2014年12月28日日曜日

2014年秋を振り返って

 明日は納めの法前供。今年最後の護摩でもあるので、9月以降
色々気になる動きがあって、久々に綴ったこのブログも今年の
着眼点を纏め一旦納める事にしよう。


 先日12月23日、応現院総部会にて、苑主代表より

   「明年はおおぞら地蔵様の浄水供養」

との発表があった。これに合わせて地蔵尊の周辺環境整備も
行われるものと思われる。仮令原型とはいえ真如のみ仏として刻んだみ像を、製作者自身の世間的な開運ビジネスに供する事、その様な行いがおおぞら地蔵様の荘厳に相応しいのか、
今後とも注視していきたい。尚藪内氏のサイトの画像からは確認
できなかったが原型のおおぞら地蔵が手にしている輪宝は
真如苑の意匠であるようにも私には感じられる。

あれ以来、事件現場となった慧燈院通用門には警備員が終日
立哨し、教団施設間を往来する職員の眼に怯えの色が浮かぶ。

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「僕は検事になって、悪い人間を裁くんだ」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「友一、お前自身を責める人々を愛していく、
  それが神仏に仕えていくことなのだ」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
(歓喜世界244号・苑主瑞教より)

ここ数年、折に触れ苑主代表が

「事務局員は聖職者」

と述べるのを良く見るが、この出来事はそれが真になるか否か
の試金石ではないだろうか?。開祖の諭す宗教家のあるべき
姿から、教団はこの事件を被害者として追求しないのでは
ないだろうか?。この場合真相は伏せられて行くのだろうが…



 700万年の昔、アフリカで人類が発祥してより、世界中に
拡散していく道筋を、考古学者ブライアン・M・フェイガン


と名付けた。これを探検家関野吉晴氏が終点の南米大陸
から始点のアフリカ大陸まで近代的動力に頼らずに踏破した
道程が紀行ドキュメンタリーとしてTV放映されたのはまだ
記憶に新しい事と思う。



 同じ9月に北米で行われたNY灯籠流しと「火と水の法要」
として一纏めに扱われる事が多いペルー済摂護摩だが、
発祥に祈り運ぶ法会だったのに対し、今回は人類の到達点
である南米大陸で行われた事に着目したい。真如苑は今まで
も世界各地で法会を行ってきたが、アフリカ斉燈と南米済摂
の二つの法会によって真如の祈りが人類の発祥から到達点
まで届けられたとはいえないだろうか。余談だが、寡聞にして
この様な異なる見方を法憧において聞いた事がない。法憧に
関わる教団職員各位は奮起されたい。




終りに

 去る12月8日成道会、苑主代表は法要後各々内陣左右に
分かれて着座している登壇者を指し

「(内陣下手事務局員を指し)この人達が聖職者で、 (内陣上手部会登壇者を指し)この人達が皆さんの代表なんです」

と述べた。これを聞くにどうも、自分は苑主代表から見て、
教苑秩序の破壊者と映っているのだろうかと思える。
おおぞら地蔵の件では愛苑の声への投書を公開書簡として
このブログで明らかにし、まるでこの件における一般教徒代表
の様に意見した自分は、確かにそれまでの教苑のルールから
外れた行動をした。何故こんな行いが出来てしまったのか?。
 せんとくんによる奈良県地域社会に起こされた騒動を知る人
ならば、藪内氏は造形製作における「いわくつきの人物」と
既に多かれ少なかれ印象付けられていた筈であり、仮令地蔵尊
製作者として苑主代表のみ仏の眼によって選ばれた人物で
多くの一般教徒が無意識に感じていただろう違和感や抵抗感
「信」によって棚上げされるには重い物があったのではないだろうか?。私自身完成したみ像を見る限り、苑主代表の選択を間違ったとは思わない。一番の問題は教苑事務局が事を運ぶに
当たって、教苑の決定の支持が「信」によって得られると安易に
受け止め、一般教徒の理解を得ようと努力しなかった事にある
のではないか?。その様な歪みに私の発言する余地があり
真如霊界の後押しを頂く結果となったのではないか?、今振り
返ると、これを予感させる霊言を私は2つほど頂いていた様
なのだ。

 総じて、今後の教苑事務局に何が必要なのか示す事象が
色々とあった秋と言わざるを得ない。

                            南無真如