2019年11月11日月曜日

真如荘厳 親苑十一面様撥遣の儀

 本日は一昨日と打って変わって雨、立川市でも早朝は強く、午前中は一時止んだものの、午後遅くなるにつれ、また降りだす予報。雨の止む頃を見計らって家を出る。今日は、立川市柴崎町の総本部・発祥第二精舎の新たな荘厳の為、本尊・十一面観世音菩薩のお御魂に、一旦仏像より出てみ仏の世界にお戻り頂く為の法儀「撥遣の儀」が行われる。

 この週末は天皇陛下の御即位の祝賀行事が続き、非常な快晴にも恵まれた。先月の即位礼正殿の儀でも天候の急激な回復から、エンペラーウェザーなどと言われたが、今回も同様の事に。



 しかし、これだけの好天。どれだけの対価によって手に入る物なのだろうか?。そしてそれは最後に、誰が贖う事になるのだろうか?。今秋の天候と相まって、更に話題になった新海誠監督天気の子」が思い起こされる。



 閑話休題、例によって泉町の応現院で立ち会う。平日の法要とあって、混雑にもいくらか落ち着きが感じられる。
 10:30、開式。VTRにて開祖の入場シーンが。以前紹介した車椅子に乗っての物。粛々と進む法要。
 読経の後に、代表教徒による感謝の言上がある。1968年、発祥第一精舎建立当時の教団事務局内のエピソードが語られる。真如苑に限らず、属するコミュニティで重大な障碍に出会った時の人々にありがちな反応ではあるが、自分には反吐が出るような思いがするので詳細は伏せる。ご本人の覚悟によってそうはならなかったが、こういった土壌が時として、一つの非律不証をますます増長するのではないかと前々から思っていた事を裏付けるかのような内容だった。精舎内の扉を一つ開けたら、今でも教団内部にある意外とありふれた風景なのだろうか?。結界された親苑に蓄積するのは何も祈りばかりではなく、こういった一般教徒にうかがい知れぬところで蓄積され続ける想念の凝結の存在が、苑主伊藤真聡をして聖地の荘厳行を推進させる一つの背景なのではないかと思う。
 続いて、その苑主代表の挨拶。本日11/11は語呂がいい。世俗にも「介護の日」「独身の日」をはじめ多くの記念日が定められているが、苑主の教導もこれに掛けたもの。

 本日の法儀によってまた一歩、聖地荘厳が進展した訳だが、40年前に落慶、現在の建築基準に適合しなくなったまま東日本大震災を過ぎたこの精舎が改築されて、やっと聖地荘厳も一段落するのだろうか?。第二精舎に着手するにあたっては「聖地荘厳マスタープラン」なる計画に基づく旨、発表があったが、現在に至るまでその全貌は明らかにされていない。またこの発表がこの記事にコメントを記した後である事も気になる。
 苑主代表が教苑を継承して間もない頃、苑主とその妹の真玲猊下が、具体的にどの様に教団を導いていくかについて、教徒間に非常に大きな混乱があったが、この状況を治めるべく、故・片山英一教務長によって開祖の遺言「定記」の発表があった。当時、末端教徒にまで殆ど一人残らず、これを書写していく取り組みがあったのを覚えている。
 「在る」というだけなら何とでも言える。多くの人々を導こうとするならその実態を明らかにして初めて得心がいくものだ。形の上では同じ法燈を継承したお二人の在り方によっては、教団分裂の可能性さえあった当時、定記の全文を発表した片山教務長はまさに必死だったと思う。
 だが、現在の西川教務長に、苑主の願う聖地荘厳について、そんな必死の覚悟があるのだろうか?。私なんぞにこんな事をネットで指摘される前に、自ら全責任を負って、その全貌を公開するのが、全苑教徒に対する筋であり、教務長のリーダーシップではないのだろうか?。

 …ともかく、聖地荘厳がまた一歩進展した事を喜びたい。今まで自分の無智故、多くの愚かさに翻弄されてきた前半生だが、ここまできてやっと、運命を自ら選んで苑道を歩んでいけそうだ。

                      南無真如

追記
 第二精舎の正門を開けると、ガラス張りの玄関から一階のトイレの入り口が丸見えだったりする造作や、何かというと、御奉仕などで車両での物資の搬入・搬出に使われる様な
在り方も、いい加減改まるといいな…。