2015年9月24日木曜日

2015 五つの灯籠流し

 9月23日水曜、応現院秋季彼岸会併せてNY灯籠流し(録画)
を拝聴、現地では彼岸会は9/13、NY灯籠流しは9/20に行われたが
日本における秋季彼岸会は本日となる。それが証拠に応現院境内の
弁才天堂では加行を畢えた職員が修法にて、法要の仏天冥護を
祈念していた。これを以て本年初頭の寒修行の苑主瑞経にて発表の
あった五つの灯籠流し(台湾ハワイベルリン河口湖ニューヨーク
総てが行われた事になる。発表当初は分明ではなかったが、これらの
法会の功徳を以て、10/15のおおぞら地蔵の浄水供養が荘厳される
事になるのだろう。少々振り返ってみる。

 国外で最初に灯籠流しが修されたハワイについては何も言う事はない
だろう。ハワイ先住民の伝統文化フラ真珠湾攻撃への鎮魂の祈り、
そしてこれがメモリアルデーに行われるところから、回向や供養が受け容
れられやすい土壌があり現地TV局までをも巻込む大きなムーヴメント
となり、ここまで定着したのだろう。



 極東海域にその動向が最大に注目される台湾。1971年に開祖
訪れた時も「国情が厳しい」と評された当時のまま、中国の一部となる
か、独立か、いまだに揺れ続けているこの地域こそ自らも気づかぬまま
に平和を一番希求しているのではないだろうか。常楽我浄を見ていると、仏教と道教の混交した様子が見られる。日本と同じ大乗仏教の伝播した地域にあたるからだろうか、かつて開祖霊祖が戒められた、
御利益信仰も一般には盛んなように思われる。


 以前報じたが、開催そのものが危ぶまれる程の荒天を6時間もの
早いスタートで乗り切ったベルリン灯籠流し。かつてイデオロギーに
よってドイツを中心に東西に分断されていた欧州。開祖遷化の年
ベルリンの壁の崩壊という歴史的事件があったものの、あれから
四半世紀を経た現在、ギリシャ支援難民流入を軸に、今度は
南北に分断されつつある様に見える。その分断の本質的原因は
やはり「富」にあるように思われる。

  世界的な文化・経済の中心であるNYで、本年も灯籠流しが行われ
た。セレモニー全体は13:00~21:00に渡る長時間に及ぶもので、実際
に法会と言えるのは最後の2時間ほど。それまでは協賛するARTIST
達の発表となっていた様だ。日が暮れていよいよ開式。一流百貨店
メイシーズのCEOであるテリー・J・ランドグレン等、社会貢献の実績
持った人々の紹介の後、法会が行われ無事に終了した模様。

 以前、アメリカの法会に立ち会う機会があった時、合間を見て街に
出た所、異邦人の自分にもそれと判るほど、貧困層の人々が目に
ついたが、それと対照的に真如苑の法会に参集する現地の人々の
毛色の良さに大変驚かされ、み教えが本当にこの国に浸透していく
までの苦難の道のりに思いを馳せた事を、本年のNY灯籠流しを見て
今改めて思い出す。真如苑はこれまでも世界の各所で社会貢献に
取組んできたが、自らが身を置く同じ国の中にも、自然災害や原発
事故に遭わなかったとしても、病や老い、貧困に苦しむ人々の存在
は在る事に目が向いているのだろうか?。今夏四天王を奉安した
友心院が落慶時に配布されたパンフレットには、成人の聖徳太子像
紹介の頁に「…私たちは、次のステージの入り口に立っています。
とある。組織によって安定した暮らしを営みながら聖職者と位置付け
られた教団職員に、社会に普遍的な苦しみは見えているだろうか?。
経済格差は拡大し続ける」事を数世代にも渡る税の支払い記録の
調査を基に証明したトマ・ピケティ公開授業の中で、富裕層の社会
貢献がいかに巨額であっても、彼らの資産のうちから見ればほんの僅か
な割合である事を指摘している。NY等を中心に栄える現代美術が、
この様な富裕層のクローズド・サーキットの中で評価され、莫大な富が
そこに動く。本年真如苑が友心アネックスで公開した大日如来像
クリスティーズでのオークションで最後まで購入権を真如苑と争ったのは
この様な富裕層だった。NY灯籠流しでコラボしたARTIST達の作品も
こういったMONEYに支えられているのか?。この灯籠流しが行われた
同じNYで「We are the 99%」のスローガンの下、大規模な抗議運動が
起こった事を忘れてはならない。


 本年の寒修行で、アフリカで社会貢献に取組むある教徒の体験談
を拝聴する機会があった。取り組みの接心の霊言に「まず有力な人から導くように」と示された事に当初ショックを受けた心情が語られていた
が、客観的に見て社会に影響力を持った人々が大乗利他の精神に
目覚める事が、将来状況を大きく変えていくだろう事は理解できる。
しかしながら、今この時苦難に直面する人々と、助けようと心を同化
させた人にとっては、ある点「時」が一番の問題かもしれないのだ。
トリクルダウン理論は実態に即していない。

 最後に指摘しておきたい。インドにおいて仏教が衰退した一因は、
その支持層が当時の社会の新興上流層に偏っていた事。もう一つ
真如苑が所依の経典とする大般涅槃経は「実践が何より尊い」と
のテーゼの下に、当時の社会の下層階級である鍛冶屋を生業とする
持たざる者純陀が、文殊師利との討論でその資質を示し、参集した
他の長者、王族、神仏等総ての人々を差し置き、釈尊臨終の場で最後の飲食供養を捧げ、も尊いものを得る説話として著されている
事を。

                               南無真如


2015年9月6日日曜日

両部不二、慧印、そして真如 -その2- 文献研究の視座から 

 空海が唐で恵果阿闍梨より受法し、日本に請来した両部密教で「両部の大経」とされている大日経と金剛頂経。この二つが全く別個に発達した事は前回述べた。同じ密教とはいえ、思想的脈絡にも乏しく
修行の方法にも大きく隔たりがあると指摘されている。以下に相違点
を簡単にまとめる。

          大日経(胎蔵)   金剛頂経(金剛界)

区分(チベット)  行タントラ      瑜伽タントラ

発達段階     大乗⇔密教    完全に密教化
           過渡的

修行の特徴    段階的(漸悟)   頓悟
           時間重視      無時間的

 
 更に、津田真一氏はこの両経の特徴を著書「反密教学」で、

          大日経(胎蔵)   金剛頂経(金剛界)

          利他行の宗教   瑜伽の宗教
          慈悲の宗教     即身成仏



とし、この両経を

『・・・「両立不可能にして、且つ、二者択一不可避」な関係にある
 ことです。第三の選択肢は無いし、両項をジンテーティッシュに総合
 する第三項もない。・・・』(「反密教学・密教理解の原位置」より)

事から、これを<Criticality>と表現、両部不二密教は成立しえ
ないとしている。

反密教学

果たして、両部不二密教は本当に成立しえないのだろうか…

                                続く