誰もが、その人に注目していた。
老いも若きも男も女も、誰もがその人の名を呼び、その人に拠っていた。だがその人は、すでに髪も真っ白く、足を痛めて動作も緩慢、老いた体を引き摺る様に自分を呼ぶ声に懸命に応えておられる。
「みんな、この人がいなかったら生きていけないんじゃないだろうか」
家族での入信と前後して、老いた肉親の死を一回だけでなく間近に体験していた自分には、その人の老いた姿から、どうしても別離の時期が近い事を予期せざるを得なかった。
月並みな表現しかできないのが申し訳ないが、尊敬に値する立派な見事な方の様である。きっと多くの人々に慕われるだけの行いを長年積み重ねてこられたのだろう。それだけにこの人の喪失が、このコミュニティにもたらす衝撃と混乱の渦の大きさの計り知れなさに、末端の一般信徒に過ぎない身の自分が、
「この人がいなくなったら、この教団はどうなってしまうのだろう」
などと真剣に心配していたのだから……
その心配は現実のものとなった。
平成元年七月十九日、開祖伊藤真乗遷化。伊藤真聰苑主の真の後継者としての苦難の道のりが始まった。
南無真如