2021年3月19日金曜日

web配信拝聴メモ②-2021/3/08 弁才尊天供・法憧

  東日本大震災から10年…。

 去る三月八日、弁才尊天供・法幢において、真如苑の救援ボランティアSeRVの東日本大震災の災害者支援への歩みを紹介する特集記事が、文芸春秋2021年4月号に掲載される事が発表された。SeRVのHPは言うに及ばず、既に公式サイトでも周知され、文春オンラインでも閲覧する事が可能だが、ネット対応の不得手な世代への対応だろうか、教団ではこの記事の抜き刷りを、ご丁寧に今月の総部会等で配布するとの発表まであった。

文芸春秋2021年4月

 自分も、このブログとツイッターを始めて、同じ年月が経った。だが、今まで自分はどれ程の事をなしただろうか…。

 だが、今回の起稿は、記事の紹介や10年間の回想の為ではない。株式会社文芸春秋といえば、その週刊誌「週刊文春」は、俗に文春砲などと呼ばれるスクープ記事で、世情を震撼させ、この新型コロナ緊急事態宣言下にも、時の首相のご子息が絡む、利害関係者から監督省庁への高額接待の実態を明らかにした事で、今国会を紛糾させ、世間の耳目を集め、時の政権を苦しい立場に追い込んでいる。

 もう、記憶している教徒はまずいないと思われるが、昨年、この週刊文春の、あるコラム記事を題に取った法幢があった。詳細は別に譲るが、この様な出版社と真如苑が、果たして、単なる「ジャーナリストと取材対象者」の枠に収まるだけの間柄なのかどうか、自分には、どうも疑問の余地が残る。

南無真如





web配信拝聴メモ③-2020/4/24 霊供・法憧

    話は、昨年の緊急事態宣言下、4月24日廻向法要にさかのぼる。この日は明日4/25の苑主代表の誕生を祝う式典(当然帰苑教徒などなくウエブ配信オンリーだが)を控えてか、特に苑主の導師にて法要が営まれた。

この日の法幢が、眼を瞠るものだった。

 まず、尺が長い。大抵の法幢は、法要の時間全体のバランスを考慮してか15分程度でまとめられる事が多く(おそらく一定のルールがあると思われる)、この日に限っては何故か25分。重要な伝達事項でなければ、こういった時間延長は最近はあまりない。

 にもかかわらず、飽きずに聴いていられたのは、教団の企画・広報部門に所属する、この法幢の担当職員の、内容の詰めと、語り口の巧みさ、そしてその意味する所に思う所があったからだ。

 とある週刊誌のコラム(都下の小売店舗のベテラン販売員の、客を和ませる声かけ)を題に取り、一般教徒では日頃接する事のない、苑主代表の人となりを紹介する内容だったのだが、自分には聞き捨てならないセリフがあった。

このお兄さん、真如教徒だったんです

真如苑すごいでしょ

他にも、話の導入で、最近の自分の仕事を

朝から晩までインターネットでコロナ漬け

などと評していたのだが…

 気になったので、件のコラムの掲載された号を入手したのだが、更に首をかしげる点があった。件の記事にはこの店が「何を」扱っているかは記されていたが「何処の」店かは記載されていない。にもかかわらず、法幢ではこの店が「何処の」店かがはっきりと述べられていた。これはどういう事か?。いわば、一片の週刊誌記事から、一般教徒を特定する事も、現在の真如苑には可能という事実を示す事に如何なるメッセージがあったのか?

 教団事務局の企画・広報といえば、クリスティーズで大日如来像落札の際、現・西川勢二教務長が、総合企画部長として在籍していた事が思い出されるが、「表」の法要や式典、参拝行事の企画の他に、教団の調査・インテリジェンスを担う「裏」の姿が、この法幢から伺う事ができるように思う。

 さて、この三月、東日本大震災から10年という事で、教団の災害支援活動が文芸春秋で取り上げられたのは前の投稿で紹介したとおりだが、たとえ取材対象の法人がある程度特定の人々にだけといえど、自社の出版物の抜き刷りの無料配布を許可するというのは、やはり破格と見るべきと思える。文春オンラインなどの代替手段もあるというのに…。

 上述した様な法幢を見るに、株式会社文芸春秋と真如苑の良好な関係が単なる

「ジャーナリストと取材対象者」

の域にとどまらず、調査・インテリジェンスといった上での協力関係に及んでいると見るのが正しい様に思う。



南無真如

2021年1月12日火曜日

web配信拝聴メモ①-2021/1/11 正輪会・法憧

  委縮して欲しくない…

多分、そんな所だろう。親苑のある立川市を含む一都三県への緊急事態宣言発出や、前回の投稿への、教団からのメッセージとして、この法憧(真如苑では法要の際、教団職員が語る、一般的に言う法話。担当職員により内容は様々、時事や教団の動向、体験談などを交え多岐にわたるを一言で表すと、こんな風に思える。今回これを語った企画・広報所属の職員は、新型コロナ・政府分科会の尾身会長の「正しく怖れる」という発言を引用、現在教苑活動において感染者は出ていない事を述べ、最後に苑主代表の言葉の深さをわかって欲しいと締めくくった。

 昨年の緊急事態宣言解除以降、真如苑は感染予防策を実施の上活動を再開、定例法要や大祭のweb配信の実施、リアルの修行の完全事前予約化(現在、予想される参座者の人数によっては予約なしでも参座できる場合もあり)により、感染者が出た場合の追跡・連絡体制の強化、依処における、3密など感染リスクの高い行動の回避は勿論の事、読経は全員黙読を徹底、参座は前後左右に1互いに1m程度の間隔を空ける等の対策を実施、以前提言した団参の中止や家庭集会のオンライン化も行われている。

感染対策を徹底し、感染拡大に歯止めのかからない社会状況において、宗教団体としてここまで活動を継続してこられたのは、各位の取組みとみ力の和合の結集と思う。


 だが、この取り組みを継続するだけで良いのか…。目下、毎日4ケタ台に上る感染者が検出され、日々、日本の医療体制を押し潰さんばかりの、国内における爆発的感染は元より、感染力の強化や、開発中のワクチンの効果が疑問視される、数世代以上の感染を経由して変異したコロナウイルスが、既に日本に上陸したとみられる現在、今後も活動の継続を目指すならば、むしろ依処の中の方が安全と言えるほどの対策を目指すべきではないだろうか?。現代の建築で造られた真如苑の施設において、感染症対策における最大の弱点を上げるとすれば多分、ハメ殺しの窓による「換気の不自由」ではないかと思う。


 コロナ禍による不況が叫ばれ久しい。失業者は確認されるだけで200万人を越えると言われ、感染拡大の主たる原因と目された業種を中心に、経営力や継続の意志を枯渇させ倒産する法人が後を絶たない。おおっぴらには発信されていないが、真如苑も活動人数の制限による減収や、感染予防対策の費用負担の重さに追い詰められつつあると見るべきだろう。個人レベルでは厳しい警告を提言してきた自分だが、勿論、教苑各位の委縮を目的としていた訳ではない。新春、苑主代表から、目下改築中の発祥第二精舎の今秋の落慶が発表されている。各位和合で一つに、ここを目指したい。


南無真如





2021年1月7日木曜日

これからの「在り方」ー 間章

 こんなに、次を書く事を躊躇った事は今までなかった。今までは、着想が浮かべば、どこか熱に浮かされたように、一気呵成に書き上げるのが常だったのだが…

挙げられる理由は多々ある。実は、前回の投稿直後、体調を崩し発熱、一週間寝込んだ事。昨年の二月、現在ほどPCR検査を自由に受けられなかった事を思い起こして頂きたい。報道されたような後遺症もなく、身近な人々にも感染者が出なかった所を見ると、さいわいコロナではなかったようだ。万が一炎上でもすればタダでは済まないテーマの重さと大きさに、委縮もしたし、法要のウェブ配信拝聴で、教団施設の閉鎖の決断を「…と頂きました」と述べた時の苑主代表の表情が、一瞬だが、しかしはっきりと苦渋に曇っていたのを見た事。何故に、新シリーズを『これからの「在り方」』などという、大上段で器に余るタイトルにしてしまったのか…。

だが、やはり一番大きかったのは、世界中の宗教施設での集団感染の報道、政府経済対策による感染拡大や、第3波における家庭内感染の増加など、そして、パンデミック以前の世界には、もう戻れないかもしれない可能性について、感染症について素人に毛が生えた程度の浅学非才の自分が、時が経つに連れ、投稿を読み返す度、むしろ正確に事の推移を予測していた事が明らかになって来た事にある。まるで自慢の様に聞こえるが、そんな心算は毛頭ない。


『…「我、汝の飲食供養は受けない。しかし一切衆生を安穏にせんとするために、汝が説くその神咒だけを受けよう」…』(大般涅槃経序品より)

 昨年の寒修行の期間中、中国発新型肺炎上陸の報道を横目に、拙い祈りの中に危機の予感を感じつつ、相変わらず動きの見えない教団の動向を注視、無い知恵を振り絞って、教団の社会的信頼の失墜を防がんと、おそらくは初めて純粋な護持の信にたっての投稿だったが故に、み力を頂き、この様な結果になったのだと思う。昨秋発刊の教団の機関誌である歓喜世界262号には真如立教祭前日に初の対策会合をもったとあり、その後の参集活動自粛、第一波の教団施設閉鎖といった経緯は衆目の知る所だが、しかし重大な意思決定プロセスの最中であろう2/14に、ウェブログという、外部にも容易に目の触れる形での提言がなかったら、教団の中枢ではどの様な選択がなされていただろうか?。

『…私たちは、この婦人教徒の言葉には半信半疑だったのである。だから全面的に肯定できず、お宮詣りのことにも、真導院に対する扱い方にも、婦人の言葉をそのまま行っていなかった。ところが、お宮詣りが済むと間もなく、摂受心院は床についたきりで容易に起き上がれないばかりか、生まれて間もない真導院も、消化不良に陥ってやせ細るという事象が起こった…』(「一如の道・究道篇・第三章・二、真導院の誕生」より)

 第一波終息の兆しが見えるやいなや、緊急事態宣言は解除、これに合わせて教団も依処における感染症対策を施しつつ徐々に参集活動を再開した。また、国内においては衰退した経済を復旧させんと、早々に様々な経済対策や規制緩和が行われた結果、首都圏を中心に再々度の感染拡大を招き、医療体制は危機に瀕し、三が日明けより一都三県の知事が連名で緊急事態宣言発出の検討を国に要請、本日発出となった。昨年後半より、感染者数が日々増加する中、世論には緊急事態宣言を待望する声が高まっており、専門家が「都圏は感染爆発相当」と評するほどの事態に至っての発出は、感染症対策の点では最早遅きに失したと言わざるを得ず、明日より一か月での期間で収束させる事も至難の業と言われているが、



発出への動きから予定の緊急事態宣言の期間(1/8~2/7)が、またもや、真如苑の寒修行の期間をすっぽりと収める奇瑞が起こっている。予定通りなら2/8の真如立教祭には、一定の結果が出る運びである。信徒サイトには1/4付けで、緊急事態宣言中も感染症対策を行いつつ活動を継続する旨広報されているが、日々感染者数や重症者数が過去最多を更新し続ける上、変異して感染力を増したウイルスの上陸まで確認されている中、これはハイリスクな選択であり、万が一依処で集団感染でも発生しようものなら、教団の社会的信頼の甚大な失墜は免れないだろう。職員や帰苑信徒を問わず、最近、依処の人々の様子を見るに、み力を信じるが故の緩み切った姿には不安を禁じ得ない。はっきり言えば個人レベルでの感染症予防は、真如マナーである。だがしかし、政府分科会尾身会長が言う所の「行動変容」個人レベルの行動の変化を促すにあたって、教団職員各位は適切にリーダーシップを発揮しているだろうか?。この国では、相手の言わんとする所を真正面から受け止め、誠実に返答するコミュニケーションと、言行一致が無かった事が、現在の感染爆発を招いているのではないだろうか?。教団一丸となって護法の祈り持ち、この真剣白刃の取組みの先を明るく見て、今年の寒修行に臨みたい。


南無真如