2011年5月25日水曜日

大願(その四)

 「法住寺殿では派手にやったな。盛遠」
と、頼政は柱に縛られている行者に声をかけた。
「縄を解いて下がれ」と頼政は供の者に命じると、
「知らせを聞いた時はこちらの肝が冷えたわ。」
「なんの、芝居の相方としてあれほど頼もしいお方
はおらなんだ。流石、今様狂いと呼ばれ諸芸能に
深く通じておられるだけの事はありまするぞ。」
と、肩や腕をほぐしながら行者は応じた。
「正に阿吽の呼吸といういうべきですな。」
「天性不当の物狂いと評判だぞ。ふふふ」
「わっははははっ」豪快に笑うと行者は真顔になり
「では予ての手筈通りに?。」
「うむ、伊豆に配流という事に相成った。」


 すでに根回しが済んでいる。平治の乱で生き残った
源氏の嫡流を護る事が、平家全盛の世の先の光明に
途をつけるだろう。


 「伊豆は物成りが貧しい土地故、苦労をかけるが…」
「なんの、それがしは神護寺再興という大望ある身、
み仏のご加護がない訳はありませぬ。それに
流す役も、流される先も頼政さまのご一族の
手の内故、追われる心配はありませんぞ。」


 今ここで、源氏の嫡流を盛り立てて行くことが
自らの大願の実現と、世の光明を見出す事に
繋がると、盛遠は何故か確信していた。
東国で修行していた事もあり地の理も心得て
いる。


「頼朝には顕幽両面の助けが必要じゃ。」
頼政は言った。
「よろしく頼みますぞ。文覚殿」


承安三年のある日。

2011年5月15日日曜日

体で解かる

 早いうちに別の道に進んだ自分にはもう
選ぶ事の出来ない道だけど、振り返って
みると、こんな道にも進んでみたかったと
あこがれる、飛鳥の工人の伝統を継ぐ
宮大工の世界。


 かつて私が身を置いた職業も、職人の
世界ではあったが、より、時代の変化の
影響を大きく蒙っていた。私自身は決して
優れた職人ではなかったが、それでも、
その職場に満ちている空気を一つの糧と
して、自分をより良く変えていく事が出来た
のは間違いない。


修行(職人さんの場合は修業)という体験を
通じていかなければ判らない世界がある。
それは、きっとサーバにどれだけの容量が
あっても表す事などできないだろう。


棟梁 小川三夫


木に学べ

2011年5月14日土曜日

応現祭併せて真如慈救無量会

暑い位の日差しに、爽やかな風。
GW明けの初日は摂受心院さまの
白寿の誕生日。普段の親不孝が
いつもより身に染みる…。orz


昨日5/8の法要でも「節電」のお言葉
があったが、今日はどうだろう。

法要後のセレモニー。感謝の言葉。
言上者、震災・原発被災地には、
「心が痛む」「心が軋む」との事。


ご瑞教。
「利他作善に取り組んで行きましょう」
との事、明年の応現祭にむけて。

誠に残念ですが、今回の法要については
非公開との方針が打ち出されました。