2015年1月18日日曜日

阪神淡路大震災犠牲者追悼 -平成7年(1995)を振り返って思い出す事-

 2015年1月17日5:46。阪神淡路大震災から20年。
現地では追悼の集会が開かれ、自分も黙祷(というかコメント)
する。真如苑でもこれに参加、祈りを運ばせて頂いたとの事。

 黙祷を捧げたせいか、急に当時の事が色々と思い出される。
当時、既に立川市に在住していた自分はTVニュースでこれを
知り、驚愕とともに何かしたいという思いと自身の無力感の間
で、報道に耳を傾けつつ静かに現地の無事を祈っていた。
 また、先年秋に地域の鎮守である諏訪神社が不審火によって
社殿が消失、震災後も地下鉄サリン事件や、親苑と同じ柴崎町
にある普済寺放火に遭い、当局からも

「次は真如苑ではないか」

と警告を受けたという話を聞いた事がある。この様な地域社会
の雰囲気の中、当時の信徒のコミュニティ内では「護る」気運
が高まり、心ある立川市地域在住教徒は、教団の奉仕活動は
元より地域社会の防犯活動にも積極的な取組みが展開された。
 当時は、現在の応現院の様に警備会社のサービスを受ける事
もなく、親苑副門に市販の家庭用ビデオカメラを設置してみたり
奉仕教徒も殆どがセキュリティの素人だったにも関わらず、緊張
した雰囲気の中、不審な事件が周辺で起こる事はその後無くな
っていった。それにつれて副門前に設置したビデオカメラに電源
が入れられる事もなくなり、遂には撤去され、教団施設間を行き交う職員達も自分のネームプレートを晒したまま行き交う姿も
見られる様になり、秋辺りには平穏な雰囲気を取り戻していた。
 もし今でも親苑が当時の様な雰囲気だったら昨年秋にあった
教団職員が刺される事態も未然に防げただろうか…。

 平成7年の出来事としてもう一つ大きな出来事といえば
やはり地下鉄サリン事件だろう。だが、ここで触れたいのは
この事件そのものではない。同じ年に日本において起こった
Windows95の発売によるインターネット普及との相乗効果に
ついてだ。まず一連の地下鉄サリン事件の報道によって
日本社会全体に宗教への嫌悪感や危険視する風潮が決定的
になったのは間違いないと思うが、これを当時個人レベルで
普及したインターネットが増幅したのではないかと言いたい
のだ。当時、インターネットが社会にどの様な変化を起こすか
についても充分な予見が確立していたとは言い難いが
この点について早期に着目した宗教人を私は寡聞にして
聞いた事がない。これがいわゆるアンチ某(宗教団体名)等と
呼ばれる人々を生出す土壌となり今日に至っている。
まさに日本近代宗教史上最大の不幸ではないだろうか…。

                                南無真如