前回に続き、讃題と常住讃の関係を整理しておく。
夫々の描く三角形の頂点の対比は以下の様になる。
讃題 常住讃
① 仏 ⇔ 開祖・霊祖・両童子
② 法 ⇔ 真如三宝
③ 僧 ⇔ 聖地親苑
①と②について、それほど説明の必要はないと思われる。
注意すべきは③だろう。通常「僧」といえば「人」であり、
「僧伽」といえば「仏教教団」を指す。にも拘らずここで
「場所」が対比されている。
上図「僧」の下段に(教苑)とした。開祖の讃題における
三宝一体の理の教導には、「僧」の意味で「教苑」とある。
「…法に依りて、人に依らざれ
義に依りて、語に依らざれ
智に依りて、識に依らざれ
了義経に依りて、不了義経に依らざれ…」
大般涅槃経四依品より
一貫して「親苑帰一」を打ち出している苑主代表には、
人の集団・組織ではなく、それらが活動する場所である
聖地や依処をも含め「教苑」との認識がある様だ。
常住讃ではこれを更に一歩推し進めて
僧伽(僧団)⇒教苑⇒聖地(親苑)
教苑というキーワードを介しての積極的トランスレーション
が読み取れる。前々回において人間集団が本質的に抱える
問題が宗教団体においても同様である事を述べたが、こう
いった認識に立つ限り、教団が人と仏を繋ぐ紐帯であり続
ける事は不可能である。苑主代表はこの問題を「教苑」と
いうキーワードを介し、常に過ちを犯し続け信頼を損なう
「僧(伽)」を、霊意によって定まり、開祖霊祖とこれを
慕う過去多くの人々の祈り行いの集積が今も凝結し続ける
「聖地親苑」に換える事でブレイクスルーしようとしたの
ではないだろうか。
人々を、教団組織に執われる事なく、開祖霊祖・両童子
に、より直に深く強く繋げていこうとする、苑主代表の
祈りの結実が常住讃と観ずる。
続く
2017年9月29日金曜日
2017年9月21日木曜日
慧燈応現法要④ ー並立の詳細①ー
苑主代表の選択の結果としての称名の並立。その結果どの
様な状況が生まれたのか。苑主代表が今後讃題のみでは限界
があるとしたからこその常住讃である事だけは、間違いない
と思われる。以下に讃題の三宝一体の理を図示する。
仏→法→僧とトップダウンの方向性がある事がわかる。
次に、上の図にならって、常住讃の理を図示する。
更に、上の二図を重ね合わせてみると…
上図を見ると、開祖が伝統の枠組みを尊重し制定した讃題
のフレームワークに、苑主代表が真如苑独自の内実を整えた
ものが常住讃であると言える。更に特筆すべきは、開祖が
定めた讃題の枠組みに、苑主代表が常住讃によって開祖自身
をも摂めている事ではないだろうか。これは開祖が生前に
行えないし、決して行ってはいけない事でもあったと思う。
称名の並立が発生した一番の理由はおそらくここにあったの
だろう。そして、一見並立しているかに見える讃題と常住讃
の二にして一の関係も見えてきたようだ。
続く
があるとしたからこその常住讃である事だけは、間違いない
と思われる。以下に讃題の三宝一体の理を図示する。

次に、上の図にならって、常住讃の理を図示する。

更に、上の二図を重ね合わせてみると…

上図を見ると、開祖が伝統の枠組みを尊重し制定した讃題
のフレームワークに、苑主代表が真如苑独自の内実を整えた
ものが常住讃であると言える。更に特筆すべきは、開祖が
定めた讃題の枠組みに、苑主代表が常住讃によって開祖自身
をも摂めている事ではないだろうか。これは開祖が生前に
行えないし、決して行ってはいけない事でもあったと思う。
称名の並立が発生した一番の理由はおそらくここにあったの
だろう。そして、一見並立しているかに見える讃題と常住讃
の二にして一の関係も見えてきたようだ。
続く
2017年9月12日火曜日
慧燈応現法要③ ー制定の背景②ー
こうした歩みを辿った教団の現在はどうか。
「…摂受心院死後において苑は栄えてきたが、教化の浸透においては、
摂受心院の存命中のようにはいかなかった。…」定記より
事態は在世の開祖が憂慮した状況より更に進んでいると言わ
ざるを得ないのではないか。
讃題が制定されて半世紀、霊祖遷化後初の月命日より本年
で五十年を迎える九月六日。仏法僧三宝一体の理を基として
二つを一つにし、開祖が日本三大称名の一つと絶対の確信を
のぞかせる讃題。それに新たな根本頌を定め加え一つが二つ
になる選択を苑主代表がなすのは、国際的な活動領域を持つ
に至り、上下に重層化した、百万人に届こうとする巨大な、
コミュニティと化した教苑が、「内」と「外」に大きく別れ
つつある事の証左であるように思える。
大規模かつ高度に発達した現代社会において、それを支える
様々な諸機関・諸法人が、ヒューマンエラーや不祥事等、人為
的要因によるトラブルが日々大きく取り上げられ、信頼を失い
権威を失う事が日常茶飯となっているが、宗教法人も例外とは
言い難い。 しかしながら、真如苑(僧伽)は宇宙で唯一、
真如三昧耶流を現世に現す機関であり、どれ程の問題を抱え
ようとも他に代替は存在しない。ここに我々の苦悩がある。
この様な状況の中、教団内外を問わず「仏」への信を繋ぎ
続ける為の、苑主代表の答えが常住讃であり、更には讃題との
称名の並立だったのではないか。
続く
「…摂受心院死後において苑は栄えてきたが、教化の浸透においては、
摂受心院の存命中のようにはいかなかった。…」定記より
事態は在世の開祖が憂慮した状況より更に進んでいると言わ
ざるを得ないのではないか。
讃題が制定されて半世紀、霊祖遷化後初の月命日より本年
で五十年を迎える九月六日。仏法僧三宝一体の理を基として
二つを一つにし、開祖が日本三大称名の一つと絶対の確信を
のぞかせる讃題。それに新たな根本頌を定め加え一つが二つ
になる選択を苑主代表がなすのは、国際的な活動領域を持つ
に至り、上下に重層化した、百万人に届こうとする巨大な、
コミュニティと化した教苑が、「内」と「外」に大きく別れ
つつある事の証左であるように思える。
大規模かつ高度に発達した現代社会において、それを支える
様々な諸機関・諸法人が、ヒューマンエラーや不祥事等、人為
的要因によるトラブルが日々大きく取り上げられ、信頼を失い
権威を失う事が日常茶飯となっているが、宗教法人も例外とは
言い難い。 しかしながら、真如苑(僧伽)は宇宙で唯一、
真如三昧耶流を現世に現す機関であり、どれ程の問題を抱え
ようとも他に代替は存在しない。ここに我々の苦悩がある。
この様な状況の中、教団内外を問わず「仏」への信を繋ぎ
続ける為の、苑主代表の答えが常住讃であり、更には讃題との
称名の並立だったのではないか。
続く
2017年9月9日土曜日
慧燈応現法要② ー制定の背景①ー
こうして制定された常住讃だが、過去半世紀に渡り、唱え
られてきた讃題と併せ、常住讃も根本頌(こんぽんじゅ)と
されている。こうして真如苑では二つの称名が並立する事に
なった訳だが、根本頌となる称名の並立というのは他の宗派
にもある事なのだろうか?。浅学非才にして寡聞な自分だが
これは世界的に見ても大変珍しい事なのではないだろうか。
こういった事態について予め8月中に教苑会・総部会・
親苑時報等を通じ教団側から念入りに広報が実施されており
当日の瑞教でも「これは凝縮です」とのお言葉があった。
しかしながら、敢えて「称名の並立」という少々理解に
努力を要する道を苑主代表が選択したのは何故なのか?。
もし、讃題を廃すればそれは新時代における開祖の否定に
つながり、このまま讃題のみを選べば苑主が見出した新たな
しかも重大な祈りを伝える必然性を否定してしまうのか…。
東京都の中央卸売市場移転問題で小池百合子都知事の発言
「築地は守る・豊洲は活かす」にも一見似たような状況に
如何なる意味があるのか?。
この状況を読解く鍵として、讃題と比較して常住讃から
三宝(仏・法・僧)のうち「僧(伽)=教団」の要素が
取り除かれている事に着目したい。
「…摂受心院死後において苑は栄えてきたが、教化の浸透においては、
摂受心院の存命中のようにはいかなかった。…」定記より
組織運営論めいた話だが、どうもリーダーシップというの
は二通りあると思う。組織の内外を俯瞰しメッセージと舵取
を行うトップの役割が一つ。と同時にトップの内面を理解し
組織内にそれを適切に浸透させる、牽引役としての役割。
この二つの役割を担う者が互いに協力し合って初めて組織は
動き出す事が出来る。詳細は伏せるが、これは私自身が教団
と全く関わりの無い所でこういった問題に直面した体験から
述べている。開祖が自分達夫婦の事を「一心同体ですね」と
評された時「いえ、一心一体です」と答えたエピソードを聞
いた事があるが、まこと教団事件終結以後、開祖霊祖が共に
在世の昭和42年までは、教団の運営が安定期にあり、この
真如苑において三宝一体の理が実際に実現していた時期と
言ってよいと思う。(昨年荘厳の復建真澄寺・接心道場は、
丁度この時期の教団を再現したものである)霊祖摂受心院が
当時二つに分かれていた讃題を一つに統合する旨、開祖に
願い出たのはこの時期の体験に依るものだったのではないだ
ろうか。
しかし、昭和42年霊祖遷化以降、教団における内側の
リーダーシップは衰退、平成元年開祖遷化以後この問題は
教団を継承した現苑主代表・真玲姉妹に「定記の取組み」
として引き継がれる事となったが、苑主代表自身をして
「定記の取組みは私達が生きている限り続きます」
と言わしめるほど難しいものであり、その動静は時として
外部に報道され、重要な法要の登壇の際、真玲猊下の沈痛
な面持ちの隣で、苑主代表や教務長が耐えかねた様な表情で
祈る様子が見えた時など、参座の一般教徒までがハラハラす
るような有様だったのをついこの間の様に憶えている。
この様に苑史を振り返ると、霊祖摂受心院の願いにより
三宝一体に帰依の理によって二つの称名を一つにした讃題
が、昭和42年9月6日に制定されてより半世紀、仏法僧
のうち「僧(伽)=教団」に人を得ず、その本来の宗教的
ポテンシャルを発揮しきれないまま、教苑を次代に継承する
事への大きな懸念が常住讃制定の背景にあったのではない
だろうか…
続く
られてきた讃題と併せ、常住讃も根本頌(こんぽんじゅ)と
されている。こうして真如苑では二つの称名が並立する事に
なった訳だが、根本頌となる称名の並立というのは他の宗派
にもある事なのだろうか?。浅学非才にして寡聞な自分だが
これは世界的に見ても大変珍しい事なのではないだろうか。
こういった事態について予め8月中に教苑会・総部会・
親苑時報等を通じ教団側から念入りに広報が実施されており
当日の瑞教でも「これは凝縮です」とのお言葉があった。
しかしながら、敢えて「称名の並立」という少々理解に
努力を要する道を苑主代表が選択したのは何故なのか?。
もし、讃題を廃すればそれは新時代における開祖の否定に
つながり、このまま讃題のみを選べば苑主が見出した新たな
しかも重大な祈りを伝える必然性を否定してしまうのか…。
東京都の中央卸売市場移転問題で小池百合子都知事の発言
「築地は守る・豊洲は活かす」にも一見似たような状況に
如何なる意味があるのか?。
この状況を読解く鍵として、讃題と比較して常住讃から
三宝(仏・法・僧)のうち「僧(伽)=教団」の要素が
取り除かれている事に着目したい。
「…摂受心院死後において苑は栄えてきたが、教化の浸透においては、
摂受心院の存命中のようにはいかなかった。…」定記より
組織運営論めいた話だが、どうもリーダーシップというの
は二通りあると思う。組織の内外を俯瞰しメッセージと舵取
を行うトップの役割が一つ。と同時にトップの内面を理解し
組織内にそれを適切に浸透させる、牽引役としての役割。
この二つの役割を担う者が互いに協力し合って初めて組織は
動き出す事が出来る。詳細は伏せるが、これは私自身が教団
と全く関わりの無い所でこういった問題に直面した体験から
述べている。開祖が自分達夫婦の事を「一心同体ですね」と
評された時「いえ、一心一体です」と答えたエピソードを聞
いた事があるが、まこと教団事件終結以後、開祖霊祖が共に
在世の昭和42年までは、教団の運営が安定期にあり、この
真如苑において三宝一体の理が実際に実現していた時期と
言ってよいと思う。(昨年荘厳の復建真澄寺・接心道場は、
丁度この時期の教団を再現したものである)霊祖摂受心院が
当時二つに分かれていた讃題を一つに統合する旨、開祖に
願い出たのはこの時期の体験に依るものだったのではないだ
ろうか。
しかし、昭和42年霊祖遷化以降、教団における内側の
リーダーシップは衰退、平成元年開祖遷化以後この問題は
教団を継承した現苑主代表・真玲姉妹に「定記の取組み」
として引き継がれる事となったが、苑主代表自身をして
「定記の取組みは私達が生きている限り続きます」
と言わしめるほど難しいものであり、その動静は時として
外部に報道され、重要な法要の登壇の際、真玲猊下の沈痛
な面持ちの隣で、苑主代表や教務長が耐えかねた様な表情で
祈る様子が見えた時など、参座の一般教徒までがハラハラす
るような有様だったのをついこの間の様に憶えている。
この様に苑史を振り返ると、霊祖摂受心院の願いにより
三宝一体に帰依の理によって二つの称名を一つにした讃題
が、昭和42年9月6日に制定されてより半世紀、仏法僧
のうち「僧(伽)=教団」に人を得ず、その本来の宗教的
ポテンシャルを発揮しきれないまま、教苑を次代に継承する
事への大きな懸念が常住讃制定の背景にあったのではない
だろうか…
続く
2017年9月7日木曜日
慧燈応現法要 -常住讃制定-
2017年9月6日、小雨。昨日は大規模停電による鉄道
の混乱や、旅客機の緊急着陸等、大規模な交通機関トラブル
があり、今朝もそれらについての報道が続いている。本日は
予て常住讃制定をいよいよ迎える事となった。
この常住讃、苑主代表が海外等の一般公開する法要等で
唱え始められたもので、その法要での扱われ方から外向きの
傾向が感じられたため、以前からこのブログの文末の結びに
も、慣用的に用いらせて頂いていたものが、本日改めて公に
制定されたものである。
メイン式場は応現院御宝前、内陣の登壇席は通常左右二列
づつだが、本日は左右とも三列。真如苑の最高意思決定機関
教議会のお歴々もほぼ全て登壇している様だ。11:00開式、
奉讃文を次期苑主指名の鳥飼尚之教務長が奉読する。読経、
心中祈念の直前の五遍は従来通り。公式の法要ではこれが
最後になるのだろう。読経が終わり苑主瑞教にて全苑教徒
初の常住讃唱和となる。五遍唱和したが一回毎にあるいは
高くあるいは低く唱える音調は、真如苑の今迄の声明にも
見られなかったものだ。併せて、本日の法要で祈念込めた
木札についての説明。先に発刊された親苑時報9月号にも
詳しいが、通常の縦型ではない、正五角形に近い木札の
上部に常住如来の種字を、中央に常住讃を配し、裏面には
開祖霊祖・両童子の夫々のモチーフが描かれているこれは
木札というより、むしろ真如霊界の中核を表した曼荼羅
ではないかと見える。
定記の取組みが安定して後、苑主代表の阿闍梨の意楽は
日本仏教の伝統を尊重しつつみ教えを建立した開祖の唱え
る世界観に則り、真如み教えの独自性をより強く打ち出し
てきたように見える。その行きついた先に今回の常住讃
制定もある訳だが、その祈りは如何なるものなのか…
続く
の混乱や、旅客機の緊急着陸等、大規模な交通機関トラブル
があり、今朝もそれらについての報道が続いている。本日は
予て常住讃制定をいよいよ迎える事となった。
この常住讃、苑主代表が海外等の一般公開する法要等で
唱え始められたもので、その法要での扱われ方から外向きの
傾向が感じられたため、以前からこのブログの文末の結びに
も、慣用的に用いらせて頂いていたものが、本日改めて公に
制定されたものである。
メイン式場は応現院御宝前、内陣の登壇席は通常左右二列
づつだが、本日は左右とも三列。真如苑の最高意思決定機関
教議会のお歴々もほぼ全て登壇している様だ。11:00開式、
奉讃文を次期苑主指名の鳥飼尚之教務長が奉読する。読経、
心中祈念の直前の五遍は従来通り。公式の法要ではこれが
最後になるのだろう。読経が終わり苑主瑞教にて全苑教徒
初の常住讃唱和となる。五遍唱和したが一回毎にあるいは
高くあるいは低く唱える音調は、真如苑の今迄の声明にも
見られなかったものだ。併せて、本日の法要で祈念込めた
木札についての説明。先に発刊された親苑時報9月号にも
詳しいが、通常の縦型ではない、正五角形に近い木札の
上部に常住如来の種字を、中央に常住讃を配し、裏面には
開祖霊祖・両童子の夫々のモチーフが描かれているこれは
木札というより、むしろ真如霊界の中核を表した曼荼羅
ではないかと見える。
定記の取組みが安定して後、苑主代表の阿闍梨の意楽は
日本仏教の伝統を尊重しつつみ教えを建立した開祖の唱え
る世界観に則り、真如み教えの独自性をより強く打ち出し
てきたように見える。その行きついた先に今回の常住讃
制定もある訳だが、その祈りは如何なるものなのか…
続く
2017年9月4日月曜日
慧燈霊線参拝
少々長かった改修工事が終わり今夏、慧燈霊線参拝が開始
された。慧燈院の庭先のほんの一部を改修・解放し、少々の
ギミックを追加しただけの、稚拙で些細なあっけないぐらい
の体験ではあるが、その記憶を反芻する度、自分自身が帆に
暖かい風を受け走り出す舟の様な心地がする。開祖霊祖の
祈りとは、きっとこの様に人々を勇気づける物なのだろう。
さて、この開祖が晩年の数年間を過ごした慧燈院だが、
以前は青年道場という、現在で言えば応現院の食堂棟と
修行棟を合わせた様な施設があった土地に、1970年代
後半の発祥第二精舎建立に伴い、狭小となった総本部の
発祥第一精舎にあった庫裡棟(笠法護法善神社の後方、
2010年代後半の聖地復建荘厳にて取り壊され、現在は
境内地となり頒布コーナーの仮設テントが設置されている。
青年道場の機能はその後建立された青年会館に継承された
が、それも昨年取壊され現在は真澄寺別院・第三布教会館
となっている。以前にも「布教会館」の名を冠した教団の
施設はあったが、第三布教会館が「真澄寺別院」とされて
いる事に注意したい。)
が移設されたものだった。その為建立後「慧燈院」という
名称が定まるまでの僅かな期間ではあったがこの建物を
「オミクリ」と呼んでいた時期がある。だがこの呼称は
好ましからざるものだったらしい。正式に「慧燈院」と
名称が決まった際、その理由として
『「クリ」と呼称される建物は「僧侶の住居」を表し
税法上宗教法人が受ける免除の対象外になるから』
という話が、非公式に当時の青年層にまで伝わっていた事
を憶えている。今回慧燈霊線参拝が行われ慧燈院も教徒の
参拝の場所となった事から、私もこのエピソードの開示に
踏み切った次第。
どうも自分は誤解されているのではないだろうか…
三年前のショッキングな事件を報じた際、同時に教団の持つ
閉鎖性を中心に批判を展開した自分だが、別に尊き方々の
生活の様子が見たい訳ではない。立教当初とはくらべものに
ならないくらい巨大になったこの教団の非民主的で不透明な
在り様に未来への継続の危惧を抱いているからだ。
今夏、慧燈霊線参拝に至るまで
青年会館取壊し→第三布教会館建設→慧燈院改修
のプロセスがあった訳だが、おそらくそれまで慧燈院内部に
あった教団運営機能も、第三布教会館に移転したのではない
だろうか?。確かにこの慧燈霊線参拝によって我々一般教徒
と、尊き方々の距離はより近いものになったのかもしれない
が、その陰でこの見通しの悪い教団組織が、より人知れず
隠然としたものになっているのかもしれない。
南無真如
された。慧燈院の庭先のほんの一部を改修・解放し、少々の
ギミックを追加しただけの、稚拙で些細なあっけないぐらい
の体験ではあるが、その記憶を反芻する度、自分自身が帆に
暖かい風を受け走り出す舟の様な心地がする。開祖霊祖の
祈りとは、きっとこの様に人々を勇気づける物なのだろう。
さて、この開祖が晩年の数年間を過ごした慧燈院だが、
以前は青年道場という、現在で言えば応現院の食堂棟と
修行棟を合わせた様な施設があった土地に、1970年代
後半の発祥第二精舎建立に伴い、狭小となった総本部の
発祥第一精舎にあった庫裡棟(笠法護法善神社の後方、
2010年代後半の聖地復建荘厳にて取り壊され、現在は
境内地となり頒布コーナーの仮設テントが設置されている。
青年道場の機能はその後建立された青年会館に継承された
が、それも昨年取壊され現在は真澄寺別院・第三布教会館
となっている。以前にも「布教会館」の名を冠した教団の
施設はあったが、第三布教会館が「真澄寺別院」とされて
いる事に注意したい。)
が移設されたものだった。その為建立後「慧燈院」という
名称が定まるまでの僅かな期間ではあったがこの建物を
「オミクリ」と呼んでいた時期がある。だがこの呼称は
好ましからざるものだったらしい。正式に「慧燈院」と
名称が決まった際、その理由として
『「クリ」と呼称される建物は「僧侶の住居」を表し
税法上宗教法人が受ける免除の対象外になるから』
という話が、非公式に当時の青年層にまで伝わっていた事
を憶えている。今回慧燈霊線参拝が行われ慧燈院も教徒の
参拝の場所となった事から、私もこのエピソードの開示に
踏み切った次第。
どうも自分は誤解されているのではないだろうか…
三年前のショッキングな事件を報じた際、同時に教団の持つ
閉鎖性を中心に批判を展開した自分だが、別に尊き方々の
生活の様子が見たい訳ではない。立教当初とはくらべものに
ならないくらい巨大になったこの教団の非民主的で不透明な
在り様に未来への継続の危惧を抱いているからだ。
今夏、慧燈霊線参拝に至るまで
青年会館取壊し→第三布教会館建設→慧燈院改修
のプロセスがあった訳だが、おそらくそれまで慧燈院内部に
あった教団運営機能も、第三布教会館に移転したのではない
だろうか?。確かにこの慧燈霊線参拝によって我々一般教徒
と、尊き方々の距離はより近いものになったのかもしれない
が、その陰でこの見通しの悪い教団組織が、より人知れず
隠然としたものになっているのかもしれない。
南無真如
2017年7月17日月曜日
現実⇔虚構(メディア⇔宗教(尊格))
もし、自分に曼荼羅を描く機会があれば、きっとその片隅
にゴジラを入れると思う。
何処で知ったか分明ではないが、宗教の存在意義について
こんな図を見たことがある。
(これに「政治」を加えた4円だったかも…)
実は、高度に発達した現代のメディア・コンテンツも
これと似たような構造を持っているのではないだろうか。
こんな感じだろうか…
もう少し具体的にシン・ゴジラをこれで表現してみる
こんな感じだろうか…
ゴジラとは何か?と問われて今までにこんな指摘がある。
1、第二次大戦の戦死者の亡霊
2、原水爆及びその実験による惨劇の象徴
3、公害
シン・ゴジラでは更に以下が加わる。
4、東日本大震災
5、福島第一原発事故
以上1~5に共通するのは
戦後の繁栄の陰にあるものの象徴
という事ではないだろうか。シン・ゴジラの「シン」には
観た人の取り様によって多様な意味が発生するが、作中
ゴジラを「神」と名付けたと謂れが語られるシーンが
ある。
少々長く前提を語り過ぎたか。現代は神への信仰が失われ
つつある時代と指摘され、それに代わる可能性のあるもの
としてキャラクターを指摘する識者もいる。
識者が指摘する様、信仰が失われつつあると言われる現代
昭和29年初上映時より60有余年、幾多の紆余曲折を経、
日本だけでなく海外においても新作が作られ多くの人々の
心を惹きつける、戦後の繁栄の陰が形になって顕れた様な
ゴジラという怪獣=キャラクターが、もしも宗教の世界で
尊格として成立するなら、一体どれほどのポテンシャルを
持つものか…。そんな事を考えるに至った今日この頃。
七月、お盆も近い頃、夫々ゴジラ絡みのイベントが行わ
れる鹿児島と愛知が大地震や記録的豪雨に見舞われ、その上
こんな目撃情報まで出て来ると「現実対虚構」のサブタイが
もしや、そんな目に見えない想念の世界と現実を繋げてしま
ったのではないか…。
「・・・・・・・・・・・・・ただ偶像を
拝むのではない、有形に信じていくため
にこのご尊像が必要なのです・・・・・」
どうやら自分は自分は開祖の説く仏を信じるすじみちと
同じ論理で、ゴジラに戦後の繁栄の陰を見ている様だ。
ならば、ゴジラを通じ現代の日本の繁栄の陰に廻向する
事も可能なはず。
南無真如
にゴジラを入れると思う。
何処で知ったか分明ではないが、宗教の存在意義について
こんな図を見たことがある。
(これに「政治」を加えた4円だったかも…)
実は、高度に発達した現代のメディア・コンテンツも
これと似たような構造を持っているのではないだろうか。
こんな感じだろうか…
もう少し具体的にシン・ゴジラをこれで表現してみる
こんな感じだろうか…
ゴジラとは何か?と問われて今までにこんな指摘がある。
1、第二次大戦の戦死者の亡霊
2、原水爆及びその実験による惨劇の象徴
3、公害
シン・ゴジラでは更に以下が加わる。
4、東日本大震災
5、福島第一原発事故
以上1~5に共通するのは
戦後の繁栄の陰にあるものの象徴
という事ではないだろうか。シン・ゴジラの「シン」には
観た人の取り様によって多様な意味が発生するが、作中
ゴジラを「神」と名付けたと謂れが語られるシーンが
ある。
少々長く前提を語り過ぎたか。現代は神への信仰が失われ
つつある時代と指摘され、それに代わる可能性のあるもの
としてキャラクターを指摘する識者もいる。
識者が指摘する様、信仰が失われつつあると言われる現代
昭和29年初上映時より60有余年、幾多の紆余曲折を経、
日本だけでなく海外においても新作が作られ多くの人々の
心を惹きつける、戦後の繁栄の陰が形になって顕れた様な
ゴジラという怪獣=キャラクターが、もしも宗教の世界で
尊格として成立するなら、一体どれほどのポテンシャルを
持つものか…。そんな事を考えるに至った今日この頃。
七月、お盆も近い頃、夫々ゴジラ絡みのイベントが行わ
れる鹿児島と愛知が大地震や記録的豪雨に見舞われ、その上
こんな目撃情報まで出て来ると「現実対虚構」のサブタイが
もしや、そんな目に見えない想念の世界と現実を繋げてしま
ったのではないか…。
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| シン・ゴジラ論 |
「・・・・・・・・・・・・・ただ偶像を
拝むのではない、有形に信じていくため
にこのご尊像が必要なのです・・・・・」
どうやら自分は自分は開祖の説く仏を信じるすじみちと
同じ論理で、ゴジラに戦後の繁栄の陰を見ている様だ。
ならば、ゴジラを通じ現代の日本の繁栄の陰に廻向する
事も可能なはず。
南無真如
2017年7月3日月曜日
活きた法流
ここ数か月ほど、重要な法要に参座する際は、可能な限り開式より1~2時間ほど早く境内に参拝し、弁才天法の修法
を拝させて頂いているが、どうも修法にかかる時間の内、
笠法稲荷社殿での礼拝にかける割合が以前より長くなって
いる様に思われる。これは修法にかかる時間を実際に測った
訳でもないし、ましてや自分は加行を頂く身でもないので
単なる印象にしか過ぎないのだが、本日も同じ様に立会って
見て益々それが強くなった。もしかしたら修法の内実は、
弁才天法というよりは護法善神法とでもいうべきものに
なっているのでは…、と不遜な想像を巡らしている。
以前、真如苑で霊示により笠法護法善神の真言が新たに
制定された事を報じたが、尊格に新たに真言が制定される
という事は只それだけに留まらない。大は法要の式次第や
修法に始まり、小は一般教徒の勤行に至るまで、新たな咒
をそれまでの修法の中にどの様に納めていくかという問題
があればこそ、発表から昨年の寒修行に至ってのお唱え初め
であり、更には今年の初午会まで段階を踏んでの、法会の
拡充だったのではないだろうか?。
更にはそれ以前、「笠法護法善神の顕揚」が霊示された
背景には、真如苑の聖地復建は元より、先年平成25年の
伊勢神宮・式年遷宮や出雲大社・平成の大遷宮などによる
日本の神さまへの意識の高まりもあるのかもしれない。
真如苑(悠音精舎)では神仏習合について岡本彰夫氏の
講演が行われている。(歓喜世界249~251連載)
常常この様な変化が、真如苑において様々に起るのは
真如三昧耶流が活きた法流だからであろう。活きている
というのは、常に内外に様々な変化があるという事である。
「活きている」という事は、時として生々しい。涅槃経
の研究で知られる下田正弘氏も、以前苑での講演の中で
真如仏塔や開祖霊祖・両童子のみ像への参拝について
「ここは分水嶺」と評されている。現代社会に生き、人権
等の様々な観念を発達させた我々にとって、現在進行形で
こういう事があると、受容れ難い感覚に執われるのも無理もない話かもしれない。数か月前にもこんな投稿があった。
しかしながら、時宗の一遍上人や、浄土真宗の親鸞聖人
等の祖師信仰という観点から真如苑を見た時、それほど
不自然な事をしているとはいいがたいのだ。
南無真如
を拝させて頂いているが、どうも修法にかかる時間の内、
笠法稲荷社殿での礼拝にかける割合が以前より長くなって
いる様に思われる。これは修法にかかる時間を実際に測った
訳でもないし、ましてや自分は加行を頂く身でもないので
単なる印象にしか過ぎないのだが、本日も同じ様に立会って
見て益々それが強くなった。もしかしたら修法の内実は、
弁才天法というよりは護法善神法とでもいうべきものに
なっているのでは…、と不遜な想像を巡らしている。
以前、真如苑で霊示により笠法護法善神の真言が新たに
制定された事を報じたが、尊格に新たに真言が制定される
という事は只それだけに留まらない。大は法要の式次第や
修法に始まり、小は一般教徒の勤行に至るまで、新たな咒
をそれまでの修法の中にどの様に納めていくかという問題
があればこそ、発表から昨年の寒修行に至ってのお唱え初め
であり、更には今年の初午会まで段階を踏んでの、法会の
拡充だったのではないだろうか?。
更にはそれ以前、「笠法護法善神の顕揚」が霊示された
背景には、真如苑の聖地復建は元より、先年平成25年の
伊勢神宮・式年遷宮や出雲大社・平成の大遷宮などによる
日本の神さまへの意識の高まりもあるのかもしれない。
真如苑(悠音精舎)では神仏習合について岡本彰夫氏の
講演が行われている。(歓喜世界249~251連載)
常常この様な変化が、真如苑において様々に起るのは
真如三昧耶流が活きた法流だからであろう。活きている
というのは、常に内外に様々な変化があるという事である。
「活きている」という事は、時として生々しい。涅槃経
の研究で知られる下田正弘氏も、以前苑での講演の中で
真如仏塔や開祖霊祖・両童子のみ像への参拝について
「ここは分水嶺」と評されている。現代社会に生き、人権
等の様々な観念を発達させた我々にとって、現在進行形で
こういう事があると、受容れ難い感覚に執われるのも無理もない話かもしれない。数か月前にもこんな投稿があった。
しかしながら、時宗の一遍上人や、浄土真宗の親鸞聖人
等の祖師信仰という観点から真如苑を見た時、それほど
不自然な事をしているとはいいがたいのだ。
南無真如
2015年10月1日木曜日
斉燈護摩を控えて-四天王奉安の動機
地図で見ると判るのだが、真如苑山梨別院斉燈護摩道場では、
護法善神の御堂と、レストハウスや食堂棟以外の、仏を祀る処総て、
精舎は勿論、斉燈護摩を修する護摩壇に至るまで、諸尊は南東を向き礼拝者は総て北西を向く事になる。この配置条件によって護摩壇
の四隅は大凡東西南北を向く事になる。ここで毎年10月初旬に修さ
れる、伝燈の法脈に則り真如密に即して行われる斉燈護摩において
道場の四方(東西南北)と中央に、護摩の火点に先立ち、五大明王の降臨を請い願い、修法の無魔成弁の為道場を結界する所作法が
行われる。
この様に護摩の際に五大明王によって道場が結界されるのだが、
今夏友心院にて奉安された四天王も結界を張る尊格である。
須弥山世界の東西南北にあって仏の世界を守護しているとされる。
いわば本年からの斉燈護摩は五大明王の結界に加え、四天王の
冥護によってより篤い護りの中に行われることになるのだろう。
この様に考えてみると、今夏東西南北に身を置き結界をなす尊格
を奉安した背景の一つに、昨年の事件があった様に思えてならない。
あれ以来、慧燈院通用門前には警備員が終日立哨し、施設の塀
にはカバーこそかけてあるものの、刺股と思しき捕具が立てかけられて
いる様子がgoogle street viewで確認できる。
『斉燈護摩当日の真澄寺、普段より結構早い時間に出仕。苑主
代表をはじめ、主だった職員は、前日より現地山梨別院に出張り、
法要の生中継もあるので一般参座の信徒も迎えねばならず、朝から非常慌ただしい。そんな中、第一布教会館から慧燈院通用門へ
移動中、妙な雰囲気の中年男性に声をかけられる。話を聞いてみれ
ば現在山梨にいる「苑主に会いたい」等と奇体な事を言い出す。どう
やら少々ズレた御仁の様だ。多忙の折でもあるので体よくあしらって
早く所用に取り掛かろうと男性に背を向けたその刹那…』
数少ない手がかりの中、上記に事件の起こった様子を報道記事と
想像を交えて簡単に描いてみた。背後から腰部を刺された所を見ると
被疑者に背を向けた状態があったのは間違いないと思われる。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「左様・・・・・・」
慶次郎が考え考え云った。
「強いて申さば、意地とでも申しましょうか」
「意地?」
秀吉が目を瞬かせた。理解出来ないというしるしである。
「かぶき者の意地、と申すか」
「人としての意地でござる」
慶次郎の反駁は間髪をいれなかった。
関白であろうと牢人であろうと同じ人である。面白半分
に人が人を呼びつけ、曝しものにしていいわけがない。正し
く思い上がりであろう。呼びつけられ、曝し者にされた男は
相手を刺すことによってのみ、相手もまた人に過ぎないこ
とを強力に証明することが出来る。思い上りに対する痛烈
なしっぺ返しである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
隆慶一郎著「一夢庵風流記」より
勿論、上記赤字引用部は虚構の世界でのみ通用する論理でしか
ない。被害者の男性職員は別に容疑者の男性を曝し者にした訳ではない。おかしな輩に深入りしないのも処世の知恵の一つではある。
だが、刺された男性は苑主代表が聖職者と規定する教団職員で
ある。彼がもし、相手が妙な人物だからと、人を人とも思わぬ対応を
したとすれば、それが果たして聖職者として相応しい振舞いだっただろう
か?。護法の御力が強くなった今なら猶更、そんな思い上がりが許さ
れるはずがない。
南無真如
護法善神の御堂と、レストハウスや食堂棟以外の、仏を祀る処総て、
精舎は勿論、斉燈護摩を修する護摩壇に至るまで、諸尊は南東を向き礼拝者は総て北西を向く事になる。この配置条件によって護摩壇
の四隅は大凡東西南北を向く事になる。ここで毎年10月初旬に修さ
れる、伝燈の法脈に則り真如密に即して行われる斉燈護摩において
道場の四方(東西南北)と中央に、護摩の火点に先立ち、五大明王の降臨を請い願い、修法の無魔成弁の為道場を結界する所作法が
行われる。
この様に護摩の際に五大明王によって道場が結界されるのだが、
今夏友心院にて奉安された四天王も結界を張る尊格である。
須弥山世界の東西南北にあって仏の世界を守護しているとされる。
いわば本年からの斉燈護摩は五大明王の結界に加え、四天王の
冥護によってより篤い護りの中に行われることになるのだろう。
この様に考えてみると、今夏東西南北に身を置き結界をなす尊格
を奉安した背景の一つに、昨年の事件があった様に思えてならない。
あれ以来、慧燈院通用門前には警備員が終日立哨し、施設の塀
にはカバーこそかけてあるものの、刺股と思しき捕具が立てかけられて
いる様子がgoogle street viewで確認できる。
『斉燈護摩当日の真澄寺、普段より結構早い時間に出仕。苑主
代表をはじめ、主だった職員は、前日より現地山梨別院に出張り、
法要の生中継もあるので一般参座の信徒も迎えねばならず、朝から非常慌ただしい。そんな中、第一布教会館から慧燈院通用門へ
移動中、妙な雰囲気の中年男性に声をかけられる。話を聞いてみれ
ば現在山梨にいる「苑主に会いたい」等と奇体な事を言い出す。どう
やら少々ズレた御仁の様だ。多忙の折でもあるので体よくあしらって
早く所用に取り掛かろうと男性に背を向けたその刹那…』
数少ない手がかりの中、上記に事件の起こった様子を報道記事と
想像を交えて簡単に描いてみた。背後から腰部を刺された所を見ると
被疑者に背を向けた状態があったのは間違いないと思われる。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「左様・・・・・・」
慶次郎が考え考え云った。
「強いて申さば、意地とでも申しましょうか」
「意地?」
秀吉が目を瞬かせた。理解出来ないというしるしである。
「かぶき者の意地、と申すか」
「人としての意地でござる」
慶次郎の反駁は間髪をいれなかった。
関白であろうと牢人であろうと同じ人である。面白半分
に人が人を呼びつけ、曝しものにしていいわけがない。正し
く思い上がりであろう。呼びつけられ、曝し者にされた男は
相手を刺すことによってのみ、相手もまた人に過ぎないこ
とを強力に証明することが出来る。思い上りに対する痛烈
なしっぺ返しである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
隆慶一郎著「一夢庵風流記」より
勿論、上記赤字引用部は虚構の世界でのみ通用する論理でしか
ない。被害者の男性職員は別に容疑者の男性を曝し者にした訳ではない。おかしな輩に深入りしないのも処世の知恵の一つではある。
だが、刺された男性は苑主代表が聖職者と規定する教団職員で
ある。彼がもし、相手が妙な人物だからと、人を人とも思わぬ対応を
したとすれば、それが果たして聖職者として相応しい振舞いだっただろう
か?。護法の御力が強くなった今なら猶更、そんな思い上がりが許さ
れるはずがない。
南無真如
2015年9月6日日曜日
両部不二、慧印、そして真如 -その2- 文献研究の視座から
空海が唐で恵果阿闍梨より受法し、日本に請来した両部密教で「両部の大経」とされている大日経と金剛頂経。この二つが全く別個に発達した事は前回述べた。同じ密教とはいえ、思想的脈絡にも乏しく
修行の方法にも大きく隔たりがあると指摘されている。以下に相違点
を簡単にまとめる。
大日経(胎蔵) 金剛頂経(金剛界)
区分(チベット) 行タントラ 瑜伽タントラ
発達段階 大乗⇔密教 完全に密教化
過渡的
修行の特徴 段階的(漸悟) 頓悟
時間重視 無時間的
更に、津田真一氏はこの両経の特徴を著書「反密教学」で、
大日経(胎蔵) 金剛頂経(金剛界)
利他行の宗教 瑜伽の宗教
慈悲の宗教 即身成仏
とし、この両経を
『・・・「両立不可能にして、且つ、二者択一不可避」な関係にある
ことです。第三の選択肢は無いし、両項をジンテーティッシュに総合
する第三項もない。・・・』(「反密教学・密教理解の原位置」より)
事から、これを<Criticality>と表現、両部不二密教は成立しえ
ないとしている。
果たして、両部不二密教は本当に成立しえないのだろうか…
修行の方法にも大きく隔たりがあると指摘されている。以下に相違点
を簡単にまとめる。
大日経(胎蔵) 金剛頂経(金剛界)
区分(チベット) 行タントラ 瑜伽タントラ
発達段階 大乗⇔密教 完全に密教化
過渡的
修行の特徴 段階的(漸悟) 頓悟
時間重視 無時間的
更に、津田真一氏はこの両経の特徴を著書「反密教学」で、
大日経(胎蔵) 金剛頂経(金剛界)
利他行の宗教 瑜伽の宗教
慈悲の宗教 即身成仏
とし、この両経を
『・・・「両立不可能にして、且つ、二者択一不可避」な関係にある
ことです。第三の選択肢は無いし、両項をジンテーティッシュに総合
する第三項もない。・・・』(「反密教学・密教理解の原位置」より)
事から、これを<Criticality>と表現、両部不二密教は成立しえ
ないとしている。
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| 反密教学 |
果たして、両部不二密教は本当に成立しえないのだろうか…
続く
2015年8月5日水曜日
両部不二、慧印、そして真如 -その1- 密教史概観
どうも、密教の法流血脈というのは二つに分かれる性質がある
のだろうか。五世紀になって衰退が始まった仏教の中で生まれた
密教は、まず7~8世紀に中国を通じ日本へ伝来した両部不二
密教の基となる中期密教(行タントラ=大日経・胎蔵、愉伽タント
ラ=金剛頂経・金剛界)と、インドで仏教終焉の日まで発達し続
けた後、チベット等を中心に伝えられた後期密教に枝分かれす
る。その後、中国に渡った密教は、唐の時代にこの地を訪れた
空海や最澄らによって日本に伝来するが、正統の密教を求める
過程において両者は断絶してしまい、日本の密教は真言宗(東密)と天台宗(台密)の二大宗派に分かれて発達する事になる。
更に真言宗においては空海入定後、都市を中心に発達した広沢
遍照寺の寛朝僧正の大成した広沢流と、日本古来の修験道との関連の深い小野曼荼羅寺の仁海僧正の大成した小野流から、
それぞれ六流に別れ野沢十二流を形成する。院政期において、
この広範な分派の状況を鑑み、空海の伝えた真の法流の姿を求
めんと、自らに帰依する鳥羽上皇の権威を後楯に諸派の阿闍梨より伝授を受けた覚鑁は、伝法院流と称する統一法流を確立、
更に当時衰退しつつあった高野山の復興に尽力するも、高野山経営の問題や保守派衆徒の反発等の為、根来寺に引き下がら
ざるを得なくなる。これによってかえって真言宗は高野山や東寺
を主とする古義真言宗と、覚鑁の打ち立てた法流を基とする新義
真言宗の二派に大きく分裂する事になる。
中期密教(日本)と後期密教(チベット)、真言宗(東密)と天台宗
(台密)、小野流と広沢流、古義真言と新義真言。常に分裂を繰り
返しているかに見える密教の法流だが、殆ど唯一の例外と言え
そうなのが、夫々別の時期、地域で発展した大日経系の密教と、
金剛頂経系の密教を、別々の師から伝授された、真言第七祖の
恵果阿闍梨ではないだろうか。恵果阿闍梨が異なる二つの法流
を相承する事が出来なければ、今日の両部不二の日本密教は
存在しえなかっただろう。
つづく
のだろうか。五世紀になって衰退が始まった仏教の中で生まれた
密教は、まず7~8世紀に中国を通じ日本へ伝来した両部不二
密教の基となる中期密教(行タントラ=大日経・胎蔵、愉伽タント
ラ=金剛頂経・金剛界)と、インドで仏教終焉の日まで発達し続
けた後、チベット等を中心に伝えられた後期密教に枝分かれす
る。その後、中国に渡った密教は、唐の時代にこの地を訪れた
空海や最澄らによって日本に伝来するが、正統の密教を求める
過程において両者は断絶してしまい、日本の密教は真言宗(東密)と天台宗(台密)の二大宗派に分かれて発達する事になる。
更に真言宗においては空海入定後、都市を中心に発達した広沢
遍照寺の寛朝僧正の大成した広沢流と、日本古来の修験道との関連の深い小野曼荼羅寺の仁海僧正の大成した小野流から、
それぞれ六流に別れ野沢十二流を形成する。院政期において、
この広範な分派の状況を鑑み、空海の伝えた真の法流の姿を求
めんと、自らに帰依する鳥羽上皇の権威を後楯に諸派の阿闍梨より伝授を受けた覚鑁は、伝法院流と称する統一法流を確立、
更に当時衰退しつつあった高野山の復興に尽力するも、高野山経営の問題や保守派衆徒の反発等の為、根来寺に引き下がら
ざるを得なくなる。これによってかえって真言宗は高野山や東寺
を主とする古義真言宗と、覚鑁の打ち立てた法流を基とする新義
真言宗の二派に大きく分裂する事になる。
中期密教(日本)と後期密教(チベット)、真言宗(東密)と天台宗
(台密)、小野流と広沢流、古義真言と新義真言。常に分裂を繰り
返しているかに見える密教の法流だが、殆ど唯一の例外と言え
そうなのが、夫々別の時期、地域で発展した大日経系の密教と、
金剛頂経系の密教を、別々の師から伝授された、真言第七祖の
恵果阿闍梨ではないだろうか。恵果阿闍梨が異なる二つの法流
を相承する事が出来なければ、今日の両部不二の日本密教は
存在しえなかっただろう。
つづく
2015年3月19日木曜日
真如-その視覚的表現(その3)
さるH25/3/2、以前著書を紹介した事もある正木晃氏が応現院
にて「あの世と仏教 霊魂・葬儀・先祖供養」の題で講演をして
いるのを、常楽我浄にてご覧になった方もおられる事と思う。
(直近の再放送はこちら)
実はこの講演、教苑内で発表当初は曼荼羅がテーマだった。
応現院食堂棟の告知掲示物が、突然修正されているのを見て、
とても奇異に感じた事を今もはっきり覚えている。本年の寒修行
瑞教にて、苑主代表より真如苑大日如来像について話を聞くに
改めて、先の講演テーマ変更の件が思い出され、正木晃氏が
当初の予定通り曼荼羅をテーマに講演したらどんな内容だった
だろうかと、改めて氏の著作をチェックした中に
ガナ(集団)チャクラ(輪)=人間マンダラ
なる儀礼が紹介されていた。日本の密教は7世紀頃、インドから中国を通じて伝わった中期密教を基として発展したものだが、
その後もインドでは密教は別個に発展を続け、8世紀に性行為
を修行に導入した後期密教が登場する。元々インドではマンダラ
を地面に描く事が密教初期から行われていたが、後期密教の
マンダラには選りによって、墓場で死体の腸によって描かれ、
その上で生身の男女の修行者達が性的ヨーガを中心とする
儀礼を行ずるのだという。これをガナチャクラと言うのだそうだ。
真におどろおどろしい光景が描写されるのだが、ここでふと
思い出したのが普段真如教徒が通常取組む向上接心。実は
これも『集団』で『輪』を描いて取り組む修行である。接心者は
内側を向いて輪を描いて座り、接心をとる霊能者はその輪の
内側に座り接心者に相対する。霊能者は一人の接心をとると
基本的にはその左隣りの接心者の前に移る。
修行そのものだけではない。この接心の『輪』に入る為に
待機する接心者も30人程度を1グループとして『輪』と呼ばれ
案内・誘導の際管理されている。この様な修行が下記に引用
したような穏やかな日常的な雰囲気の中行われている。
この様な一般人がその社会性を喪失せず、日常を通じて
本来峻厳な中に追求されるような悟りを求めていく事ができる
修行が実現した背景には、これまでも教苑において讃迎されて
きた開祖霊祖の苦難の取組み、両童子の抜苦代受は元より、
仏教、そして密教がインドで発祥し現代日本に真如三昧耶流
が生まれるまでの法流血脈が辿ってきた歴史的観点から
いえば、唐・律令国家下における「金胎両部の相承」に始ま
って、恵印三昧耶法の「実修実証」の精神、そしておそらく
最後の要素として、大般涅槃経を以って、総ての人々への
「悟りへのインターフェース」と、その総てが
「悟りへの到達と社会性の両立」
とでも謂うべき一貫性を持っているように思われる。
この接心の『輪』に入ると言う事は、即、この身このまま、
真如曼荼羅界会の世界に入っている事ではないだろうか。
『まるで病院のよう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
応現院を訪れると、その大きさ、駐車場の広さにまず驚かされるが、全体の雰囲気は大学
のキャンパスに近い。ただ、屋根の上に、金の相輪が輝いている点が宗教施設だということを
示している。
一階の広いロビーに入ってみると、たくさんの信者であふれているが、両側には受付が並ん
でいて、それはまるで病院の受付を思わせる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何より印象的なのは、そこに非日常的な雰囲気が漂っていない点である。一人一人の信者
がどの程度の頻度で応現院を訪れるのかはわからないが、なかには遠方からやってきた人
たちもいるはずである。その点で、そこは日常の場ではなく、非日常の場であるはずだが、
そうした雰囲気がない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日常的な宗教
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そもそも霊能者は特殊な格好をしていないし、入神するのに本尊に向かって印を結び、唱え
言をするだけである。教団では、誰もが霊能者になることができるとしている。霊能者が一人
の信者に相対する時間も三分程度で、霊能者が発する霊言の内容も、教えを再確認したり、
先祖の不幸を聞き出したり、信者の健康状態を確かめるといったものである。霊能者自身、
霊からのことばを仲介しているというよりも、自らの直感にしたがってアドバイスを行っていると
認識している。そして、自らの接心が終わると、信者たちはその場を去っていく。霊能者にし
ても、接心が終われば、入神を解き、やはりその場を退いていく。
こうした接心は、シャーマニズム的な神憑りというよりも、カウンセリングに近い。初期の
教団では、激しい霊動が起こったこともあったようだが、今ではそうではない。受付の雰囲気
と相まって、まさに応現院はスピリチュアルな病院なのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
(島田裕巳著『日本の10大新宗教』9-真如苑 より)
追記
近年、接心のカウンセリングとしての側面のみが重視され
接心において『輪』を作る事の霊的な意味を忘れたかの如き
会座運営がされる事が見受けられる。現代社会に生きる
一般教徒各個人の事情を配慮した結果と感謝に受止める
反面、真如苑の接心修行において『輪』をつくる事の意味を
今一度深める契機になればとこれを著した次第。
南無真如
にて「あの世と仏教 霊魂・葬儀・先祖供養」の題で講演をして
いるのを、常楽我浄にてご覧になった方もおられる事と思う。
(直近の再放送はこちら)
実はこの講演、教苑内で発表当初は曼荼羅がテーマだった。
応現院食堂棟の告知掲示物が、突然修正されているのを見て、
とても奇異に感じた事を今もはっきり覚えている。本年の寒修行
瑞教にて、苑主代表より真如苑大日如来像について話を聞くに
改めて、先の講演テーマ変更の件が思い出され、正木晃氏が
当初の予定通り曼荼羅をテーマに講演したらどんな内容だった
だろうかと、改めて氏の著作をチェックした中に
ガナ(集団)チャクラ(輪)=人間マンダラ
なる儀礼が紹介されていた。日本の密教は7世紀頃、インドから中国を通じて伝わった中期密教を基として発展したものだが、
その後もインドでは密教は別個に発展を続け、8世紀に性行為
を修行に導入した後期密教が登場する。元々インドではマンダラ
を地面に描く事が密教初期から行われていたが、後期密教の
マンダラには選りによって、墓場で死体の腸によって描かれ、
その上で生身の男女の修行者達が性的ヨーガを中心とする
儀礼を行ずるのだという。これをガナチャクラと言うのだそうだ。
真におどろおどろしい光景が描写されるのだが、ここでふと
思い出したのが普段真如教徒が通常取組む向上接心。実は
これも『集団』で『輪』を描いて取り組む修行である。接心者は
内側を向いて輪を描いて座り、接心をとる霊能者はその輪の
内側に座り接心者に相対する。霊能者は一人の接心をとると
基本的にはその左隣りの接心者の前に移る。
修行そのものだけではない。この接心の『輪』に入る為に
待機する接心者も30人程度を1グループとして『輪』と呼ばれ
案内・誘導の際管理されている。この様な修行が下記に引用
したような穏やかな日常的な雰囲気の中行われている。
この様な一般人がその社会性を喪失せず、日常を通じて
本来峻厳な中に追求されるような悟りを求めていく事ができる
修行が実現した背景には、これまでも教苑において讃迎されて
きた開祖霊祖の苦難の取組み、両童子の抜苦代受は元より、
仏教、そして密教がインドで発祥し現代日本に真如三昧耶流
が生まれるまでの法流血脈が辿ってきた歴史的観点から
いえば、唐・律令国家下における「金胎両部の相承」に始ま
って、恵印三昧耶法の「実修実証」の精神、そしておそらく
最後の要素として、大般涅槃経を以って、総ての人々への
「悟りへのインターフェース」と、その総てが
「悟りへの到達と社会性の両立」
とでも謂うべき一貫性を持っているように思われる。
この接心の『輪』に入ると言う事は、即、この身このまま、
真如曼荼羅界会の世界に入っている事ではないだろうか。
『まるで病院のよう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
応現院を訪れると、その大きさ、駐車場の広さにまず驚かされるが、全体の雰囲気は大学
のキャンパスに近い。ただ、屋根の上に、金の相輪が輝いている点が宗教施設だということを
示している。
一階の広いロビーに入ってみると、たくさんの信者であふれているが、両側には受付が並ん
でいて、それはまるで病院の受付を思わせる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何より印象的なのは、そこに非日常的な雰囲気が漂っていない点である。一人一人の信者
がどの程度の頻度で応現院を訪れるのかはわからないが、なかには遠方からやってきた人
たちもいるはずである。その点で、そこは日常の場ではなく、非日常の場であるはずだが、
そうした雰囲気がない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日常的な宗教
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そもそも霊能者は特殊な格好をしていないし、入神するのに本尊に向かって印を結び、唱え
言をするだけである。教団では、誰もが霊能者になることができるとしている。霊能者が一人
の信者に相対する時間も三分程度で、霊能者が発する霊言の内容も、教えを再確認したり、
先祖の不幸を聞き出したり、信者の健康状態を確かめるといったものである。霊能者自身、
霊からのことばを仲介しているというよりも、自らの直感にしたがってアドバイスを行っていると
認識している。そして、自らの接心が終わると、信者たちはその場を去っていく。霊能者にし
ても、接心が終われば、入神を解き、やはりその場を退いていく。
こうした接心は、シャーマニズム的な神憑りというよりも、カウンセリングに近い。初期の
教団では、激しい霊動が起こったこともあったようだが、今ではそうではない。受付の雰囲気
と相まって、まさに応現院はスピリチュアルな病院なのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
(島田裕巳著『日本の10大新宗教』9-真如苑 より)
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| マンダラとは何か |
追記
近年、接心のカウンセリングとしての側面のみが重視され
接心において『輪』を作る事の霊的な意味を忘れたかの如き
会座運営がされる事が見受けられる。現代社会に生きる
一般教徒各個人の事情を配慮した結果と感謝に受止める
反面、真如苑の接心修行において『輪』をつくる事の意味を
今一度深める契機になればとこれを著した次第。
南無真如
2015年3月17日火曜日
真如-その視覚的表現(その2)
「早く郷国に帰りて、以って国家に奉り、
天下に流布して、蒼生の福を増せ。
然らば即ち四海泰く、万人楽しまん」
(『御請来目録』より)
ここで本年1/25の寒修行瑞教にて発表のあった、友心院に
ついての予定、以下の二点に触れておきたい。
①真如苑大日如来安置
さる3/5に総本部第一精舎にて真如密により入仏開眼された
真如苑大日如来像は、Yushin Annex(旧称:友心院B館)に
移送・安置され、いわゆるギャラリー形式で大日如来像を中心
として真如曼荼羅世界が表現される。4/27にプレオープン。
広く社会に向け真如曼荼羅界会の世界を明らかにしていく
ものと思われる。暫くは現地も混雑が激しいだろう。落ち着いた
頃レポートしたい。
②四天王奉安
10/18に復建接心道場にて行われる予定の護法善神入魂法要
と『呼応』して、友心院に四天王が奉安される。法要の企画として
総本部と友心院の2つの拠処を映像回線等相互中継し、一方の
拠処に修法の導師として苑主代表が、もう一方に鳥飼尚之氏
ら教務長クラスの教団職員を副導師として派遣し、同時進行で
執行される事が予想される。
ところで友心院において
四天王はどの様に祀られるのだろうか?
今まで真如苑において四天王といえば総本部第二精舎や、
応現院菩薩の間等、十一面観世音菩薩の脇侍として祀られる
姿が一般教徒にとって馴染み深いのではないだろうか。(他に
金剛寿命陀羅尼にその姿が見受けられる)しかし今回の発表
では、本年の精進目標
ー親苑の荘厳に 護法の精神で 真如済摂を広げるー
の元、真如苑地霊系護法善神・笠法稲荷護法善神への独自
の真言制定等、護法善神全体の存在のクローズアップがなさ
れる中、同じ一環で、これまで教苑にない形で四天王自身が
『真如苑の玄関』とも位置づけられる友心院において今までの
様に単なる一菩薩尊格の脇侍としてのみ祀られる事は、少々
考え難い。2つ程のパターンを想像してみる。
友心院の1F玄関ロビーには他の教団施設には無い、開祖
謹刻の成年の聖徳太子像が祀られており、これを以って
教苑の次のステージの入口の象徴としている事から、これと
関連付けた祀り方が考えられる。
もう一点、上記の通り友心院が『真如苑の玄関』である事、
その立地が現代日本の政治や経済の中心・千代田区である事
(これを利用する主たる人の層も推して知る事ができる)、近隣
に皇居や靖国神社もある事等から、平安初期に空海が、時の
朝廷より給預され、国家鎮護を祈念し、また平安京への密教の
情報発信の拠点とした東寺・講堂の立体曼荼羅に倣った宝前
荘厳が実現するのではないか。
四天王を如何に祀るのか。誤解を恐れずに謂えば四天王寺
の様な聖徳太子を中心とした祈りの場が実現するのか。あるい
は古の真言宗に倣うのか。いずれにしても、四天王を日本の
中心となる土地に祀る事で今まで以上にはっきり見えてくるの
は日本の安泰への祈りと観ずる。
南無遍照金剛
南無上宮太子聖徳皇
南無真如
天下に流布して、蒼生の福を増せ。
然らば即ち四海泰く、万人楽しまん」
(『御請来目録』より)
ここで本年1/25の寒修行瑞教にて発表のあった、友心院に
ついての予定、以下の二点に触れておきたい。
①真如苑大日如来安置
さる3/5に総本部第一精舎にて真如密により入仏開眼された
真如苑大日如来像は、Yushin Annex(旧称:友心院B館)に
移送・安置され、いわゆるギャラリー形式で大日如来像を中心
として真如曼荼羅世界が表現される。4/27にプレオープン。
広く社会に向け真如曼荼羅界会の世界を明らかにしていく
ものと思われる。暫くは現地も混雑が激しいだろう。落ち着いた
頃レポートしたい。
②四天王奉安
10/18に復建接心道場にて行われる予定の護法善神入魂法要
と『呼応』して、友心院に四天王が奉安される。法要の企画として
総本部と友心院の2つの拠処を映像回線等相互中継し、一方の
拠処に修法の導師として苑主代表が、もう一方に鳥飼尚之氏
ら教務長クラスの教団職員を副導師として派遣し、同時進行で
執行される事が予想される。
ところで友心院において
四天王はどの様に祀られるのだろうか?
今まで真如苑において四天王といえば総本部第二精舎や、
応現院菩薩の間等、十一面観世音菩薩の脇侍として祀られる
姿が一般教徒にとって馴染み深いのではないだろうか。(他に
金剛寿命陀羅尼にその姿が見受けられる)しかし今回の発表
では、本年の精進目標
ー親苑の荘厳に 護法の精神で 真如済摂を広げるー
の元、真如苑地霊系護法善神・笠法稲荷護法善神への独自
の真言制定等、護法善神全体の存在のクローズアップがなさ
れる中、同じ一環で、これまで教苑にない形で四天王自身が
『真如苑の玄関』とも位置づけられる友心院において今までの
様に単なる一菩薩尊格の脇侍としてのみ祀られる事は、少々
考え難い。2つ程のパターンを想像してみる。
友心院の1F玄関ロビーには他の教団施設には無い、開祖
謹刻の成年の聖徳太子像が祀られており、これを以って
教苑の次のステージの入口の象徴としている事から、これと
関連付けた祀り方が考えられる。
もう一点、上記の通り友心院が『真如苑の玄関』である事、
その立地が現代日本の政治や経済の中心・千代田区である事
(これを利用する主たる人の層も推して知る事ができる)、近隣
に皇居や靖国神社もある事等から、平安初期に空海が、時の
朝廷より給預され、国家鎮護を祈念し、また平安京への密教の
情報発信の拠点とした東寺・講堂の立体曼荼羅に倣った宝前
荘厳が実現するのではないか。
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| 真如苑・友心院宝前 |
の様な聖徳太子を中心とした祈りの場が実現するのか。あるい
は古の真言宗に倣うのか。いずれにしても、四天王を日本の
中心となる土地に祀る事で今まで以上にはっきり見えてくるの
は日本の安泰への祈りと観ずる。
南無遍照金剛
南無上宮太子聖徳皇
南無真如
2015年3月10日火曜日
真如-その視覚的表現(その1)
「密蔵は深玄にして翰墨に載せがたし
更に図画を仮りて悟らざるに 開示す」
(『御請来目録』より)
さる3月5日に発祥第一精舎にて開眼された真如苑大日如来の
X線透視図には、この金剛界様式(智拳印を結ぶ)で刻まれた像
の内部に、底部から頭部まで胎蔵の象徴である木製の五輪塔が
立てられている事から、これを苑主代表は
「・・・金剛界・胎蔵界 不二(ふに)
として刻まれた尊像なのでしょう・・・」
(親苑時報2015年3月号『今月のご瑞教』より)
としている。真に大きな宇宙が表現されているのだそうだ。
真言宗各派の伝統寺院は言うに及ばず、真如苑でも総本部の
真澄寺宝前や応現院の明王の間や曼荼羅の間に金胎両部の
曼荼羅が一対祀られている。また教苑の重要な法要の願文や
表白にも
「・・・真如曼荼羅界会一切の聖衆…」
といった文言が見られる。金胎両部不二の世界とは、そして
真如曼荼羅界会とはどの様な世界なのか?。真如三昧耶流の
修法の導師にはどの様に映っているのか?。未だ悟らざる凡夫
の自分には知る由もないと言ってしまえばそれまでなのでこの
問いをこんな形に集約してみる。
真如の仏の世界は視覚的にどう表現される?
両部不二を一幅に表現した曼荼羅は存在する。真如苑開祖
伊藤真乗が醍醐寺にて修めた二つの法流のうち、当山派には
その独自の世界を象徴した「修験恵印総漫拏攞」が存在する。
修験道修行大系に、仲田順和真言宗醍醐派宗務総長(
現醍醐寺103世座主倪下)によって、この梵字で構成された
曼荼羅を、伝書によって解読した構成図が掲載されているが、
これを倪下は本書の中で
「 この構成を見ると、密教でいうところ
の金胎不二と、修験道の特色、あるいは
修験道の思い、願いとで描き出された大
きな世界であると思う。」
と、述べておられる。仮に真如三昧耶流の曼荼羅が描かれる
なら、この総曼荼羅の延長線上にその相がある様に思う。
「・・・・・
恵印とは何かーを密教的にいえば、智慧の金剛界と慈悲
の胎蔵界が融合した「金胎不二」の真理に到達する義です。
開祖はこの不二を一なる「真如」と昂め、真如三昧耶の
教相事相を確立・・・・・」
(親苑時報2014年10月号『今月のご瑞教』より)
と、あるので上記緑色の憶測は全く的外れとも思えない。
南無真如
更に図画を仮りて悟らざるに 開示す」
(『御請来目録』より)
さる3月5日に発祥第一精舎にて開眼された真如苑大日如来の
X線透視図には、この金剛界様式(智拳印を結ぶ)で刻まれた像
の内部に、底部から頭部まで胎蔵の象徴である木製の五輪塔が
立てられている事から、これを苑主代表は
「・・・金剛界・胎蔵界 不二(ふに)
として刻まれた尊像なのでしょう・・・」
(親苑時報2015年3月号『今月のご瑞教』より)
としている。真に大きな宇宙が表現されているのだそうだ。
真言宗各派の伝統寺院は言うに及ばず、真如苑でも総本部の
真澄寺宝前や応現院の明王の間や曼荼羅の間に金胎両部の
曼荼羅が一対祀られている。また教苑の重要な法要の願文や
表白にも
「・・・真如曼荼羅界会一切の聖衆…」
といった文言が見られる。金胎両部不二の世界とは、そして
真如曼荼羅界会とはどの様な世界なのか?。真如三昧耶流の
修法の導師にはどの様に映っているのか?。未だ悟らざる凡夫
の自分には知る由もないと言ってしまえばそれまでなのでこの
問いをこんな形に集約してみる。
真如の仏の世界は視覚的にどう表現される?
両部不二を一幅に表現した曼荼羅は存在する。真如苑開祖
伊藤真乗が醍醐寺にて修めた二つの法流のうち、当山派には
その独自の世界を象徴した「修験恵印総漫拏攞」が存在する。
修験道修行大系に、仲田順和真言宗醍醐派宗務総長(
現醍醐寺103世座主倪下)によって、この梵字で構成された
曼荼羅を、伝書によって解読した構成図が掲載されているが、
これを倪下は本書の中で
「 この構成を見ると、密教でいうところ
の金胎不二と、修験道の特色、あるいは
修験道の思い、願いとで描き出された大
きな世界であると思う。」
と、述べておられる。仮に真如三昧耶流の曼荼羅が描かれる
なら、この総曼荼羅の延長線上にその相がある様に思う。
「・・・・・
恵印とは何かーを密教的にいえば、智慧の金剛界と慈悲
の胎蔵界が融合した「金胎不二」の真理に到達する義です。
開祖はこの不二を一なる「真如」と昂め、真如三昧耶の
教相事相を確立・・・・・」
(親苑時報2014年10月号『今月のご瑞教』より)
と、あるので上記緑色の憶測は全く的外れとも思えない。
南無真如
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