2017年7月17日月曜日

現実⇔虚構(メディア⇔宗教(尊格))

 もし、自分に曼荼羅を描く機会があれば、きっとその片隅
にゴジラを入れると思う。

 何処で知ったか分明ではないが、宗教の存在意義について
こんな図を見たことがある。
(これに「政治」を加えた4円だったかも…)

 実は、高度に発達した現代のメディア・コンテンツも
これと似たような構造を持っているのではないだろうか。
こんな感じだろうか…
もう少し具体的にシン・ゴジラをこれで表現してみる
こんな感じだろうか…
ゴジラとは何か?と問われて今までにこんな指摘がある。

1、第二次大戦の戦死者の亡霊
2、原水爆及びその実験による惨劇の象徴
3、公害

シン・ゴジラでは更に以下が加わる。
4、東日本大震災
5、福島第一原発事故

 以上1~5に共通するのは
戦後の繁栄の陰にあるものの象徴
いう事ではないだろうか。シン・ゴジラの「シン」には
観た人の取り様によって多様な意味が発生するが、作中
ゴジラを「神」と名付けたと謂れが語られるシーンが
ある。

 少々長く前提を語り過ぎたか。現代は神への信仰が失われ
つつある時代と指摘され、それに代わる可能性のあるもの
としてキャラクターを指摘する識者もいる。

 識者が指摘する様、信仰が失われつつあると言われる現代
昭和29年初上映時より60有余年、幾多の紆余曲折を経、
日本だけでなく海外においても新作が作られ多くの人々の
心を惹きつける、戦後の繁栄の陰が形になって顕れた様な
ゴジラという怪獣=キャラクターが、もしも宗教の世界で
尊格として成立するなら、一体どれほどのポテンシャルを
持つものか…。そんな事を考えるに至った今日この頃。

 七月、お盆も近い頃、夫々ゴジラ絡みのイベントが行わ
れる鹿児島愛知大地震記録的豪雨に見舞われ、その上
こんな目撃情報まで出て来ると現実対虚構」のサブタイが
もしや、そんな目に見えない想念の世界と現実を繋げてしま
ったのではないか…。

シン・ゴジラ論

「・・・・・・・・・・・・・ただ偶像を
 拝むのではない、有形に信じていくため
 にこのご尊像が必要なのです・・・・・」

 どうやら自分は自分は開祖の説く仏を信じるすじみち
同じ論理で、ゴジラに戦後の繁栄の陰を見ている様だ。
ならば、ゴジラを通じ現代の日本の繁栄の陰に廻向する
事も可能なはず。

                   南無真如



2017年7月10日月曜日

犬日々(dogdays)雑感

 梅雨が明け七月に入り暑い日が続く。さる六日に行われた
沖縄灯籠流しをビデオ録画にて拝聴。この沖縄での取組みは
ハワイでのそれと違いまだ日も浅いが、それだけではなく
太平洋戦争の戦場となって以後もこの地に留まり続ける米軍
基地、更にはそれ以前、薩摩藩と中国に両属の歴史を持った
二重支配の因縁に彩られたこの土地には、まだまだ救いを
待つ諸霊の苦しみが色濃い様に思われる。

 久々に #シンゴジラ のタグがトレンドにのる。一時は
小出恵介の身辺事情によってノーカットはおろか中止まで
懸念されたWOWOWでの放送無事行われた為らしい。
 (ゴジラ・沖縄といえばメカゴジラを思い出す。ゴジラ
と共にメカゴジラと戦うキングシーサーには沖縄の復権
への願いも託されていたのだろうか)

 祖霊信仰の国日本にとって、夏は慰霊の季節であり、
更に戦後、第二次大戦の終戦がこれに重なってくる。
真如苑でも13日の迎え盆から15日の盂蘭盆会、来月
16日の河口湖水施餓鬼廻向法要まで、彼我戦争犠牲者
をも含めた廻向が継続される。思えば昨年のシン・ゴジラ
公開もこの期間の真っ只中、7月29日だった。そして
本年WOWOWのシンゴジラ放映も丁度ほぼこの期間中に
行われる。#シンゴジ実況 の熱狂に浮かれていた頃には
気が付かなかったが、今改めてシン・ゴジラとゴジラ論
を概観してみると、更にみ教えとのつながりを見つけて
唖然とさえしてしまった事があるので記しておきたい。

 ゴジラは何故東京(皇居?)を目指したのか?
 ゴジラは第二次大戦の戦死者の亡霊だ等とする説がある
実はこれ少々違うんじゃないかと思っている。正確に言う
なら
第二次大戦の将兵=英霊が、英霊足らんとする為に、捨て
ようとしても捨て切れなかった思念の凝結
なのではないかと思う。
 
「・・・・・・・・・・・・・・私はすでに
 身・口の悪行を調伏し、智慧の良田を得、
 煩悩を除いて、今はただ如来の甘露の法雨
 を希っているものです。…
(一如の道 大般涅槃経 序品第二)

 小林よしのり氏が言うように、第二次大戦の将兵達が
公の行いに徹した事は事実だと思う。それでも各々の心
の奥に何が渦巻いていたかは当の本人だって判らなかった
かもしれない。そんな無意識化における負の思念の集積が
ゴジラだとしたら、それこそ毎年毎年沢山の祈りをもって
廻向されて行かなきゃいけないんじゃないだろうか?。
 そんな荒ぶる負の思念の凝結を抑え込んだヤシオリ作戦
限界研の座談会で笠井潔氏は退魔の儀式等と評している
がこれが「ゴジラ調伏の法」として、防災予備施設があり
真如苑発祥の地である立川市で完成した事に機縁を感じる。
 更に、ラストシーンで凍結されたゴジラが東京駅から
皇居の方向を向いているとの指摘もあるが、仮に事実なら
その先にある真如苑・友心院もゴジラの視野に入っている
筈である。事実友心院宝前のみ仏は東を見て祀られている
ので、ゴジラは天皇と共に真如のみ仏をも礼拝し祈りの中
鎮まったと考えたい。
                   南無真如

2017年7月3日月曜日

活きた法流

 ここ数か月ほど、重要な法要に参座する際は、可能な限り開式より1~2時間ほど早く境内に参拝し、弁才天法の修法
を拝させて頂いているが、どうも修法にかかる時間の内、
笠法稲荷社殿での礼拝にかける割合が以前より長くなって
いる様に思われる。これは修法にかかる時間を実際に測った
訳でもないし、ましてや自分は加行を頂く身でもないので
単なる印象にしか過ぎないのだが、本日も同じ様に立会って
見て益々それが強くなった。もしかしたら修法の内実は、
弁才天法というよりは護法善神法とでもいうべきものに
なっているのでは…、と不遜な想像を巡らしている。
 以前、真如苑で霊示により笠法護法善神の真言が新たに
制定された事を報じたが、尊格に新たに真言が制定される
という事は只それだけに留まらない。大は法要の式次第や
修法に始まり、小は一般教徒の勤行に至るまで、新たな
をそれまでの修法の中にどの様に納めていくかという問題
があればこそ、発表から昨年の寒修行に至ってのお唱え初め
であり、更には今年の初午会まで段階を踏んでの、法会の
拡充だったのではないだろうか?。
 更にはそれ以前、「笠法護法善神の顕揚」が霊示された
背景には、真如苑の聖地復建は元より、先年平成25年の
伊勢神宮・式年遷宮出雲大社・平成の大遷宮などによる
日本の神さまへの意識の高まりもあるのかもしれない。
真如苑(悠音精舎)では神仏習合について岡本彰夫氏の
講演が行われている。(歓喜世界249~251連載)
 常常この様な変化が、真如苑において様々に起るのは
真如三昧耶流が活きた法流だからであろう。活きている
というのは、常に内外に様々な変化があるという事である。

 「活きている」という事は、時として生々しい。涅槃経
の研究で知られる下田正弘氏も、以前苑での講演の中で
真如仏塔や開祖霊祖・両童子のみ像への参拝について
「ここは分水嶺」と評されている。現代社会に生き、人権
等の様々な観念を発達させた我々にとって、現在進行形で
こういう事があると、受容れ難い感覚に執われるのも無理もない話かもしれない。数か月前にもこんな投稿があった。
 しかしながら、時宗の一遍上人や、浄土真宗の親鸞聖人
等の祖師信仰という観点から真如苑を見た時、それほど
不自然な事をしているとはいいがたいのだ。

                   南無真如