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2019年4月21日日曜日

開基八十年 敬老のお祝い(3)~開基八十年真澄寺大護摩供

 前回の投稿より、また暫く時間が空いた。先週末10/6は親苑にて、開基八十年真澄寺大護摩供が行われた。普段は奥の院におられる伝運慶作の本尊・大日大聖不動明王真澄寺内陣の開祖謹刻・涅槃法身不動明王と共に安置、祈念の本尊として行われた。法要後、「今日は(大日大聖不動明王の)お厨子を外して(護摩を)行いました」と、苑主代表の弁があったが「汝の信ずる心を厨子とする」との教導のある不動明王像を表に出したのは「これからは皆の信じる心を結集して教えを伝えて欲しい」との苑主代表の願いであるように思われてならない。登壇した真玲猊下の表情も穏やかに見え、最後は開祖在世時を彷彿とさせる境内セレモニーで締めくくられた。

 この間も節目を迎えた世の中の動きは慌ただしい。関東大震災を機に、日本橋より移された築地市場が、再来年の東京五輪を含めた都市計画によって、とうとう豊洲に移転、本日開場の運びに。同じ時期に、日本を代表する銀行のシステム統合も大詰めを迎えている。諸産業とそこに働く人々は大きなテクノロジーの変革に翻弄され、人間活動の結果としての気候変動は日本の四季をも変えるに至っている。

 そして今年は明治維新から150年にあたる。前回、天皇と仏教の歴史的つながりについて少々述べたが、明治維新の神仏分離から太平洋戦争終戦~米軍の占領を経て、高度成長期から平成の現在に至った現在、天皇と仏教の関係も隔たったと言えよう。古と同じようにはいくまい。

 …などと、ゆるゆるやっていたらあっという間に…

                       続く

 
 

2017年9月21日木曜日

慧燈応現法要④ ー並立の詳細①ー

 苑主代表の選択の結果としての称名の並立。その結果どの
様な状況が生まれたのか。苑主代表が今後讃題のみでは限界
があるとしたからこその常住讃である事だけは、間違いない
と思われる。以下に讃題の三宝一体の理を図示する。
 仏→法→僧とトップダウンの方向性がある事がわかる。
次に、上の図にならって、常住讃の理を図示する。
 更に、上の二図を重ね合わせてみると…
 上図を見ると、開祖が伝統の枠組みを尊重し制定した讃題
のフレームワークに、苑主代表が真如苑独自の内実を整えた
ものが常住讃であると言える。更に特筆すべきは、開祖が
定め讃題の枠組みに、苑主代表が常住讃によって開祖自身
も摂めている事ではないだろうか。これは開祖が生前に
行えないし、決して行ってはいけない事でもあったと思う。
称名の並立が発生した一番の理由はおそらくここにあったの
だろう。そして、一見並立しているかに見える讃題と常住讃
二にして一の関係も見えてきたようだ。

                    続く











2017年9月12日火曜日

慧燈応現法要③ ー制定の背景②ー

 こうした歩みを辿った教団の現在はどうか。

「…摂受心院死後において苑は栄えてきたが、教化の浸透においては、
 摂受心院の存命中のようにはいかなかった。…」定記より

 事態は在世の開祖が憂慮した状況より更に進んでいると言わ
を得ないのではないか。

 讃題が制定されて半世紀、霊祖遷化後初の月命日より本年
で五十年を迎える九月六日。仏法僧三宝一体の理を基として
二つを一つにし、開祖が日本三大称名の一つと絶対の確信を
のぞかせる讃題。それに新たな根本を定め加え一つが二つ
になる選択を苑主代がなすのは、国際的な活動領域を持つ
に至り、上下に重層化した、百万人に届こうとする巨大な、
コミュニティと化した教苑が、「内」と「外」に大きく別れ
つつある事の証左であるように思える。

 大規模かつ高度に発達した現代社会において、それを支える
様々な諸機関・諸法人が、ヒューマンエラーや不祥事等、人為
的要因によるトラブルが日々大きく取り上げられ、信頼を失い
権威を失う事が日常茶飯となっているが、宗教法人も例外とは
言い難い。 しかしながら、真如苑(僧伽)は宇宙で唯一、
真如三昧耶流を現世に現す機関であり、どれ程の問題を抱え
ようとも他に代替は存在しない。ここに我々の苦悩がある。

 この様な状況の中、教団内外を問わず「仏」への信を繋ぎ
続ける為の、苑主代表の答えが常住讃であり、更には讃題との
称名の並立だったのではないか。

                      続く

2017年9月9日土曜日

慧燈応現法要② ー制定の背景①ー

 こうして制定された常住讃だが、過去半世紀に渡り、唱え
られてきた讃題と併せ、常住讃も根本(こんぽんじゅ)と
されている。こうして真如苑では二つの称名が並立する事に
なった訳だが、根本頌となる称名の並立というのは他の宗派
にもある事なのだろうか?。浅学非才にして寡聞な自分だが
これは世界的に見ても大変珍しい事なのではないだろうか。
 こういった事態について予め8月中に教苑会・総部会・
親苑時報等を通じ教団側から念入りに広報が実施されており
当日の瑞教でも「これは凝縮です」とのお言葉があった。

 しかしながら、敢えて「称名の並立」という少々理解に
努力を要する道を苑主代表が選択したのは何故なのか?。
 もし、讃題を廃すればそれは新時代における開祖の否定に
つながり、このまま讃題のみを選べば苑主が見出した新たな
しかも重大な祈りを伝える必然性を否定してしまうのか…。
東京都の中央卸売市場移転問題で小池百合子都知事の発言
築地は守る・豊洲は活かすにも一見似たような状況に
如何なる意味があるのか?。

 この状況を読解く鍵として、讃題と比較して常住讃から
三宝(仏・法・僧)のうち「僧(伽)=教団」の要素が
取り除かれている事に着目したい。

「…摂受心院死後において苑は栄えてきたが、教化の浸透においては、
 摂受心院の存命中のようにはいかなかった。…」定記より

 組織運営論めいた話だが、どうもリーダーシップというの
は二通りあると思う。組織の内外を俯瞰しメッセージと舵取
を行うトップの役割が一つ。と同時にトップの内面を理解し
組織内にそれを適切に浸透させる、牽引役としての役割。
この二つの役割を担う者が互いに協力し合って初めて組織は
動き出す事が出来る。詳細は伏せるが、これは私自身が教団
と全く関わりの無い所でこういった問題に直面した体験から
述べている。開祖が自分達夫婦の事を「一心同体ですね」と
評された時「いえ、一心一体です」と答えたエピソードを聞
いた事があるが、まこと教団事件終結以後、開祖霊祖が共に
在世の昭和42年までは、教団の運営が安定期にあり、この
真如苑において三宝一体の理が実際に実現していた時期
言ってよいと思う。(昨年荘厳の復建真澄寺・接心道場は、
丁度この時期の教団を再現したものである)霊祖摂受心院が
当時二つに分かれていた讃題を一つに統合する旨、開祖に
願い出たのはこの時期の体験に依るものだったのではないだ
ろうか。
 しかし、昭和42年霊祖遷化以降、教団における内側の
リーダーシップは衰退、平成元年開祖遷化以後この問題は
教団を継承した現苑主代表・真玲姉妹に「定記の取組み」
として引き継がれる事となったが、苑主代表自身をして

「定記の取組みは私達が生きている限り続きます」

と言わしめるほど難しいものであり、その動静は時として
外部に報道され、重要な法要の登壇の際、真玲猊下の沈痛
な面持ちの隣で、苑主代表や教務長が耐えかねた様な表情で
祈る様子が見えた時など、参座の一般教徒までがハラハラす
るような有様だったのをついこの間の様に憶えている。

 この様に苑史を振り返ると、霊祖摂受心院の願いにより
三宝一体に帰依の理によって二つの称名を一つにした讃題
が、昭和42年9月6日に制定されてより半世紀、仏法僧
のうち「僧(伽)=教団」に人を得ず、その本来の宗教的
ポテンシャルを発揮しきれないまま、教苑を次代に継承する
事への大きな懸念が常住讃制定の背景にあったのではない
だろうか…
                      続く

2016年4月8日金曜日

立教80年降誕会に思う -苑史の陰に-

 昨日の雨にも関わらず桜は保った。寧ろ散った花びらが風情を
増している。四月八日は降誕会、釈尊の誕生を讃迎すると共に、
真如霊能の礎となった真導院の誕生日でもある事から、併せて
これに祈り向けていくものである。

 もしかしたら荻野は「」と「親代わり」の違いを、何か意識して
しまったのではないだろうか?。16歳で亡父の遺言により開祖
の「親代わり」としての庇護の元明敏な才覚を発揮し教務総長の
重職に就いた荻野。方や10歳にして、本尊加持の霊能を始め、
人格等宗教家としての天稟を示し周囲の信頼を集め、法嗣として
」の期待を受ける真導院友一。当時、師の家族と内弟子が
起居を共にする濃密な人間関係の中、教団の将来(後継問題)
を軸に、明敏で立ち回りの巧い荻野と、対照的に、純粋で真っ
すぐな性質の友一が、ともすれば対立的な雰囲気に陥っては
いなかっただろうか?。勿論、開祖にしてみれば二人が手を取り
教団の将来を担って行く事を期待した事と思う。苑内刊行物には
友一の荻野への反駁を「目上への口答え」として開祖が窘める
エピソードが載っている所を見ると、開祖には既に危惧があった
のかもしれない。もしかしたら荻野はその生立ちから、未だ肉親
の愛情を求める気持ちが強かったのかもしれない。それだけに
総親の友一への法嗣としての期待が膨らむ程、自分の立ち位置
が内弟子でしかない事を意識せざるを得なかったのではないだ
ろうか。こうなると開祖の水晶の念珠を荻野が持ち出した逸話も
自分の法流継承の正当性を訴える事で愛情を得ようとした行為
との見方も成り立ちそうだ。この様な状況に輪をかけたのが周囲
の無理解ではないだろうか?。現在でもよく聞かれる批判だが、
総親への崇敬から義憤に駆られ、荻野の行為のみを追及する
ばかりで、そこに陥る筋道を自らに直視する姿勢を欠いたが故に
結果、荻野をして教団を存亡の危機に追い込む行為に走らせて
しまった、当時の教団事務局員達にも責任の一端はあると思う。
 かくて友一が法嗣として光り輝くほど、その陰に荻野の心の闇
は深く濃く、増上慢に陥る事で自らの個我を守ろうとした。結果
教団の存続の為に、未来の法嗣は霊界にその働きの場を移さざ
るを得なかった。こうした苦難の先にかの非法の弟子をも救わん
と、開祖が国訳一切経に取組む中、大般涅槃経が見出された事
を尊く見つめなければならない。

 どうも法流継承というのは師弟の愛情と、法の序列の問題が
ち難く結びついているので、拗れ易い様に見える。ましてや
真如苑では師が肉親だったのだ。開祖遷化の際に、苑主代表
と真玲猊下が微妙な関係に陥ったのもこれが原因と思われる。
 長年苑史に触れる度、とある識者が「お家芸」などと揶揄する、
一連のいざこざを見るに、何故にこう拗れるか腑に落ちなかった
のだが、アドラー心理学でいう所の出生順位の考え方がこの件
に一定の視座を与えてくれた。兄弟が親の愛情の獲得を巡って
対立するものとするこの考え方からすると、当時ご家族が歩んだ
苛烈な道開きの過程に、通常なら問題にならない親子関係の
ストレスも、過大に影響する事が想像される。当時を回想する
開祖親教と、参考にした資料を照らし合った時には心がどぶ泥
に沈む思いがしたものだ。

 はっきり断っておくが、別に今更荻野を擁護したい訳ではない。
苑内で昭和25年の法難が語られる度、荻野の心理の掘り下げ
が全くされていない事に違和感を感じていた。またこの点を理解
しなければ荻野と同じ迷いや過ちに陥る事は防げないと思える
からこそ、立教80年のこの時、長年腹中にあったこの疑問を明
らかにして置きたかったのだ。

「例え、魔女が生まれなくなった世界でも、それで人の世の呪いが消え失せる訳ではない。世界の歪みは形を変えて、今も闇の
から人々を狙っている。」
魔法少女まどか☆マギカ 第12話 暁美ほむら

 確かに、苑主代表は次期後継者を教団職員から指名したが
それでもこういった掘り下げが無意味とは思わない。俗に言う
「兄弟は他人の始まり」家族は社会の最小単位だからだ。

 四月初旬発刊ARAN with SHIN-NYO No.4の高橋伴明氏への
インタヴュー「善美と醜悪の境界で」を読んだ。氏の言う通りに、
人間が”真善美”と対立する”偽悪醜”を併せ持つなら、この法会
が意味する所が美しく讃迎されるだけでなく、その陰にあったもの
をも正しく見つめられていかなければならない。

                               南無真如