2015年8月23日日曜日

8/22/2015 友心院四天王入魂法要

 暑さが少し和らいだといっても、まだ30℃以上の気温が続くこの時期
東京・半蔵門の友心院において予てから予告されていた四天王奉安
が、苑主代表の御導師によって行われた。AM11:00、これの中継を応現院にて拝聴。5F宝前内陣に四天王が三輪身を護る形に祀られ
導師座が外陣に設置されている。以前予想した中では東寺講堂と、
同様の配置になっている。
 終了後、苑主代表の挨拶がある。持国(東)・増長(南)・広目(西)・多聞(北)の各々の四天王が司る心の在り方が説明される。
また、当初秋季彼岸会までにとされていたおおぞら地蔵の浄水供養
翌15日になる旨発表があった。ららぽーと立川のオープンは更に翌17日になる模様。以前の憶測は満更間違いでもなかったのだろうか?。
また、この発表に合わせ、周囲に4つの大きな鉢に蓮の葉をあしらった
おおぞら地蔵荘厳の完成予想図も発表されたが、応現院の本棟と
修行棟を結ぶ3階渡り廊下から、おおぞら地蔵周辺を重機で方形に堀り返している工事の様子が見えるが、本当に本日の発表通りになる
のかよくわからない。四天王像謹刻に尽力された来賓各位の前での
公式の挨拶の後、1Fロビーに巡回、代表参座の青年教徒の前にて
護国寺や聖徳太子などのお話しをされ式典は終了した。

 午後、立川で昼食を摂り友心院に記念参拝に向かう。現地宝前
にて実像を拝する。幼児ぐらいの身長に刻まれた古代中国風の鎧に
身を固めた四天王さまたちがいらっしゃる。後頭部に輪宝が荘厳され
ているが、これは背部に蓮華の茎のような支柱で支えられている。
の頭部を象りその口から腕を通す形の、肩のアーマーなど要所に金
での彩色が目立つ。モニタを透して見ると結構鮮やかに見えるが、実
際に友心院宝前の落ち着いた照明の下ではぐっと落ち着いた雰囲気
がある。

 立川への帰途、電気火災による鉄道の遅延に行き会う。さいわい
それほど大幅な遅延にならずに立川に着く事ができた。さる18日にも
立川市内で鉄道の電気火災があり大規模な鉄道の混乱があった
ばかり、何が起こっているのだろうか…。

 思い立って親苑に向かう。折からの夏祭りのお囃子を聞きながら、
親苑の発祥第二精舎宝前に入る。ここには本尊十一面観世音の
脇侍として四天王が祀られているのだ。丁度10月に復建接心道場に
入魂の予定の笠法護法善神の開帳参拝が催されている。
 改めてこちらの四天王を拝する。第二精舎落慶入仏開眼はさる
1979年、四天王さまの茶褐色のお姿にも年月が感じられる。こちら
の四天王にも何か新たな展開があるのだろうか…

                                 南無真如



2015年8月5日水曜日

両部不二、慧印、そして真如 -その1- 密教史概観

 どうも、密教の法流血脈というのは二つに分かれる性質がある
のだろうか。五世紀になって衰退が始まった仏教の中で生まれた
密教は、まず7~8世紀に中国を通じ日本へ伝来した両部不二
密教の基となる中期密教(行タントラ=大日経・胎蔵、愉伽タント
ラ=金剛頂経・金剛界)と、インドで仏教終焉の日まで発達し続
けた後、チベット等を中心に伝えられた後期密教に枝分かれす
る。その後、中国に渡った密教は、唐の時代にこの地を訪れた
空海や最澄らによって日本に伝来するが、正統の密教を求める
過程において両者は断絶してしまい、日本の密教は真言宗(東密)と天台宗(台密)の二大宗派に分かれて発達する事になる。
更に真言宗においては空海入定後、都市を中心に発達した広沢
遍照寺の寛朝僧正の大成した広沢流と、日本古来の修験道との関連の深い小野曼荼羅寺の仁海僧正の大成した小野流から、
それぞれ六流に別れ野沢十二流を形成する。院政期において、
この広範な分派の状況を鑑み、空海の伝えた真の法流の姿を求
めんと、自らに帰依する鳥羽上皇の権威を後楯に諸派の阿闍梨より伝授を受けた覚鑁は、伝法院流と称する統一法流を確立、
に当時衰退しつつあった高野山の復興に尽力するも、高野山経営の問題や保守派衆徒の反発等の為、根来寺に引き下がら
ざるを得なくなる。これによってかえって真言宗は高野山や東寺
を主とする古義真言宗と、覚鑁の打ち立てた法流を基とする新義
真言宗の二派に大きく分裂する事になる。

 中期密教(日本)と後期密教(チベット)、真言宗(東密)と天台宗
(台密)、小野流と広沢流、古義真言と新義真言。常に分裂を繰り
返しているかに見える密教の法流だが、殆ど唯一の例外と言え
そうなのが、夫々別の時期、地域で発展した大日経系の密教と、
金剛頂経系の密教を、別々の師から伝授された、真言第七祖の
恵果阿闍梨ではないだろうか。恵果阿闍梨が異なる二つの法流
を相承する事が出来なければ、今日の両部不二の日本密教は
存在しえなかっただろう。

                                  つづく