あった運慶作と目される大日如来像を、西川勢二総合企画部長
(現・教務長補佐)が担当し落札したニュース、そして清泉大学の山本勉教授による一連の調査結果のうち上記のX線写真を見て
感じたのは
「運慶には真言密教の師がいたのではないか」
という事である。伽藍において修法・事相の中心となる仏像、その
の外観のみならず、心月輪・塔婆型五輪塔・五輪塔型舎利容器等の像内納入物について末端の職人が自由に造るなどと言う事
があるだろうか…。
ふと思い出して確認した教書の一節
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・真澄寺の不動明王は、お経文通り
のお姿ではありません。おん目は、平常眼
に見開いておられます。ここに、さる名仏
師が伝統の阿闍梨につき、口伝を尊んでそ
の秘められた教えの真実義を表現された入
魂の作であることがよくわかります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは少し専門的になりますが、私が涅
槃尊像を謹刻するに当たって、秘められた
教えに従って、いろいろと研究しました。
普通、仏像はお経文通りに刻みますが、こ
の密教には経文を超越した刻み方がある、
それは承けつがれた口伝によるものである
ことが明らかにされたのであります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
(『「一如の道」新訂版・教導編
二、不動明王と護摩 不動明王の心』より)
上記は開祖・伊藤真乗が立教の際迎えた運慶作と口伝される
真澄寺本尊・大日大聖不動明王について述べたものだが、この
大日如来像について感じた事を開祖が本尊不動明王を通じて
既に述べていた事から自分の私見に一つの確信を持った。と、
同時に真澄寺本尊とこの大日如来像が共に運慶作と確認され
たなら(山本勉教授は慎重時本尊をご覧になったのだろうか?)
この大日如来像を通じて、上記の開祖の説が学術的にも証明
されるのではないだろうか。
運慶は生没年さえ定かではなく、その活動が不明な期間も
多い。既存の運慶を描いた作品を幾つか読んだが、まだ描かれていない運慶の姿が沢山あると感じた。故・隆慶一郎氏が
「時代小説の愉しみ」のあとがきで述べている様なアプローチで
改めて最新の研究成果を交えつつ、真如教徒として、独りの
在家信徒として運慶の真の姿に迫ってみたいなどと、大それた
事を考えつつ、こんな恥ずかしい真似をしてみている。
親苑時報三月号の瑞教に苑主代表の気迫を感じる思い。
3月5日が楽しみだ
南無真如