10月20日、立川は午後から雨。今季一番の冷え込み。
境内の地蔵尊は未だ周辺環境の整備が始まっていない。
自分の反対意見が進捗を遅らせているとすれば心苦しい。
蜻蛉も安息の池が必要だろう。
『ポゼスト(障害霊)を背負う智文を抱いたまま御宝前に祈り
続けている時、一つには八つざきにしても飽きたらぬポゼスト
への憎悪と、二つには夫・主管(註・当時私を、主管と呼んで
いた)が眼の中に入れても痛くない智文ー私にしても抱いて
愛撫する可愛さは主管と変わりはないのでありますがー
ポゼストへの憎悪と、何ものにも変え難い長男という情愛の、
二つを一つに持った智文を膝の上に抱かねばならない私の
胸の中は、自分で割り切れぬ切なさと、得体の知れぬ悲しみ
とが胸にこみ上げてくるのでありました。
---以下略---』
「一如の道・草取信仰」より
応現院境内に参拝し、おおぞら地蔵様に手を合わせると
何故だろうか、上記が心に浮かぶ。
私は藪内佐斗司氏が製作者に選定される経緯には納得して
いないが、実は地蔵尊そのものについてはそれほど拒否感を
抱いている訳ではない。むしろ薮内氏の芸術家としての個性と、
彫刻家・仏師としての祈りが良くバランスした傑作ではないかと
思っている。是非ご自身のサイトでも喧伝されたい。
かつて親苑のご霊廟の仏塔を刻む際、製作を請負った
溝田童仙氏は教団側担当者にこれを如何に刻むか質問した時
「仏の世界」
との答えが返って来たそうだが、境内地蔵尊の周辺環境整備も
同じではないか。故に個我の主張の場にしてはいけない。また、
おおぞら地蔵様も真如のほとけとして刻まれたのだから、いくら
製作者であってもビジネスに供するのは肯定できない。
一つここで提案しておきたい事がある。
境内地蔵尊は、両童子傘寿喜寿の祝賀の為、もう一つには
これが青年会60周年記念を祝しての荘厳でもある。よって、
おおぞら地蔵様周辺環境整備を如何様にするか、今週末に
催されるWORLD YOUTH FESTIVAL 60において、結集する
青年自身が決定してみてはどうか?。薮内氏がこれにどの様に関与するかも青年自身が判断する。関係各位は検討されたい。
先のせんとくんへの批判に続き、今度は真如苑で同様な発言
をする私の様な存在が居た事に、薮内氏もさぞうんざりしているのではないだろうか。ここで私が問題提起したかったのは藪内氏
ご自身ではなく、藪内氏に地蔵尊の製作を依頼する教団内の
非民主的な経緯である。また、一庶民がこの様な大きな問題に
アプローチするにあたっては、身一つで赴いてもけんもほろろの
扱いをされるのが関の山であって、私にとって唯一確実に実行
しうる手段は、一つのハンドルネーム「名も無いまめぞう」にて
多くの発言を蓄積し、ネットの様なツールによってそこに自身の
人格を表現していく事しかなかった事を、どうかご理解頂きたい。
最後に、おおぞら地蔵様、両童子様、苑主代表、
藪内佐斗司先生、顕幽の応現院境内地蔵尊建立関係各位の
皆様、千載一隅の祝賀の機会にこの様な記事を書いた事、
本当に申し訳ありませんでした。
南無真如
2014年11月21日金曜日
おおぞら地蔵建立の経緯 -2014年9月法前供・事務局M局員の法憧より-
先日9月28日、真如苑応現院・法前供の法憧にて、これを担当した教団事務局職員M局員により、機関紙・親苑時報8月号の
「苑主瑞教」(2014年7月下旬発行)で正式発表された
『おおぞら地蔵入魂の儀』にて開眼される地蔵尊の製作に、
以前より「せんとくん」のデザインで著名な東京芸大大学院教授の彫刻家・薮内佐斗司氏の起用の経緯が語られましたが、これを
拝聴するに私の疑念(と言うより違和感)が氷解すると同時に、
私のおもひも、先日27日に噴火した御嶽山の様にこみ上げる
物が沸いて出て来た様に思いこれを認めた次第です。
法憧の内容ですが…
予て教団内に「応現院境内に地蔵尊が必要」との認識が
共有されていた所、ある時苑主代表の
「藪内さんの様な方に作ってもらえたら」
の言葉を聴いたM局員が、教団内の伝手(薮内氏と近い
悠音精舎勤務の教団職員11/7生まれ)を辿り薮内氏にこれを
依頼したとの事。しかしこのM局員の奔走は、実態としては
組織内における独断専行であったらしく、M局員自身がこの
法憧において
「後から叱られた」
と述べており、苑主代表から「動いてくれた事への感謝」と共に
「もう少し沢山の人と話し合ってから
話を進めた方が良かったのでは?」
と、M局員への言葉があった事から、苑主代表はおそらくは
M局員の行動を対外的な面から追認せざるを得ない状況に
なったのだろうと思われます。
キモカワと表現される作風、せんとくん製作者決定プロセス、
地域マーケティングの為のゆるキャラであれば、話題になって
経済効果が出ればそれでも総てが許されるでしょう。しかし、
ここで刻まれたのは、応現院を訪れる人総てを迎える真如苑
の尊格(ほとけさま)です。同尺度で判断する事ではありません。
M職員は当日の護摩の法要の際、御導師様の修法を手伝う
役目を拝受していました。そんな方が苑主代表の心の奥を
少しでも理解しようとせず、独断専行に走ってしまう事に一教徒
として危うさを感じます。かつて開祖・伊藤真乗が述べた
「私に仕える様に教徒に仕えて下さい」
との言葉も、教団職員が社会的均衡を欠いた行動を戒めたもの
と愚考します。
伊藤国際教育交流財団の評議員も努める薮内氏ですが、
おおぞら地蔵様を刻む上で本当に相応しかったかどうか?。
苑主代表の「薮内さんの様な方に…」との発言も芸術家としての
藪内氏ではなく、彫刻家としての業績や、財団評議員としての
取組みを指したのではないかと愚考します。
苑主代表の言う様、(不特定多数の一般教徒を含む)もう少し
沢山の人と多様な角度から話し合ってから話を進めた方が
良かったのではないでしょうか?。せんとくんの時の様な非民主的な密室プロセスでこの様な問題を決めてしまって、果たして
良かったのでしょうか?。
おおぞら地蔵様は8月22日入魂の儀を済ませ既に真如苑の
みほとけさまとして確立しています。この様な前日譚が一ヶ月も経ち地蔵尊の存在が既成事実化されてから明らかにするとは
まるで国家官僚が国民の反対意見を封じる政治的手法の様な
振舞いを教団が執った事、M職員の、この件に対して苑主代表
がM職員に取った態度を以って法憧を「聞き上手」という講題に
て実態をオヴラートに包み、苑主代表はじめ全教徒に懺悔の
欠片もない態度を大変残念に思います。
「苑主瑞教」(2014年7月下旬発行)で正式発表された
『おおぞら地蔵入魂の儀』にて開眼される地蔵尊の製作に、
以前より「せんとくん」のデザインで著名な東京芸大大学院教授の彫刻家・薮内佐斗司氏の起用の経緯が語られましたが、これを
拝聴するに私の疑念(と言うより違和感)が氷解すると同時に、
私のおもひも、先日27日に噴火した御嶽山の様にこみ上げる
物が沸いて出て来た様に思いこれを認めた次第です。
法憧の内容ですが…
予て教団内に「応現院境内に地蔵尊が必要」との認識が
共有されていた所、ある時苑主代表の
「藪内さんの様な方に作ってもらえたら」
の言葉を聴いたM局員が、教団内の伝手(薮内氏と近い
悠音精舎勤務の教団職員11/7生まれ)を辿り薮内氏にこれを
依頼したとの事。しかしこのM局員の奔走は、実態としては
組織内における独断専行であったらしく、M局員自身がこの
法憧において
「後から叱られた」
と述べており、苑主代表から「動いてくれた事への感謝」と共に
「もう少し沢山の人と話し合ってから
話を進めた方が良かったのでは?」
と、M局員への言葉があった事から、苑主代表はおそらくは
M局員の行動を対外的な面から追認せざるを得ない状況に
なったのだろうと思われます。
キモカワと表現される作風、せんとくん製作者決定プロセス、
地域マーケティングの為のゆるキャラであれば、話題になって
経済効果が出ればそれでも総てが許されるでしょう。しかし、
ここで刻まれたのは、応現院を訪れる人総てを迎える真如苑
の尊格(ほとけさま)です。同尺度で判断する事ではありません。
M職員は当日の護摩の法要の際、御導師様の修法を手伝う
役目を拝受していました。そんな方が苑主代表の心の奥を
少しでも理解しようとせず、独断専行に走ってしまう事に一教徒
として危うさを感じます。かつて開祖・伊藤真乗が述べた
「私に仕える様に教徒に仕えて下さい」
との言葉も、教団職員が社会的均衡を欠いた行動を戒めたもの
と愚考します。
伊藤国際教育交流財団の評議員も努める薮内氏ですが、
おおぞら地蔵様を刻む上で本当に相応しかったかどうか?。
苑主代表の「薮内さんの様な方に…」との発言も芸術家としての
藪内氏ではなく、彫刻家としての業績や、財団評議員としての
取組みを指したのではないかと愚考します。
苑主代表の言う様、(不特定多数の一般教徒を含む)もう少し
沢山の人と多様な角度から話し合ってから話を進めた方が
良かったのではないでしょうか?。せんとくんの時の様な非民主的な密室プロセスでこの様な問題を決めてしまって、果たして
良かったのでしょうか?。
おおぞら地蔵様は8月22日入魂の儀を済ませ既に真如苑の
みほとけさまとして確立しています。この様な前日譚が一ヶ月も経ち地蔵尊の存在が既成事実化されてから明らかにするとは
まるで国家官僚が国民の反対意見を封じる政治的手法の様な
振舞いを教団が執った事、M職員の、この件に対して苑主代表
がM職員に取った態度を以って法憧を「聞き上手」という講題に
て実態をオヴラートに包み、苑主代表はじめ全教徒に懺悔の
欠片もない態度を大変残念に思います。
2014年11月20日木曜日
10/29/2014 薮内佐斗司氏応現院来訪
去る10月29日休日午前、応現院に参拝する。境内地蔵尊の
前に誘導用の赤い帆布テープが張り回されている。工事でも
始まるのだろうか?。参拝を終えたのがお昼近く。今日は29日、
昭和記念公園のフードフェスでお昼にしようか等と考えながら
境内に出ると、苑主代表、西川勢二教務長補佐、以下数名の
教団職員が、目の前を地蔵尊に向かって歩いている。地蔵尊の
背後に車が止まっており、試作品だろうか、幾つかのオヴジェが
地蔵尊の周りに置かれ地蔵尊を製作した藪内佐斗司氏がいる。
対談が始まる。少々場所が離れているので内容は聞き取れ
ない。薮内氏が太陽の顔のオヴジェを取り出した辺りで話が
盛り上がってる様だ。15分程で対談は終わった模様。公式サイト
に「今後、応現院を訪れる多くの方々に広く親しんでいただくための、お地蔵様周辺の整備が進められます。」とあるので、今のは
その打ち合せだったのだろう。
ている。いわゆる苑主代表への目安箱なのだが、投書内容も
非公開であり、具体的に組織内でどの様な処理がなされるのか
一般教徒には当にブラックボックスだからなのか、これを利用した
と言う話を今まで聞いた事がない。尤もこれを使うと言う事は信徒
として重大事を訴える事になるので、おいそれとは利用できない
訳だが、予て境内地蔵尊に思う処のある自分はこれを機会に
こんな投書をした。
『平成26年10月29日
真如継主さま
先刻はおおぞら地蔵様尊前での薮内氏との打ち合せ、大変
お疲れ様でした。先程の打ち合せ、おおぞら地蔵様の新たな
荘厳についてのものとお見受けしましたが、継主様におかれ
ましては、既にお心はお決まりでしょうか?。お願いがあります。
「太陽の顔のオブジェクトだけは勘弁して下さい」
おおぞら地蔵様に複雑な思いを抱いております。これ以上
我々一般教徒を薮内氏の作品世界に付合わせないで下さい。
南無真如
立川部会 Twitter経 名前 Twitterアカウント @NameLessBean
ご連絡先 ************@gmail.com 』
おおぞら地蔵様に関しては、既に8/22に入魂の儀を済ませ
現時点で真如苑の参拝の尊格として確立している。まさか
今更入魂の御魂にお帰り頂く訳にも行かないではないか。
しかし、「周辺の整備(荘厳)」と言う事になれば、これから
始まる事なのでまだ検討の余地があるだろう。これを執筆して
いる現在、まだ工事は始まっていない。
ひとつはっきり確信している事がある。あの時何故自分は
応現院に居合わせたのか?。休日だったのも自分で選んだ訳
ではない。藪内氏の来訪はアナウンスが事前にされてた訳
ではない。また、護法の神が許さなければきっとあの時あの場
に居合わせる事は出来なかった筈だ。 私はこれを仏意に
よっておおぞら地蔵様への思いを発露する機会を頂いたもの
と信じている。
*真如苑に「Twitter経」なる集団・組織は存在しません。
2014年11月17日月曜日
ある懸念
ある懸念が胸を離れない。
ヤフー知恵袋での発言を控えてから早3年。発言を控えても
時々はログインし、投票などもしていたのだが、今年7月以降
目立って発言を鈍化させた一人のアンチ真如苑が、件の事件
以降妙に目に付いた。
まず、件の事件についてのアンチ側の発言を紹介しておく。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11136923981
http://hiirored.blog31.fc2.com/blog-entry-113.html
以前紹介したアンチ以外の顔ぶれも見られる。質問主の
鑑定霊言氏以外は全体的に発言のテンションが低めである。
まあ、当然と言えば当然だろう。真如苑について長年良からぬ
心情を吐露してきた訳で、ここで容疑者肯定の過激発言など
しようものなら、事件への関与を疑われても仕方がない。
とはいえ、真如苑について色々述べるには絶好の機会でも
あった筈。しかしこのアンチ氏だけが頑なに沈黙を守っている。
何故だ?。
思い切って禁を破りこんな質問を投稿してみた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10137880070
結果は見ての通り、アンチらが押し寄せてうんざりする様な
書き込みをするかと思いきや、けんもほろろのこの扱い。
代弁IDが一件、回答しない理由を述べたきり。
それにしてもレスポンスがないのは何故か?。この質問に
ついて私を批判するなら、別に質問を立てる、ブログで述べる。
掲示板もある。ツイッター(全然使われてないけど)もある。
自分にとってやり易い環境での発言がいくらでもある筈。
この3年間、彼らにも色々な変化があった。反苑の会掲示板は
失われ、新たに設けられた議論掲示板、相談掲示板もその総て
を見ることが出来ない状態にある。いわゆるパロディサイトも
設けられたが、こちらは教団がこの様な対応をしている事から
もしかすると法的措置も取る事が可能なのだろうか…。
また、私以外にも教信徒を名乗るIDがヤフー知恵袋に
立ち上がり、アンチらが対処に追われる姿も見られた。
(公の場で真如教徒を名乗る我々は、アンチの批判に執われる
事なく、その振る舞いを常に省みたいものである)
総じて、ここ3年世間の宗教に対する認識は相変わらずだが、
彼らの言う所の被害記録や議論の蓄積を失ったアンチ真如苑
は、ある点衰退したと言って良いのではないか。それだけに
「この人達は一体何処にそんな暇があるのだろうか」と思える
ほどネットへの書き込みを繰り返してきた彼らの中心人物である
彼が、その結果に絶望し遂にリアルでの道に外れた行動を
起こしてしまったとしても不思議ではないのではないか。
大般涅槃経高貴徳王菩薩品の結びの章にこうある。
『善男子よ、我が涅槃の後に、声聞の弟子が
現れる。その者は愚かにも戒を破り、喜んで
闘諍し、仏の経を打ち捨て、正法以外の典籍
や文書を読誦し、不浄な財を受け蓄えながら、
「こうした行為は仏から許された」と偽る。
このような悪比丘は、在家の仏教徒達に、
「自分は煩悩を滅し無漏(むろ・さとり)を得た」
と告げ、仏法の甘露を毒薬に変えてしまう。
すでに如来が入滅して、この涅槃微妙典が
世間に広く行われ流布される時、弟子達が
この経を受持し、読誦、書写、演説する者は
悪比丘により殺害されかねないであろう。
悪比丘たちは聚まり、厳格な掟もたてる。
「かの涅槃経を受持する者とは、決して共に
生活、行動せず、談論さえもしてはならない。
なぜなら、涅槃経とは仏が説かれた教えで
はなく、邪見の徒が造ったものだからである。」
………以下略………』
歓喜世界240号「最後のみおしえ」より
いわゆる歴史的視点から以上を見た時、これは大般涅槃経を
編纂した人々が、これを当時の社会に明らかにした時の反響
を予見したものであり、涅槃経により自らの存在意義を脅かさ
れたと感じる人々が居たのではないかと自分は愚考しているが、
ヤフー知恵袋等のアンチ真如苑の発言がこれによく軌一して
いるのはとても興味深い事である。
それだけに件の事件の容疑者が実は彼だったのではないか…
そんな懸念が心を離れない。
ヤフー知恵袋での発言を控えてから早3年。発言を控えても
時々はログインし、投票などもしていたのだが、今年7月以降
目立って発言を鈍化させた一人のアンチ真如苑が、件の事件
以降妙に目に付いた。
まず、件の事件についてのアンチ側の発言を紹介しておく。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11136923981
http://hiirored.blog31.fc2.com/blog-entry-113.html
以前紹介したアンチ以外の顔ぶれも見られる。質問主の
鑑定霊言氏以外は全体的に発言のテンションが低めである。
まあ、当然と言えば当然だろう。真如苑について長年良からぬ
心情を吐露してきた訳で、ここで容疑者肯定の過激発言など
しようものなら、事件への関与を疑われても仕方がない。
とはいえ、真如苑について色々述べるには絶好の機会でも
あった筈。しかしこのアンチ氏だけが頑なに沈黙を守っている。
何故だ?。
思い切って禁を破りこんな質問を投稿してみた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10137880070
結果は見ての通り、アンチらが押し寄せてうんざりする様な
書き込みをするかと思いきや、けんもほろろのこの扱い。
代弁IDが一件、回答しない理由を述べたきり。
それにしてもレスポンスがないのは何故か?。この質問に
ついて私を批判するなら、別に質問を立てる、ブログで述べる。
掲示板もある。ツイッター(全然使われてないけど)もある。
自分にとってやり易い環境での発言がいくらでもある筈。
この3年間、彼らにも色々な変化があった。反苑の会掲示板は
失われ、新たに設けられた議論掲示板、相談掲示板もその総て
を見ることが出来ない状態にある。いわゆるパロディサイトも
設けられたが、こちらは教団がこの様な対応をしている事から
もしかすると法的措置も取る事が可能なのだろうか…。
また、私以外にも教信徒を名乗るIDがヤフー知恵袋に
立ち上がり、アンチらが対処に追われる姿も見られた。
(公の場で真如教徒を名乗る我々は、アンチの批判に執われる
事なく、その振る舞いを常に省みたいものである)
総じて、ここ3年世間の宗教に対する認識は相変わらずだが、
彼らの言う所の被害記録や議論の蓄積を失ったアンチ真如苑
は、ある点衰退したと言って良いのではないか。それだけに
「この人達は一体何処にそんな暇があるのだろうか」と思える
ほどネットへの書き込みを繰り返してきた彼らの中心人物である
彼が、その結果に絶望し遂にリアルでの道に外れた行動を
起こしてしまったとしても不思議ではないのではないか。
大般涅槃経高貴徳王菩薩品の結びの章にこうある。
『善男子よ、我が涅槃の後に、声聞の弟子が
現れる。その者は愚かにも戒を破り、喜んで
闘諍し、仏の経を打ち捨て、正法以外の典籍
や文書を読誦し、不浄な財を受け蓄えながら、
「こうした行為は仏から許された」と偽る。
このような悪比丘は、在家の仏教徒達に、
「自分は煩悩を滅し無漏(むろ・さとり)を得た」
と告げ、仏法の甘露を毒薬に変えてしまう。
すでに如来が入滅して、この涅槃微妙典が
世間に広く行われ流布される時、弟子達が
この経を受持し、読誦、書写、演説する者は
悪比丘により殺害されかねないであろう。
悪比丘たちは聚まり、厳格な掟もたてる。
「かの涅槃経を受持する者とは、決して共に
生活、行動せず、談論さえもしてはならない。
なぜなら、涅槃経とは仏が説かれた教えで
はなく、邪見の徒が造ったものだからである。」
………以下略………』
歓喜世界240号「最後のみおしえ」より
いわゆる歴史的視点から以上を見た時、これは大般涅槃経を
編纂した人々が、これを当時の社会に明らかにした時の反響
を予見したものであり、涅槃経により自らの存在意義を脅かさ
れたと感じる人々が居たのではないかと自分は愚考しているが、
ヤフー知恵袋等のアンチ真如苑の発言がこれによく軌一して
いるのはとても興味深い事である。
それだけに件の事件の容疑者が実は彼だったのではないか…
そんな懸念が心を離れない。
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