2015年10月16日金曜日

10/15/2015 おおぞら地蔵浄水供養

 10月11日。応現院の、おおぞら地蔵浄水供養の準備が、進んで
いる。以前見た時と違い工事現場の囲いが鉄パイプに帆布を張った
ものになり、屋根がつき、上から様子を確認する事も出来なくなった。
いよいよ大詰めに入ったのだろう。

 10月14日夕方。クレーン付きのトラックが境内に乗り入れ、工事の
囲いを解体している。現場周囲の関係者の緊張の高い雰囲気が、
遠くから見ても伝わってくる。いよいよ明日。

 10月15日当日、本日の常楽会に併せおおぞら地蔵の浄水供養
が行われる。境内の護法諸天に参拝。おおぞら地蔵のお披露目が
既になされている。当初地蔵池を作ると言う様なアナウンスもあったのと
薮内氏の府中のパブリックアートの例から、地面を掘り下げ水を張った
ものを想像していたのだが、実際には池ではなく地面に立川市地図が
ペイントされていた。全体の構成は地蔵尊を中心に両手の錫杖
と十二支太陽と月地球儀と輪宝の四つのモチーフが東南西北に
配置されており、各々の脇に蓮の葉を模したオブジェに水が張られて
いる。参拝者はこれを柄杓で汲んで各々のオブジェに浄水を供養し、
おおぞら地蔵のお頭に直接水を灌ぐ事はない。西側に配置された
太陽と月のオブジェは、私が昨年反対を表明した薮内氏の作品
採用されたが、昨年の応現院境内での苑主代表薮内氏の打合せ
の時より大分小さいサイズとなっており、結果作品特有の激しい個性
の主張がとても穏やかなのは一安心だが、錫杖、輪宝、太陽の焔
等突起物の多いデザインであるので、参拝の折など転倒事故の危険
が少々気になる。何らかの安全対策を講じた方が良いだろう。

 法要が始まる。参集教徒の讃題の声明と、法要の御導師を務める
苑主代表の修法のタイミングが合わない。修法により供養された浄水
を運ぶ教団職員の「導線が違う」と苑主代表の指図で、式典の一部
仕切直しがある。場所を境内に移し浄水供養が始まる。来賓として
薮内氏が控えており、苑主代表と共に浄水供養を行った。

 供養の後、薮内氏の挨拶に

「…おおぞら地蔵が出来上がって一安心と思ったら、今度は苑主様
 から『浄水供養』と言われて一体何の事かと思いました…」

との発言があったが、今思えば計画段階で浄水供養と尊像謹刻が、
一体であれば、工事の難易度はもっと低かっただろう。多くの人々に
礼拝される尊格を刻むのであれば、礼拝の環境も設定すべきなのは
今後この様な企画が行われる際には常識として認識されるべきだろう。
(だが、企画段階でこの様な陥穽があればこそ、そこに私自身の発露
の余地もあった訳だが…)

 すべての式典が終わり、早速一般教徒の参拝が始まる。供養の
作法が今一つなのは仕方ないとして、地蔵尊の周囲の地面がびしょ
濡れているのは、見た目はともかく滑りやすさも増す。

 こうして出来上がって見れば、薮内佐斗司的テーマパークが展開
されたか如き様相が呈された訳だが、今日の法要を振り返るに、
尊格のデザインや環境の雰囲気以前に、気になる事がいろいろと
出てきた。苑主代表は、何か一つ仕事が仕上がると、以前の仕事を
根底から覆す様な発案をして周囲のスタッフがそれに必死で従う様な
状況があるのだろうか?。それとも大阿闍梨としての苑主代表の権威
を尊ぶあまり、周囲の教団職員スタッフは苑主の心を知ろうとしていな
いのではないだろうか?。おおぞら地蔵謹刻のキーパーソンの薮内氏に
してから苑主の構想を理解していなかったかと思われる様な上記の
発言もある。よく教団職員が法幡で「継主さまは、今こうして下さって
います…」といった発言をよくする。今はそれでいいのかもしれないが、
近い将来、絶対それでは立ち行かない日が来る事を、教団職員各位
はしっかり見つめて頂きたいと思う。

                              南無真如





2015年10月1日木曜日

斉燈護摩を控えて-四天王奉安の動機

 地図で見ると判るのだが、真如苑山梨別院斉燈護摩道場では、
護法善神の御堂と、レストハウスや食堂棟以外の、仏を祀る処総て、
精舎は勿論、斉燈護摩を修する護摩壇に至るまで、諸尊は南東を向き礼拝者は総て北西を向く事になる。この配置条件によって護摩壇
の四隅は大凡東西南北を向く事になる。ここで毎年10月初旬に修さ
れる、伝燈の法脈に則り真如密に即して行われる斉燈護摩において
道場の四方(東西南北)と中央に、護摩の火点に先立ち、五大明王の降臨を請い願い、修法の無魔成弁の為道場を結界する所作法
行われる。



 この様に護摩の際に五大明王によって道場が結界されるのだが、
今夏友心院にて奉安された四天王も結界を張る尊格である。
須弥山世界の東西南北にあって仏の世界を守護しているとされる。
いわば本年からの斉燈護摩は五大明王の結界に加え、四天王の
冥護によってより篤い護りの中に行われることになるのだろう。 

 この様に考えてみると、今夏東西南北に身を置き結界をなす尊格
を奉安した背景の一つに、昨年の事件があった様に思えてならない。
あれ以来、慧燈院通用門前には警備員が終日立哨し、施設の塀
にはカバーこそかけてあるものの、刺股と思しき捕具が立てかけられて
いる様子がgoogle street viewで確認できる

『斉燈護摩当日の真澄寺、普段より結構早い時間に出仕。苑主
代表をはじめ、主だった職員は、前日より現地山梨別院に出張り、
法要の生中継もあるので一般参座の信徒も迎えねばならず、朝から非常慌ただしい。そんな中、第一布教会館から慧燈院通用門へ
移動中、妙な雰囲気の中年男性に声をかけられる。話を聞いてみれ
ば現在山梨にいる「苑主に会いたい」等と奇体な事を言い出す。どう
やら少々ズレた御仁の様だ。多忙の折でもあるので体よくあしらって
早く所用に取り掛かろうと男性に背を向けたその刹那…』

 数少ない手がかりの中、上記に事件の起こった様子を報道記事と
想像を交えて簡単に描いてみた。背後から腰部を刺された所を見ると
被疑者に背を向けた状態があったのは間違いないと思われる。

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「左様・・・・・・」
  慶次郎が考え考え云った。
 「強いて申さば、意地とでも申しましょうか」
 「意地?」
  秀吉が目を瞬かせた。理解出来ないというしるしである。
 「かぶき者の意地、と申すか」
 「人としての意地でござる」
 慶次郎の反駁は間髪をいれなかった。
 関白であろうと牢人であろうと同じ人である。面白半分
に人が人を呼びつけ、曝しものにしていいわけがない。正し
く思い上がりであろう。呼びつけられ、曝し者にされた男は
相手を刺すことによってのみ、相手もまた人に過ぎないこ
とを強力に証明することが出来る。思い上りに対する痛烈
なしっぺ返しである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
隆慶一郎著「一夢庵風流記」より


 勿論、上記赤字引用部は虚構の世界でのみ通用する論理でしか
ない。被害者の男性職員は別に容疑者の男性を曝し者にした訳ではない。おかしな輩に深入りしないのも処世の知恵の一つではある
 だが、刺された男性は苑主代表が聖職者と規定する教団職員で
ある。彼がもし、相手が妙な人物だからと、人を人とも思わぬ対応を
したとすれば、それが果たして聖職者として相応しい振舞いだっただろう
か?。護法の御力が強くなった今なら猶更、そんな思い上がりが許さ
れるはずがない。

                                南無真如




2015年9月24日木曜日

2015 五つの灯籠流し

 9月23日水曜、応現院秋季彼岸会併せてNY灯籠流し(録画)
を拝聴、現地では彼岸会は9/13、NY灯籠流しは9/20に行われたが
日本における秋季彼岸会は本日となる。それが証拠に応現院境内の
弁才天堂では加行を畢えた職員が修法にて、法要の仏天冥護を
祈念していた。これを以て本年初頭の寒修行の苑主瑞経にて発表の
あった五つの灯籠流し(台湾ハワイベルリン河口湖ニューヨーク
総てが行われた事になる。発表当初は分明ではなかったが、これらの
法会の功徳を以て、10/15のおおぞら地蔵の浄水供養が荘厳される
事になるのだろう。少々振り返ってみる。

 国外で最初に灯籠流しが修されたハワイについては何も言う事はない
だろう。ハワイ先住民の伝統文化フラ真珠湾攻撃への鎮魂の祈り、
そしてこれがメモリアルデーに行われるところから、回向や供養が受け容
れられやすい土壌があり現地TV局までをも巻込む大きなムーヴメント
となり、ここまで定着したのだろう。



 極東海域にその動向が最大に注目される台湾。1971年に開祖
訪れた時も「国情が厳しい」と評された当時のまま、中国の一部となる
か、独立か、いまだに揺れ続けているこの地域こそ自らも気づかぬまま
に平和を一番希求しているのではないだろうか。常楽我浄を見ていると、仏教と道教の混交した様子が見られる。日本と同じ大乗仏教の伝播した地域にあたるからだろうか、かつて開祖霊祖が戒められた、
御利益信仰も一般には盛んなように思われる。


 以前報じたが、開催そのものが危ぶまれる程の荒天を6時間もの
早いスタートで乗り切ったベルリン灯籠流し。かつてイデオロギーに
よってドイツを中心に東西に分断されていた欧州。開祖遷化の年
ベルリンの壁の崩壊という歴史的事件があったものの、あれから
四半世紀を経た現在、ギリシャ支援難民流入を軸に、今度は
南北に分断されつつある様に見える。その分断の本質的原因は
やはり「富」にあるように思われる。

  世界的な文化・経済の中心であるNYで、本年も灯籠流しが行われ
た。セレモニー全体は13:00~21:00に渡る長時間に及ぶもので、実際
に法会と言えるのは最後の2時間ほど。それまでは協賛するARTIST
達の発表となっていた様だ。日が暮れていよいよ開式。一流百貨店
メイシーズのCEOであるテリー・J・ランドグレン等、社会貢献の実績
持った人々の紹介の後、法会が行われ無事に終了した模様。

 以前、アメリカの法会に立ち会う機会があった時、合間を見て街に
出た所、異邦人の自分にもそれと判るほど、貧困層の人々が目に
ついたが、それと対照的に真如苑の法会に参集する現地の人々の
毛色の良さに大変驚かされ、み教えが本当にこの国に浸透していく
までの苦難の道のりに思いを馳せた事を、本年のNY灯籠流しを見て
今改めて思い出す。真如苑はこれまでも世界の各所で社会貢献に
取組んできたが、自らが身を置く同じ国の中にも、自然災害や原発
事故に遭わなかったとしても、病や老い、貧困に苦しむ人々の存在
は在る事に目が向いているのだろうか?。今夏四天王を奉安した
友心院が落慶時に配布されたパンフレットには、成人の聖徳太子像
紹介の頁に「…私たちは、次のステージの入り口に立っています。
とある。組織によって安定した暮らしを営みながら聖職者と位置付け
られた教団職員に、社会に普遍的な苦しみは見えているだろうか?。
経済格差は拡大し続ける」事を数世代にも渡る税の支払い記録の
調査を基に証明したトマ・ピケティ公開授業の中で、富裕層の社会
貢献がいかに巨額であっても、彼らの資産のうちから見ればほんの僅か
な割合である事を指摘している。NY等を中心に栄える現代美術が、
この様な富裕層のクローズド・サーキットの中で評価され、莫大な富が
そこに動く。本年真如苑が友心アネックスで公開した大日如来像
クリスティーズでのオークションで最後まで購入権を真如苑と争ったのは
この様な富裕層だった。NY灯籠流しでコラボしたARTIST達の作品も
こういったMONEYに支えられているのか?。この灯籠流しが行われた
同じNYで「We are the 99%」のスローガンの下、大規模な抗議運動が
起こった事を忘れてはならない。


 本年の寒修行で、アフリカで社会貢献に取組むある教徒の体験談
を拝聴する機会があった。取り組みの接心の霊言に「まず有力な人から導くように」と示された事に当初ショックを受けた心情が語られていた
が、客観的に見て社会に影響力を持った人々が大乗利他の精神に
目覚める事が、将来状況を大きく変えていくだろう事は理解できる。
しかしながら、今この時苦難に直面する人々と、助けようと心を同化
させた人にとっては、ある点「時」が一番の問題かもしれないのだ。
トリクルダウン理論は実態に即していない。

 最後に指摘しておきたい。インドにおいて仏教が衰退した一因は、
その支持層が当時の社会の新興上流層に偏っていた事。もう一つ
真如苑が所依の経典とする大般涅槃経は「実践が何より尊い」と
のテーゼの下に、当時の社会の下層階級である鍛冶屋を生業とする
持たざる者純陀が、文殊師利との討論でその資質を示し、参集した
他の長者、王族、神仏等総ての人々を差し置き、釈尊臨終の場で最後の飲食供養を捧げ、も尊いものを得る説話として著されている
事を。

                               南無真如


2015年9月6日日曜日

両部不二、慧印、そして真如 -その2- 文献研究の視座から 

 空海が唐で恵果阿闍梨より受法し、日本に請来した両部密教で「両部の大経」とされている大日経と金剛頂経。この二つが全く別個に発達した事は前回述べた。同じ密教とはいえ、思想的脈絡にも乏しく
修行の方法にも大きく隔たりがあると指摘されている。以下に相違点
を簡単にまとめる。

          大日経(胎蔵)   金剛頂経(金剛界)

区分(チベット)  行タントラ      瑜伽タントラ

発達段階     大乗⇔密教    完全に密教化
           過渡的

修行の特徴    段階的(漸悟)   頓悟
           時間重視      無時間的

 
 更に、津田真一氏はこの両経の特徴を著書「反密教学」で、

          大日経(胎蔵)   金剛頂経(金剛界)

          利他行の宗教   瑜伽の宗教
          慈悲の宗教     即身成仏



とし、この両経を

『・・・「両立不可能にして、且つ、二者択一不可避」な関係にある
 ことです。第三の選択肢は無いし、両項をジンテーティッシュに総合
 する第三項もない。・・・』(「反密教学・密教理解の原位置」より)

事から、これを<Criticality>と表現、両部不二密教は成立しえ
ないとしている。

反密教学

果たして、両部不二密教は本当に成立しえないのだろうか…

                                続く

2015年8月23日日曜日

8/22/2015 友心院四天王入魂法要

 暑さが少し和らいだといっても、まだ30℃以上の気温が続くこの時期
東京・半蔵門の友心院において予てから予告されていた四天王奉安
が、苑主代表の御導師によって行われた。AM11:00、これの中継を応現院にて拝聴。5F宝前内陣に四天王が三輪身を護る形に祀られ
導師座が外陣に設置されている。以前予想した中では東寺講堂と、
同様の配置になっている。
 終了後、苑主代表の挨拶がある。持国(東)・増長(南)・広目(西)・多聞(北)の各々の四天王が司る心の在り方が説明される。
また、当初秋季彼岸会までにとされていたおおぞら地蔵の浄水供養
翌15日になる旨発表があった。ららぽーと立川のオープンは更に翌17日になる模様。以前の憶測は満更間違いでもなかったのだろうか?。
また、この発表に合わせ、周囲に4つの大きな鉢に蓮の葉をあしらった
おおぞら地蔵荘厳の完成予想図も発表されたが、応現院の本棟と
修行棟を結ぶ3階渡り廊下から、おおぞら地蔵周辺を重機で方形に堀り返している工事の様子が見えるが、本当に本日の発表通りになる
のかよくわからない。四天王像謹刻に尽力された来賓各位の前での
公式の挨拶の後、1Fロビーに巡回、代表参座の青年教徒の前にて
護国寺や聖徳太子などのお話しをされ式典は終了した。

 午後、立川で昼食を摂り友心院に記念参拝に向かう。現地宝前
にて実像を拝する。幼児ぐらいの身長に刻まれた古代中国風の鎧に
身を固めた四天王さまたちがいらっしゃる。後頭部に輪宝が荘厳され
ているが、これは背部に蓮華の茎のような支柱で支えられている。
の頭部を象りその口から腕を通す形の、肩のアーマーなど要所に金
での彩色が目立つ。モニタを透して見ると結構鮮やかに見えるが、実
際に友心院宝前の落ち着いた照明の下ではぐっと落ち着いた雰囲気
がある。

 立川への帰途、電気火災による鉄道の遅延に行き会う。さいわい
それほど大幅な遅延にならずに立川に着く事ができた。さる18日にも
立川市内で鉄道の電気火災があり大規模な鉄道の混乱があった
ばかり、何が起こっているのだろうか…。

 思い立って親苑に向かう。折からの夏祭りのお囃子を聞きながら、
親苑の発祥第二精舎宝前に入る。ここには本尊十一面観世音の
脇侍として四天王が祀られているのだ。丁度10月に復建接心道場に
入魂の予定の笠法護法善神の開帳参拝が催されている。
 改めてこちらの四天王を拝する。第二精舎落慶入仏開眼はさる
1979年、四天王さまの茶褐色のお姿にも年月が感じられる。こちら
の四天王にも何か新たな展開があるのだろうか…

                                 南無真如



2015年8月5日水曜日

両部不二、慧印、そして真如 -その1- 密教史概観

 どうも、密教の法流血脈というのは二つに分かれる性質がある
のだろうか。五世紀になって衰退が始まった仏教の中で生まれた
密教は、まず7~8世紀に中国を通じ日本へ伝来した両部不二
密教の基となる中期密教(行タントラ=大日経・胎蔵、愉伽タント
ラ=金剛頂経・金剛界)と、インドで仏教終焉の日まで発達し続
けた後、チベット等を中心に伝えられた後期密教に枝分かれす
る。その後、中国に渡った密教は、唐の時代にこの地を訪れた
空海や最澄らによって日本に伝来するが、正統の密教を求める
過程において両者は断絶してしまい、日本の密教は真言宗(東密)と天台宗(台密)の二大宗派に分かれて発達する事になる。
更に真言宗においては空海入定後、都市を中心に発達した広沢
遍照寺の寛朝僧正の大成した広沢流と、日本古来の修験道との関連の深い小野曼荼羅寺の仁海僧正の大成した小野流から、
それぞれ六流に別れ野沢十二流を形成する。院政期において、
この広範な分派の状況を鑑み、空海の伝えた真の法流の姿を求
めんと、自らに帰依する鳥羽上皇の権威を後楯に諸派の阿闍梨より伝授を受けた覚鑁は、伝法院流と称する統一法流を確立、
に当時衰退しつつあった高野山の復興に尽力するも、高野山経営の問題や保守派衆徒の反発等の為、根来寺に引き下がら
ざるを得なくなる。これによってかえって真言宗は高野山や東寺
を主とする古義真言宗と、覚鑁の打ち立てた法流を基とする新義
真言宗の二派に大きく分裂する事になる。

 中期密教(日本)と後期密教(チベット)、真言宗(東密)と天台宗
(台密)、小野流と広沢流、古義真言と新義真言。常に分裂を繰り
返しているかに見える密教の法流だが、殆ど唯一の例外と言え
そうなのが、夫々別の時期、地域で発展した大日経系の密教と、
金剛頂経系の密教を、別々の師から伝授された、真言第七祖の
恵果阿闍梨ではないだろうか。恵果阿闍梨が異なる二つの法流
を相承する事が出来なければ、今日の両部不二の日本密教は
存在しえなかっただろう。

                                  つづく

2015年6月21日日曜日

接心道場の時代 -そして復建の今-

 今国会での安保法制論議で、立川の郷土史「砂川事件」に脚光
が当たっている。件の人物が砂川事件の最高裁判決を以って
日本が集団的自衛権を行使しうる根拠とした為だ。

 昭和32年、当時真如苑は法難(まこと教団事件)の最終的解決
がついていない中、教団存続の基となった真導院の霊言「僕の
やすむところよりも、皆さんの心の休み場所(接心道場)を先に」を汲み、接心道場の建立に邁進、開祖伊藤真乗は大般涅槃経
・高貴徳王菩薩品の一節「像及び仏塔を造る事、猶し大拇指の
如くし、常に歓喜心を生ぜば、即ち不動国に生ぜん」に触れ接心
道場安置の一丈六尺の大涅槃像謹刻に取組む。こうした教団の
再出発に余念のない状況だったと言って良いだろう。

 同年9月22日、立川米軍基地拡張の為の測量阻止の為、基地
内に立ち入ったとして、砂川闘争に参加した学生や労働組合員
23名が検挙、うち7名が起訴される砂川事件が勃発、一審では
無罪(伊達判決)となるも、検察はこれを最高裁に跳躍上告する。
これを最高裁は統治行為論を骨子とした判決により、原判決を
破棄、地裁に差し戻され起訴された7名は有罪となった。しかし
これは米軍駐留を違憲と判断した伊達判決を、アメリカの世界
的核戦略展開の為、当時岸信介政権下で進行中の、日米安全
保障条約改定調印の最大の障害と見た、戦後占領時代からの
米軍基地特権を保持し続けようとしたマッカーサー二世駐日米
大使らの、最高裁判所までをも含む、内政干渉によるものであっ
た事が2008年以降(奇しくも真如苑大日如来クリスティーズ
オークションにかけられた年でもある新原昭治による米解禁
公文書の調査によって明らかにされている。
 その後も拡張予定地の地権者らは土地収用を拒否し続け、
1968年(真如苑発祥精舎荘厳の年にあたる)米軍は横田への
移転を決定、1977年(これも発祥第二精舎荘厳の年)跡地は
日本に全面返還されるに至る。基地が返還されなければおそらく
立川市は基地の街となって、今日の様に、多摩地区の中心と目
され、平穏な繁栄を享受する事もなく、そして開祖が接心道場の
時代より構想していた総合道場(現応現院)建立が実現する事
もなかっただろう。
米軍立川基地の変遷
 この全面返還を以って砂川闘争は勝利と位置づけられたが、
司法判断という別のステージにおいて、沖縄を含む他の地域
の米軍基地闘争は今日まで全て砂川事件最高裁判決を判例と
して、米軍の特権は維持され続けている。

砂川事件と田中最高裁長官


 「歴史は繰り返す」と言う。真如苑が接心道場を復建する本年
安保条約を改定した岸信介の孫にあたる人物が国民と国土の
安全を訴え安保法制を改定しようとしている。昭和30年代当時
と唯一相違があるとすれば、件の人物と真如苑の間にご縁が
ある事だろうか。開祖遷化の平成元年、追悼法要に父君、母君
と共に哀悼の意を表した事が、当時の歓喜世界特集号である、
創の悠恒に」に記されている。現在氏と真如苑がどの様な関係
にあるか不明だが、教団の社会貢献活動において実りを産んで
いるのだろうか。 

 冒頭の件の人物のドイツ記者会見の約一週間後6月14日に
真如苑はベルリンにて灯籠流しを行ったが、早い段階で荒天が
予想され、開式を6時間もの大幅に渡って早め執行する異例の
事態となり、予定されていたネット中継は収録録画によるものと
なった。当日苑主代表は挨拶にて「負けない心」を訴えたが、
過去にも、同時多発テロ直前に行われたシカゴ支部落慶の際、
様々な注意が必要なほどの荒天が現地にて見られた事がある。

 真如苑苑主はベルリン灯籠流しだけでなく、世界各地で法会
を行い、そこに向けられる人々の祈りを結集、真如の功徳を遍く
展べられている。こうしたみ光が歴史の闇をも照らし、新たな闇
が生じない事を信じたい。

                                南無真如





2015年6月8日月曜日

『犬』が象徴するもの

 以前、真如苑昨年復建の接心道場に本年は苑の護法善神を
奉安する事報じたが、本年は真如苑開祖修行の祖山醍醐寺
三宝院開創九百年にあたり、高野山開創千二百年を迎える
真言宗全体にとって大きな節目になる年と言える。ここに醍醐寺
開山・聖宝尊師の少々不可解で、一見スキャンダラスにも見える
ある伝承について見つめてみたい。

 『醍醐雑事記』(『慶延記』)に、天安二年(858)聖宝尊師が四国
に巡錫し、後の醍醐寺第一世観賢と讃岐で出会う著名な説話が
あるが、その発端は、聖宝とその師真雅との確執にあった事が
伝えられている。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・
 真雅は、犬をたいそう可愛がり、大事に飼っていた。聖宝は、犬を憎み嫌悪していた。
二人の犬に対する愛憎は、水火の仲といってよいものであった。真雅が外出して
いた折りに、門前に猟師が行ったり来たりして、犬を見ながら、いかにもその犬を欲し
そうなそぶりをあらわしていた。聖宝は、それを察して欲しいなら捕まえて、早く立ち
去れと言った。猟師は、たいそう喜んで犬を連れていってしまった。
 やがて真雅が寺に帰ってきて、食事の時間に愛犬を呼んだが、もちろん犬は顔をみせ
なかった。翌日になって真雅は、犬を探したが、犬の姿はどこにもみあたらなかった。
この時、真雅は怒って、「この寺房には犬を憎んでいる者がいるのを、わたしは知って
いる。わたしの寺房のなかの者で、わたしが犬を可愛がっているのを受け入れない者は、
同宿させるわけにはいかない」と言った。
 この時、聖宝は自分のした事を顧みて、真雅の言いつけを気にかけ、寺を抜けだし
て四国に旅立ち修行につとめることになった・・・・・・・・・・』
吉川弘文館・人物叢書・佐伯有清著「聖宝」より

 観賢を見出した聖宝はこの後、真雅が真言宗拡張の為、その
権勢を後ろ盾とした藤原良房のとりなしによって、師の勘気を
解かれる事になる。
 『聖宝』の著者である佐伯有清氏は同書の中で上記引用部の
ナンセンスさを指摘し、世俗の権勢と結びついて真言宗の拡張
に努める真雅と、そうした世俗の権勢と結びついた師を含む、
当時の仏教界に批判的な聖宝の視線が、この師弟に隙を生じ
たのではないかとしている。また、醍醐寺公式サイトの伝記の
漫画聖宝伝には師の元にある犬と自分の行く末を重ね合わせ
旅立つ聖宝尊師の姿が描かれている。

 この伝承は何を表しているのだろうか?。佐伯有清氏が言う
よう、上記引用部が創作であるなら、この言い伝えの背景には
どんな真実が潜んでいるのだろうか?。何故に「犬」を中心に
この伝承が表されたのか?。

 宗教民俗学を打立てた五来重氏は著書「山の宗教」の中で
多くの修験の霊山には狩人の開創と伝えられるものが多いと
述べている。伝承の中では狩人=修験者と捉えて良いようだ。
そして、

『・・・・・・・・・・・・・・
 空海が伽藍の建立と修行の地を求めてさまよっていた際、大和国(現在の奈良県)宇智郡で
狩人らしき男(狩場明神の化身)に呼びとめられた。
「密教を広めるためにふさわしい場所を念じて、唐から投げた三鈷杵を探している」
と空海が話したところ、狩人は
「その場所なら知っている。お教えしよう」
と連れていた2匹の犬を放った。犬たちに導かれ高野山にたどり着くと、このあたりを守る地主
の神・丹生都比売大神からご宣託があった。
「私はこの山の王である。この山のすべてをあなたに差し上げましょう」と。
・・・・・・・・・・・・・・・』
講談社「KOYASAN Insight Guide 高野山を知る一〇八のキーワード」より

 上記高野山開創伝説に登場する神々、これら高野山における
護法善神の眷属としてここに犬が登場している。
 真雅は当然、真言宗の護法神としても高野山開創の狩場明神
や丹生都比売大神を尊んでいた事だろう。これら神々について
の秘伝に属するものを、当時の聖宝が自らの志に随いそれを
求める狩人=修験者に伝えたとしたら、それはいわゆる越法の
罪とみなされるのではないだろうか?。

犬とは高野山の護法善神に関る秘事の象徴ではないのか?。

山の宗教


 














2015年3月28日土曜日

この始末、どうつける?(その3)

 先月24日に発行の歓喜世界245号に、藪内佐斗司氏への
特別インタービューが掲載されていたので、巻末の返信葉書で
以下の様な投書をした。

今回の歓喜世界をお読みになったご感想・ご意見を
   お聞かせ下さい(葉書アンケート質問より)

 P28~「藪内佐斗司先生インタビュー」について
氏の言葉を直接教徒に届けた点は評価しますが、
遅きに失したと思います●。また、氏が自サイト

にて未だに
おおぞら地蔵の原型彫刻を個人的開運ビジネスに
使用している点を鑑みるに、論旨としても弱いと
言わざるを得ません。

                      南無真如

 昨年8月におおぞら地蔵入魂の儀が行われてより、半年以上
が経った今、どの様な経緯でプロジェクトが進められたかは問題
ではない。おおぞら地蔵様は、もう真如のみ仏として応現院
訪れる沢山の人々の祈りを優しく受け止めてくださっている。
自分も訪れる度心を籠めて手を合わせている。唯一の問題は
上記投書の様な行いを未だに続けている藪内氏が、地蔵池の
製作に今後も関り続けるのか否かの一点に尽きる。まあ、
年が明けた直後ならともかく、春を迎えた頃になって新しい
カレンダーがそれほど売れるとも思えないが…。

 去る2月24日、応現院にて行われた特別廻向法要において
苑主代表は法要の参座・奉仕の教徒と併せ、苑外のスタッフ
への感謝を「協力がなければこの法要はできなかった」と述べた。教苑の諸活動が社会に広く大きくなっていくにつれ外部の
協力者との繋がりは重要になっていくだろう。おおぞら地蔵も
そういった繋がりの所産のひとつなのだろう。

煩「本当ですよ。先生はねー本当に(真実の
 意)信仰していった時には幸福になれるんで
 すよ、悪い因縁を切って幸いになれるんです
 よーというのですけれど、幸福になろうとい
 うこと自体が望み事を願っていると思うんで
 すよ。そしてね、小さな欲をかかないで大
 きな欲(本当の意味は如来に生きる)を求め
 よ、って教えてくれたんですけどね、小さ
 な欲をを願ってはいけないというのに、どうし
 て大きな欲を願えというのですか?」
 ・・・・・・・・・・・・』
(旧『一如の道』霊妙編・第五章 霊劇
 一、真如一如・小欲と大欲 より)

五秘密曼荼羅

 昨秋、渋谷区立松涛美術館開催のみ法に守られし醍醐寺
観に行く事ができた。展示の目玉の過去現在絵因果経も圧巻
だが、自分はむしろ上の五秘密曼荼羅に感ずる所があった。

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・金剛薩埵は密教独自のほとけ
 で、大日如来の所変である全ての菩薩の中でも
 根本的な存在である。他の四菩薩は、欲・蝕・愛
 のように性愛、あるいは慢(心)といった人間の
 基本的な欲望、しかも仏道修行には障害となる
 とみなされる煩悩を名前に持っており、このよ
 うな菩薩が金剛薩埵と一体になることによっ
 て人間の煩悩も本来は清浄であることを示し
 ているという。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(『み法に守られし 醍醐寺』パンフレット・
 作品解説・13.◎五秘密像(五秘密曼荼羅)より)

 おおぞら地蔵にしろ、ららぽーと立川立飛にしろ、本年は色々
と大きな動きがある年になりそうだ。前回の憶測の真偽は兎も角
これらが何か軌を一に動いているのは間違いないと思う。これら
の苑内外関係各位を如来に生きる清らかな境涯真如苑への
入信の事ではない、念の為)に導くのが、去る1/25に苑主代表
と共に、笠法護法善神の新たな真言を唱えた、真如三昧耶流の
修行を護摩法まで法畢した、鳥飼尚之次期苑主長塚充男
教務長西川勢二教務長補佐ら12人の教団の重役の使命で
あり、我々一般教徒の代表としての責任では無いだろうか。
こういった中に、上記藪内氏の所業の解決も見たいと思う。

                              南無真如
 

 

2015年3月26日木曜日

この始末、どうつける?(その2)

 3月21日、多摩モノレール立飛駅では、今秋東側に開業する
予定のららぽーと立川立飛の為に、改修工事が進んでいる。
多摩モノレールの線路を挟んで応現院の向かい側に超大型の
商業施設が開業する事になれば、土日祝日等界隈に賑わいも
増す事になるだろう。教団が一如社グループを通じ立川バス
業務委託している最寄駅~応現院直行バスも、応現院の多摩
モノレール側ロータリーを一般開放すれば、ららぽーとに訪れる
人々への対応は容易なのではないかと思える。
 去る1月25日、苑主代表は今年度寒修行にて

①おおぞら地蔵の浄水供養は秋季彼岸会までに環境整備する

とした。丁度ららぽーと立川立飛の開業と、おおよそ同時期に
なる様だ。この点を踏まえた上で改めて昨年の親苑時報8月号
苑主瑞教を読んで見る。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 開眼の後には、境内に地蔵池を造る予定です。②この池は
聖地親苑のある立川市の形にいたします。真理の蓮が咲き、
その上にトンボ(プロペラ)に乗った地蔵尊が降臨される
イメージです。近隣立川の方々に応現院へ気軽に足を運び、
四方の浄水供養など親しんでいただきたいと願っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 もう一点、おおぞら地蔵は開眼当初より③写真撮影自由との
扱いとなっている。これは今までの応現院境内に祀られた他の
尊格、天地両護法善神は元より純陀群像やチューラパンタカ
でさえ黙認されていたのに較べるとこれは破格の扱いである。

 上記赤字②③に加え

①秋分の日までに浄水供養≒ららぽーと開業

 に気がついた時、この「お地蔵様プロジェクト」の締め括りと
なるおおぞら地蔵の、もうひとつの企画の意図が見えてくる様に
感じた。ららぽーと立川立飛を誘致した立飛ホールディングス
よりの借地に応現院は建立された。立飛ホールディングスの
経営課題に、現状賃料と言う形で応えている真如苑だが、
地域社会への貢献という観点から、それ以上を目指した結果が
せんとくんによる奈良県地域社会マーケティングに多大な実績
を持つ藪内佐斗司氏を境内地蔵尊の製作者に抜擢した真の
理由であり、応現院に参集する不特定多数の教徒を、誘致する
大型商業施設の潜在的顧客としたい立飛ホールディングスと
広く社会にみ教えを発信していこうとする真如苑の意図する所
が一致した結果なのではないか?。

「(仮称)ららぽーと立川立飛」イメージ


                                 …続く



 

2015年3月23日月曜日

困ってしまう。(その2)

 いや、別に困る事でもなんでもないのだけれど…

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 童子は、もはや、子供の姿をしていなかった。
 小さいなりに、鬼の姿をし、しゃべるたびにその口からは青い炎がめろめろと吐き出されてく
る。
 鬼は、切り株から離れて晴明に向かって襲いかかろうとした。
「晴明!」
 博雅が、松明を捨て、腰の太刀を引き抜いたその時_
 晴明は、自分に向かって来ようとした鬼に右手の人差し指と中指を向け、宙をその指で切り
ながら、
「オン・テイハ・ヤクシャ・バンダ・ハ・ハ・ハ・ソワカ」
 真言を唱えた。
”薬叉天に帰命す。縛せ縛せ。ハハハ。あなかしこ”
 すると、ふいに、鬼が動きを止めた。
「そ、それは、おまえ・・・・・・・」
「庚申(こうしん)の真言さ」
 晴明が言い終えぬうちに、くねくねと鬼の身体がたたまれて、ごろんと草の上に転がった。
「むう」
 博雅が、太刀を手にして駆け寄ってみれば、それは木彫りの邪鬼であった。
 ちょうど、広目天の足に踏まれているように、身体をふたつに折って、そこに伏せになってい
た。
「いや、もとはその切り株に繋がっていたものだからな。その切り株から離れてもらわねば、こ
ちらも方法がないところだった・・・・・・」
「つまり、これが、玄徳が彫っていた広目天の邪鬼なのだな」
「そういうことだ」
「今の咒は何だ?
「大和真言さ」
「大和真言?」
「真言はもともと天竺でできたものなのだが、この真言は、大和の国で造られたものなのだよ。
真言宗の仏師が、四天王を彫る時には、この、庚申の真言を唱えるのだよ」
「そういうことか」
「そういうことだ」
 そう言って、晴明は、ふと、横の切り株に眼をやった。
「ふうむ」
 その切り株に歩み寄り、晴明は、その端の木肌に触れた。
「どうした?」
「博雅よ。これはまだ生きているぞ」
「生きてる?」
「うむ。他の部分は、ほとんど腐れ果てて死んでいるが、この部分だけは、まだ、微かながら生
きている。この下に、よほど強い根があると見える
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
夢枕獏著『陰陽師飛天ノ巻』収録「天邪鬼」より)

 さる1/25。真如苑の地霊系護法善神である笠法稲荷大明神に
新たに真言が制定された旨発表を聞いて思い出したのが上記。
 田中公明氏が教団施設内でオンエアのVTRで、開祖謹刻の
涅槃像をして阿闍梨が自ら尊崇する尊格を自由に選べる事を
阿闍梨の意楽(いぎょう)」と述べていたが、苑主代表が新たな真言を造る事もその一つなのだろう。
 だがこの『天邪鬼』、改めて読んでみると、新たな真言の創造
だけでなく、四天王初版が1995年(つまり丁度20年前=
阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件の年)等、本年の教苑を
意識させるようなモチーフが妙に目に付く。上記引用した中の
強い根地の力を想像させる。


陰陽師 飛天ノ巻

 苑主瑞教を聞きつつこんな事を…、我ながら呆れたものだ。

                              南無真如

2015年3月22日日曜日

真如-その視覚的表現(その2-1)

2015/3/21 真如苑では悠音精舎を本式場として、

春季彼岸会併せて災害犠牲者衷心廻向法要

が厳修された。内々陣の三輪身の前を、護る様に四天王が祀
れている。

『・・・・・・・・・・・・・・・・
  教法発祥の聖地親苑を中心に、応現院悠音精舎総合
 道場としてのトライアングルをなし、利他貢献活動を発信、
 社会との接点、融和推進の「玄関」たる機能を果たします。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・』
(『親苑時報』2012年10月号「今月のご瑞教」より)

と、あるので友心院の四天王奉安もこれと同様なものになるの
だろう。とすれば以前の予想のうち、東寺講堂の立体曼荼羅
近い形になると言う事か。但し、友心院内陣は悠音精舎内陣と
違い、祀られた三輪身の背部に空間的余裕があるので、その分
きっと、色々な相違が出てくるだろう。

 さて前々回、友心院に四天王を祀る意義を

日本の安泰への祈り

ではないかとしたが、ここで思い出したのが金光明最勝王経
奈良時代・聖武天皇の頃から護国経典として尊ばれていた
そうだが、真如苑でも「朝夕のおつとめ」に如来寿量品真如
を説明した部分が読誦用にダイジェストされている。また各地
の教団施設に、天霊系護法善神・八大弁才尊天を奉安する
根拠の一つを金光明最勝王経に置いている事が『一如の道』
に記されている。一連の今秋の護法善神奉安法要において
この経典(といっても『一如の道』掲載分のみだろう)は読誦
されると思われる。

                                南無真如
追記
『・・・・・・・・・・
  ところで、広義の仏教にあって天部の神
 とは「護世天」の意を持つ。そして、世は
 国であり、ここから護国の神の意をも持つ
 が、仏教における「国家観」は国家のキ絆(キハン)
 を超越したところにあるのであり、その場
 合、国はそこにある人々、即ち衆生の意に
 解してよいであろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・』
(『一如の道』教導編・第五章護法善神
 一、真如苑の護法善神・仏教における天部の神々、より抜粋)



2015年3月19日木曜日

真如-その視覚的表現(その3)

 さるH25/3/2、以前著書を紹介した事もある正木晃氏応現院
にてあの世と仏教 霊魂・葬儀・先祖供養」の題で講演をして
いるのを、常楽我浄にてご覧になった方もおられる事と思う。
(直近の再放送はこちら
 実はこの講演、教苑内で発表当初は曼荼羅がテーマだった
応現院食堂棟の告知掲示物が、突然修正されているのを見て、
とても奇異に感じた事を今もはっきり覚えている。本年の寒修行
瑞教にて、苑主代表より真如苑大日如来像について話を聞くに
改めて、先の講演テーマ変更の件が思い出され、正木晃氏が
当初の予定通り曼荼羅をテーマに講演したらどんな内容だった
だろうかと、改めて氏の著作をチェックした中に

ガナ(集団)チャクラ(輪)=人間マンダラ

なる儀礼が紹介されていた。日本の密教は7世紀頃、インドから中国を通じて伝わった中期密教を基として発展したものだが、
その後もインドでは密教は別個に発展を続け、8世紀に性行為
を修行に導入した後期密教が登場する。元々インドではマンダラ
を地面に描く事が密教初期から行われていたが、後期密教の
マンダラには選りによって、墓場で死体の腸によって描かれ、
その上で生身の男女の修行者達が性的ヨーガを中心とする
儀礼を行ずるのだという。これをガナチャクラと言うのだそうだ。

 真におどろおどろしい光景が描写されるのだが、ここでふと
思い出したのが普段真如教徒が通常取組む向上接心。実は
これも『集団』で『輪』を描いて取り組む修行である。接心者は
内側を向いて輪を描いて座り、接心をとる霊能者はその輪の
内側に座り接心者に相対する。霊能者は一人の接心をとると
基本的にはその左隣りの接心者の前に移る。
 修行そのものだけではない。この接心の『輪』に入る為に
待機する接心者も30人程度を1グループとして『輪』と呼ばれ
案内・誘導の際管理されている。この様な修行が下記に引用
したような穏やかな日常的な雰囲気の中行われている。
 この様な一般人がその社会性を喪失せず、日常を通じて
本来峻厳な中に追求されるような悟りを求めていく事ができる
修行が実現した背景には、これまでも教苑において讃迎されて
きた開祖霊祖の苦難の取組み、両童子の抜苦代受は元より、
仏教、そして密教がインドで発祥し現代日本に真如三昧耶流
が生まれるまでの法流血脈が辿ってきた歴史的観点から
いえば、唐・律令国家下における「金胎両部の相承」に始ま
って、恵印三昧耶法の「実修実証」の精神、そしておそらく
最後の要素として、大般涅槃経を以って、総ての人々への
悟りへのインターフェース」と、その総てが

悟りへの到達と社会性の両立

とでも謂うべき一貫性を持っているように思われる。

 この接心の『輪』に入ると言う事は、即、この身このまま、
真如曼荼羅界会の世界に入っている事ではないだろうか。



まるで病院のよう
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  応現院を訪れると、その大きさ、駐車場の広さにまず驚かされるが、全体の雰囲気は大学
キャンパスに近い。ただ、屋根の上に、金の相輪が輝いている点が宗教施設だということを
示している。
 一階の広いロビーに入ってみると、たくさんの信者であふれているが、両側には受付が並ん
でいて、それはまるで病院の受付を思わせる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 何より印象的なのは、そこに非日常的な雰囲気が漂っていない点である。一人一人の信者
がどの程度の頻度で応現院を訪れるのかはわからないが、なかには遠方からやってきた人
たちもいるはずである。その点で、そこは日常の場ではなく、非日常の場であるはずだが、
そうした雰囲気がない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 日常的な宗教
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そもそも霊能者は特殊な格好をしていないし、入神するのに本尊に向かって印を結び、唱え
言をするだけである。教団では、誰もが霊能者になることができるとしている。霊能者が一人
の信者に相対する時間も三分程度で、霊能者が発する霊言の内容も、教えを再確認したり、
先祖の不幸を聞き出したり、信者の健康状態を確かめるといったものである。霊能者自身、
霊からのことばを仲介しているというよりも、自らの直感にしたがってアドバイスを行っていると
認識している。そして、自らの接心が終わると、信者たちはその場を去っていく。霊能者にし
ても、接心が終われば、入神を解き、やはりその場を退いていく。
 こうした接心は、シャーマニズム的な神憑りというよりも、カウンセリングに近い。初期の
教団では、激しい霊動が起こったこともあったようだが、今ではそうではない。受付の雰囲気
と相まって、まさに応現院はスピリチュアルな病院なのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
島田裕巳著『日本の10大新宗教』9-真如苑 より)

 


マンダラとは何か

追記

 近年、接心のカウンセリングとしての側面のみが重視され
接心において『輪』を作る事の霊的な意味を忘れたかの如き
会座運営がされる事が見受けられる。現代社会に生きる
一般教徒各個人の事情を配慮した結果と感謝に受止める
反面、真如苑の接心修行において『輪』をつくる事の意味を
今一度深める契機になればとこれを著した次第。

                                  南無真如



2015年3月17日火曜日

真如-その視覚的表現(その2)

「早く郷国に帰りて、以って国家に奉り、
 天下に流布して、蒼生の福を増せ。
 然らば即ち四海泰く、万人楽しまん」
                                        (『御請来目録』より)


 ここで本年1/25の寒修行瑞教にて発表のあった、友心院
ついての予定、以下の二点に触れておきたい。

  ①真如苑大日如来安置
 さる3/5に総本部第一精舎にて真如密により入仏開眼された
真如苑大日如来像は、Yushin Annex(旧称:友心院B館)に
移送・安置され、いわゆるギャラリー形式で大日如来像を中心
として真如曼荼羅世界が表現される。4/27にプレオープン。
 広く社会に向け真如曼荼羅界会の世界を明らかにしていく
ものと思われる。暫くは現地も混雑が激しいだろう。落ち着いた
頃レポートしたい。

  ②四天王奉安
 10/18に復建接心道場にて行われる予定の護法善神入魂法要
『呼応』して、友心院に四天王が奉安される。法要の企画として
総本部と友心院の2つの拠処を映像回線等相互中継し、一方の
拠処に修法の導師として苑主代表が、もう一方に鳥飼尚之
ら教務長クラスの教団職員を副導師として派遣し、同時進行で
執行される事が予想される。
 ところで友心院において

四天王はどの様に祀られるのだろうか?

 今まで真如苑において四天王といえば総本部第二精舎や、
応現院菩薩の間等、十一面観世音菩薩の脇侍として祀られる
姿が一般教徒にとって馴染み深いのではないだろうか。(他に
金剛寿命陀羅尼にその姿が見受けられる)しかし今回の発表
では、本年の精進目標

ー親苑の荘厳に 護法の精神で 真如済摂を広げるー

 の元、真如苑地霊系護法善神・笠法稲荷護法善神への独自
の真言制定等、護法善神全体の存在のクローズアップがなさ
れる中、同じ一環で、これまで教苑にない形で四天王自身が
『真如苑の玄関』とも位置づけられる友心院において今までの
様に単なる一菩薩尊格の脇侍としてのみ祀られる事は、少々
考え難い。2つ程のパターンを想像してみる。

 友心院の1F玄関ロビーには他の教団施設には無い、開祖
謹刻の成年の聖徳太子像が祀られており、これを以って
教苑の次のステージの入口象徴としている事から、これと
関連付けた祀り方が考えられる

 もう一点、上記の通り友心院が『真如苑の玄関』である事、
その立地が現代日本の政治や経済の中心・千代田区である事
(これを利用する主たる人の層も推して知る事ができる)、近隣
皇居靖国神社もある事等から、平安初期に空海が、時の
朝廷より給預され、国家鎮護を祈念し、また平安京への密教の
情報発信の拠点とした東寺講堂の立体曼荼羅に倣った宝前
荘厳が実現するのではないか。

真如苑・友心院宝前
 四天王を如何に祀るのか。誤解を恐れずに謂えば四天王寺
の様な聖徳太子を中心とした祈りの場が実現するのか。あるい
は古の真言宗に倣うのか。いずれにしても、四天王を日本の
中心となる土地に祀る事で今まで以上にはっきり見えてくるの
日本の安泰への祈りと観ずる。

                         南無遍照金剛
                         南無上宮太子聖徳皇
                         南無真如