2016年9月13日火曜日

まつろわぬ思ひ

 この記事は映画「シン・ゴジラ」「君の名は。」のネタバレを含みますm(._.)m






































 かつて真如苑開祖伊藤真乗は旧立川飛行機で技術者として
勤務していた頃と、宗教専従~まこと教団事件辺りまでの半生
における地域社会の自身への態度を振り返り、立川市の土地柄
を「地元に金を落とす高給取りには諸手を挙げて歓迎するが、
そうでない者は他国者扱い」と評している。今夏JR立川駅前に
オープンした再開発ビル・立川タクロスや、ガッチャマンション
愛称で知られるサンクタス立川T1、昨年暮れにオープンした、
ららぽーと立川立飛に合わせ計画が進むパークホームズ立川
等そういった高いレベルで収入の安定した方を顧客とする住宅
の建設が依然続いているのを見るに「変わってないんだなぁ」
といった印象を一際濃くする(そういった人の世の在り様を見て
なおも開祖は衆生済度の祈りをリンク先冒頭の句に籠めた訳
だが…)。

 今夏7月29日公開の映画シン・ゴジラでは都心地区をゴジラ
に蹂躙された日本政府が、捲土重来を期す地として立川が描
かれている。実際に立川広域防災基地は首都機能を代替する
施設でもあり、これがある泉町・緑町には国や都の施設、そこで
働く多くの公務員の住宅等が集まっている。立川市はこういった
人々を上記の理由から喜んで受入れている様に見える。

 シン・ゴジラをWSJ
 「安倍首相の元で生まれた、新たなナショナリズムを想起させ
官僚をヒーローとして描いている
 と評しているが、Twitterではこれを「的外れな指摘といった
論調が多い様だ。
当の首相がこんな事を嬉しそうに発言しているw

 内田樹氏はシンゴジラを「…仕掛けの多い映画」と評している。
劇中、日本臨時政府のある立川広域防災基地で、国連安保理
による首都への投下受入れの是非に、ゴジラ対策担当大臣
矢口蘭堂(長谷川博巳)は首相補佐官の赤坂(竹野内豊)に

戦後は続くよ、どこまでも…だから諦めるんですか

と噛みつくシーンがある。この立川広域防災基地(陸自駐屯地
こそ、その米国の内部工作によって企画された最高裁によって
戦後日本全国の在日米軍のフリーハンドな特権が確定された
砂川事件の現場なのだ。これを明確に指摘したシン・ゴジラの
論評は見当たらないが、この点を抑えてみればWSJの論評は
一面的に過ぎると思う。内田樹氏の指摘と併せて庵野監督
戦後日本に向けるメッセージ(意図的な物かどうか不明だが)
を読解いてみればこれは「応援」と「批判」の両面を併せ持つ

叱咤激励

と見るのが妥当ではないかと思う。

 ゴジラとは何だろう。原水爆の影響で生まれた初代ゴジラでは
公開当時政治不信が高まっていた世相を反映してか国会議事堂
が破壊されるシーンでは映画館で拍手喝采が上がったという。
 Twitterで話題になる「弊社破壊して」「内閣総辞職ビーム」等
シン・ゴジラについての、パワーワードと呼ばれるキーワードには
ゴジラの破壊について語られるものが目立つ。
 古来日本では、時の権力に従わない者を「まつろわぬ者」とし、
それらは時として誅され、あるいは妖怪変化やこの世ならざる者
として描かれたりした。現代において初代ゴジラは政治不信を、
シン・ゴジラは格差を背景にした社会全体の不安・不満・不信等
を背負っている様に思える。



 自衛隊の総攻撃を退け首都に着いたゴジラが米B2爆撃機
貫通弾で背骨を砕かれ黒目を剥くシーンに何故か涙が出る。
核廃棄物のある環境で進化し、巨大災害の様なゴジラの存在
に本シーンを見た人が涙するのは畏怖からばかりではない。
 劇中ゴジラの存在を予見した行方不明の牧吾郎教授の半生
と重なるBGM「Who Will Know」の悲壮感と共に、我々一人一人
のまつろわぬ思ひと一体化したゴジラがアメリカの爆弾という力
によって今まさに打ち砕かれんとする様を見てその痛みを一緒
に感じるからこその落涙ではないのか?。だが、ゴジラはこれに
耐え「放射熱線」という新たな怒りに目覚め、自らを打たんとした
B2を撃ち落し首都を焼野原にし、居合わせた日本国首脳陣の
殆どの乗るヘリを撃ち落してしまう。まつろわぬ思ひがかなって
しまった先の光景の無残が、更に見る人を打ちのめすのだ。

 この様な高密度の恐怖や重いメッセージに我々観客自身も
少々疲弊しているのだろうか。シン・ゴジラの二次創作系タグ
#平和なシン・ゴジラ#巨災対の日常等見ると映画の重さを
離れ実にほのぼのとしている。こんな状況が一か月近く続いた
所に新海誠監督君の名は。」が公開され、シン・ゴジラを凌ぐ
興行成績を上げている。また、初代ゴジラ公開時と同時期に
同名タイトル「君の名は」が公開され興行成績を抜かれた因縁
があるという。今夏について「東宝のマーケティング戦略」など
と言うのは無粋だろう。

 ゴジラに背負わされた様なまつろわぬ思ひはどうすればいい
のか?。核投下直前の首都で乾坤一擲のヤシオリ作戦を遂行
し、ゴジラを活動停止に追い込んだものの、ゴジラそのものは
東日本大震災後の福島第一原発の如く、ダモクレスの剣 として
日本に存在し続ける結末を迎える。知恵を絞り力を尽くしても
まつろわぬものを従える事は出来ないのだ。
 「君の名は。」の劇中「ムスビ」という言葉が出てくる。神の業
や、何かが結びつく事、時の流れもそう呼ばれている。突如と
して二人の少年少女が入替わる突拍子もない始まりも、後から
観れば滅びを避けようとする為の「ムスビ」とも言えそうだ。
 ゴジラにしろ隕石の落下にしろ、「どうしようもない事象」がある
というのが東日本大震災以降の認識として確立しエンタメも
そこに沿って作られていく。「どうしようもない事象」にゴジラに
対する矢口蘭堂率いる巨災対以下日本官僚の様にひたすら
知恵と力を振り絞るのか、自らの限界を見つめつつ環境に
コミットしながら未来への期待と出会いを信じて進むのか…。