10月11日。応現院の、おおぞら地蔵浄水供養の準備が、進んで
いる。以前見た時と違い工事現場の囲いが鉄パイプに帆布を張った
ものになり、屋根がつき、上から様子を確認する事も出来なくなった。
いよいよ大詰めに入ったのだろう。
10月14日夕方。クレーン付きのトラックが境内に乗り入れ、工事の
囲いを解体している。現場周囲の関係者の緊張の高い雰囲気が、
遠くから見ても伝わってくる。いよいよ明日。
10月15日当日、本日の常楽会に併せおおぞら地蔵の浄水供養
が行われる。境内の護法諸天に参拝。おおぞら地蔵のお披露目が
既になされている。当初地蔵池を作ると言う様なアナウンスもあったのと
薮内氏の府中のパブリックアートの例から、地面を掘り下げ水を張った
ものを想像していたのだが、実際には池ではなく地面に立川市地図が
ペイントされていた。全体の構成は地蔵尊を中心に両手の平、錫杖
と十二支、太陽と月、地球儀と輪宝の四つのモチーフが東南西北に
配置されており、各々の脇に蓮の葉を模したオブジェに水が張られて
いる。参拝者はこれを柄杓で汲んで各々のオブジェに浄水を供養し、
おおぞら地蔵のお頭に直接水を灌ぐ事はない。西側に配置された
太陽と月のオブジェは、私が昨年反対を表明した、薮内氏の作品が
採用されたが、昨年の応現院境内での苑主代表と薮内氏の打合せ
の時より大分小さいサイズとなっており、結果作品特有の激しい個性
の主張がとても穏やかなのは一安心だが、錫杖、輪宝、太陽の焔
等突起物の多いデザインであるので、参拝の折など転倒事故の危険
が少々気になる。何らかの安全対策を講じた方が良いだろう。
法要が始まる。参集教徒の讃題の声明と、法要の御導師を務める
苑主代表の修法のタイミングが合わない。修法により供養された浄水
を運ぶ教団職員の「導線が違う」と苑主代表の指図で、式典の一部
仕切直しがある。場所を境内に移し浄水供養が始まる。来賓として
薮内氏が控えており、苑主代表と共に浄水供養を行った。
供養の後、薮内氏の挨拶に
「…おおぞら地蔵が出来上がって一安心と思ったら、今度は苑主様
から『浄水供養』と言われて一体何の事かと思いました…」
との発言があったが、今思えば計画段階で浄水供養と尊像謹刻が、
一体であれば、工事の難易度はもっと低かっただろう。多くの人々に
礼拝される尊格を刻むのであれば、礼拝の環境も設定すべきなのは
今後この様な企画が行われる際には常識として認識されるべきだろう。
(だが、企画段階でこの様な陥穽があればこそ、そこに私自身の発露
の余地もあった訳だが…)
すべての式典が終わり、早速一般教徒の参拝が始まる。供養の
作法が今一つなのは仕方ないとして、地蔵尊の周囲の地面がびしょ
濡れているのは、見た目はともかく滑りやすさも増す。
こうして出来上がって見れば、薮内佐斗司的テーマパークが展開
されたか如き様相が呈された訳だが、今日の法要を振り返るに、
尊格のデザインや環境の雰囲気以前に、気になる事がいろいろと
出てきた。苑主代表は、何か一つ仕事が仕上がると、以前の仕事を
根底から覆す様な発案をして周囲のスタッフがそれに必死で従う様な
状況があるのだろうか?。それとも大阿闍梨としての苑主代表の権威
を尊ぶあまり、周囲の教団職員スタッフは苑主の心を知ろうとしていな
いのではないだろうか?。おおぞら地蔵謹刻のキーパーソンの薮内氏に
してから苑主の構想を理解していなかったかと思われる様な上記の
発言もある。よく教団職員が法幡で「継主さまは、今こうして下さって
います…」といった発言をよくする。今はそれでいいのかもしれないが、
近い将来、絶対それでは立ち行かない日が来る事を、教団職員各位
はしっかり見つめて頂きたいと思う。
南無真如
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