結集、真如の功徳を遍く
展べられている。こうしたみ光が歴史の闇をも照らし、新たな闇
が生じない事を信じたい。
南無真如
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