こうして制定された常住讃だが、過去半世紀に渡り、唱え
られてきた讃題と併せ、常住讃も根本頌(こんぽんじゅ)と
されている。こうして真如苑では二つの称名が並立する事に
なった訳だが、根本頌となる称名の並立というのは他の宗派
にもある事なのだろうか?。浅学非才にして寡聞な自分だが
これは世界的に見ても大変珍しい事なのではないだろうか。
こういった事態について予め8月中に教苑会・総部会・
親苑時報等を通じ教団側から念入りに広報が実施されており
当日の瑞教でも「これは凝縮です」とのお言葉があった。
しかしながら、敢えて「称名の並立」という少々理解に
努力を要する道を苑主代表が選択したのは何故なのか?。
もし、讃題を廃すればそれは新時代における開祖の否定に
つながり、このまま讃題のみを選べば苑主が見出した新たな
しかも重大な祈りを伝える必然性を否定してしまうのか…。
東京都の中央卸売市場移転問題で小池百合子都知事の発言
「築地は守る・豊洲は活かす」にも一見似たような状況に
如何なる意味があるのか?。
この状況を読解く鍵として、讃題と比較して常住讃から
三宝(仏・法・僧)のうち「僧(伽)=教団」の要素が
取り除かれている事に着目したい。
「…摂受心院死後において苑は栄えてきたが、教化の浸透においては、
摂受心院の存命中のようにはいかなかった。…」定記より
組織運営論めいた話だが、どうもリーダーシップというの
は二通りあると思う。組織の内外を俯瞰しメッセージと舵取
を行うトップの役割が一つ。と同時にトップの内面を理解し
組織内にそれを適切に浸透させる、牽引役としての役割。
この二つの役割を担う者が互いに協力し合って初めて組織は
動き出す事が出来る。詳細は伏せるが、これは私自身が教団
と全く関わりの無い所でこういった問題に直面した体験から
述べている。開祖が自分達夫婦の事を「一心同体ですね」と
評された時「いえ、一心一体です」と答えたエピソードを聞
いた事があるが、まこと教団事件終結以後、開祖霊祖が共に
在世の昭和42年までは、教団の運営が安定期にあり、この
真如苑において三宝一体の理が実際に実現していた時期と
言ってよいと思う。(昨年荘厳の復建真澄寺・接心道場は、
丁度この時期の教団を再現したものである)霊祖摂受心院が
当時二つに分かれていた讃題を一つに統合する旨、開祖に
願い出たのはこの時期の体験に依るものだったのではないだ
ろうか。
しかし、昭和42年霊祖遷化以降、教団における内側の
リーダーシップは衰退、平成元年開祖遷化以後この問題は
教団を継承した現苑主代表・真玲姉妹に「定記の取組み」
として引き継がれる事となったが、苑主代表自身をして
「定記の取組みは私達が生きている限り続きます」
と言わしめるほど難しいものであり、その動静は時として
外部に報道され、重要な法要の登壇の際、真玲猊下の沈痛
な面持ちの隣で、苑主代表や教務長が耐えかねた様な表情で
祈る様子が見えた時など、参座の一般教徒までがハラハラす
るような有様だったのをついこの間の様に憶えている。
この様に苑史を振り返ると、霊祖摂受心院の願いにより
三宝一体に帰依の理によって二つの称名を一つにした讃題
が、昭和42年9月6日に制定されてより半世紀、仏法僧
のうち「僧(伽)=教団」に人を得ず、その本来の宗教的
ポテンシャルを発揮しきれないまま、教苑を次代に継承する
事への大きな懸念が常住讃制定の背景にあったのではない
だろうか…
続く
2013年常住祭の次期苑主教団後継指名の際、これを受けて誓いの言葉を述べる鳥飼教務長補佐の両脇を固める長塚・西川亮教務長の年齢から容姿に、何か頼りない印象を感じた事を憶えている。鳥飼教務長補佐が次期苑主として教団を運営するにあたって信頼できるスタッフ集団が確立しているのかどうか、老婆心ながらとても心配している。
返信削除https://www.shinnyo-en.or.jp/news/2013/03/20130329.html
これを書いていて、何故苑主代表が接心道場復建を目指したのかやっとわかったような気がする
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