2016年12月7日水曜日

HowEver(しかしながら)

 #シンゴジ実況 に参加の皆さん、大変お疲れ様でした。
非公式とはいえ、特定の宗教法人を名乗るアカウントも参加させ
て頂き、大変有難う御座いました。
 #真如苑対ゴジラ 等と言うハッシュタグを定める荒業だけでは
あきたらず、開祖伊藤真乗まこと教団事件の回想を換骨奪胎
し、虚構の世界に置き換える暴挙に至っては、教苑内外・顕幽
よりご批判・お叱りを頂戴するのでしょうか…。

 しかしながら…、私、名も無いまめぞうが #シンゴジ実況 に参戦
したのは、決して故なき事ではありません。事の起りは7月29日、
教導院生誕のセレモニーに立会った後、当日公開のシン・ゴジラ
地元映画館に観に行った時。いわゆる爆音上映と本作の相性
がとても良さそうと感じたのと、『陰陽師』の野村萬斎が中の人を
演じていると聞いて少々関心があったに過ぎません、しかし…。
 後半舞台が立川防災予備施設となるこの展開。以前このブログ
で立川の地域史の米軍基地闘争・砂川事件を紹介した自分と
しては、米軍立川基地だったこの土地から、日本が自らの力で
ゴジラを制し、国土への三度目の核投下を防ぐ出発の地として
描かれた事に大変感銘を覚えました。
 このシン・ゴジラの印象に今秋発刊の教団誌・歓喜世界250号
掲載の苑主瑞教が重なります。初代ゴジラ公開の昭和29年は、
真導院三回忌、教団誌・歓喜世界初号発刊、そして接心道場
建立が発願された真如苑にとって意義深い年であり、立教80年
を迎えた本年、教苑はその接心道場の時代を復建した盛儀、
聖地復建荘厳」を控えていたのです。ここにゴジラを通じ当時
との共時性を予感していた所、シン・ゴジラの世界をツイッター上
で追体験する架空実況 #シンゴジ実況 が話題となります。これ
にあわせシンゴジラ製作の庵野秀明監督株式会社カラーより
香盤表(ストーリーのスケジュール)が架空実況の進捗に応じて
発表されるにつれ、#ヤシオリ作戦 の実施が11/26,聖地復建の
クライマックス、接心道場済摂会が11/27,28と、教苑の予定と
一致する展開に真如教徒として、そしてこの映画のファンとして
とても嬉しく思ったものです。(実はカラーや東宝が立川を舞台
にするにあたって、真如苑の動向をあらかじめ調査し、それに
合わせて香盤表を作成したなんていう陰謀論が頭を掠めない
でもありませんでしたが、そこまでする理由が有りや無きや?)

 しかしながらこの11月、非常に色々な出来事がありました。
ざっと、振り返っても

博多陥没事故
米大統領選
福島沖震度5弱地震
11/24積雪
キューバ・カストロ前議長死去
原発避難先いじめ
ツイッター、サーバーダウン
・・・・・・・・・

等々歴史の転換点とでも言う様な事、震災を思い出させる事
珍しい天候、 #シンゴジ実況を根底から脅かしかねないSNSの
トラブルetc…。ここで一つ心に留め置きたいのはシン・ゴジラ
のサブタイトルが「現実対虚構」であるという事。現実と虚構の
接点は何処にあるのか?。シン・ゴジラは「日本という現実に、
本来虚構である巨大生物(ゴジラ)が出現したら」という模擬実験
であり、また庵野秀明監督はプレスリリースの中で「…ゴジラが
存在する空想科学の世界は、夢や願望だけでなく現実のカリカ
チュア、風刺や鏡像でもあります。現在の日本でそれを描くという
無謀な試みでもあります。」と述べています。
 しかしながら、たとえフィクションとはいえ本年の大ヒットとなった
本作は本当にただの「無謀な試み」でしかないのでしょうか?。
上記の #シンゴジ実況 期間中の現実世界の動きを見ていると、
何かそうとばかりは言えないのではないかという思いに駆られ
ます。実は「現実」と「虚構」を結びつけているのはシン・ゴジラ
を観て感動した我々であり、ツイートという形での想念の結集が
実は現実に目に見えない影響を与えているのではないのか?。
つい、そんな想像をしてしまうのです。

 今秋、自国第一を唱える米大統領の誕生により、世界はその
先行きに大きな転換点を迎えました。日本ももう、今までの様に
は行かないでしょう。真如苑が立教80年に昭和30年代初期の
精舎を建直すのは、決して苑主代表や年経た古参篤信教徒達
の懐古趣味からではなく、もう一度あの時の様な歴史の転換点
に起ち、より良い道を模索できるまたとない機会であると、愚考
します。

                              南無真如










2016年9月13日火曜日

まつろわぬ思ひ

 この記事は映画「シン・ゴジラ」「君の名は。」のネタバレを含みますm(._.)m






































 かつて真如苑開祖伊藤真乗は旧立川飛行機で技術者として
勤務していた頃と、宗教専従~まこと教団事件辺りまでの半生
における地域社会の自身への態度を振り返り、立川市の土地柄
を「地元に金を落とす高給取りには諸手を挙げて歓迎するが、
そうでない者は他国者扱い」と評している。今夏JR立川駅前に
オープンした再開発ビル・立川タクロスや、ガッチャマンション
愛称で知られるサンクタス立川T1、昨年暮れにオープンした、
ららぽーと立川立飛に合わせ計画が進むパークホームズ立川
等そういった高いレベルで収入の安定した方を顧客とする住宅
の建設が依然続いているのを見るに「変わってないんだなぁ」
といった印象を一際濃くする(そういった人の世の在り様を見て
なおも開祖は衆生済度の祈りをリンク先冒頭の句に籠めた訳
だが…)。

 今夏7月29日公開の映画シン・ゴジラでは都心地区をゴジラ
に蹂躙された日本政府が、捲土重来を期す地として立川が描
かれている。実際に立川広域防災基地は首都機能を代替する
施設でもあり、これがある泉町・緑町には国や都の施設、そこで
働く多くの公務員の住宅等が集まっている。立川市はこういった
人々を上記の理由から喜んで受入れている様に見える。

 シン・ゴジラをWSJ
 「安倍首相の元で生まれた、新たなナショナリズムを想起させ
官僚をヒーローとして描いている
 と評しているが、Twitterではこれを「的外れな指摘といった
論調が多い様だ。
当の首相がこんな事を嬉しそうに発言しているw

 内田樹氏はシンゴジラを「…仕掛けの多い映画」と評している。
劇中、日本臨時政府のある立川広域防災基地で、国連安保理
による首都への投下受入れの是非に、ゴジラ対策担当大臣
矢口蘭堂(長谷川博巳)は首相補佐官の赤坂(竹野内豊)に

戦後は続くよ、どこまでも…だから諦めるんですか

と噛みつくシーンがある。この立川広域防災基地(陸自駐屯地
こそ、その米国の内部工作によって企画された最高裁によって
戦後日本全国の在日米軍のフリーハンドな特権が確定された
砂川事件の現場なのだ。これを明確に指摘したシン・ゴジラの
論評は見当たらないが、この点を抑えてみればWSJの論評は
一面的に過ぎると思う。内田樹氏の指摘と併せて庵野監督
戦後日本に向けるメッセージ(意図的な物かどうか不明だが)
を読解いてみればこれは「応援」と「批判」の両面を併せ持つ

叱咤激励

と見るのが妥当ではないかと思う。

 ゴジラとは何だろう。原水爆の影響で生まれた初代ゴジラでは
公開当時政治不信が高まっていた世相を反映してか国会議事堂
が破壊されるシーンでは映画館で拍手喝采が上がったという。
 Twitterで話題になる「弊社破壊して」「内閣総辞職ビーム」等
シン・ゴジラについての、パワーワードと呼ばれるキーワードには
ゴジラの破壊について語られるものが目立つ。
 古来日本では、時の権力に従わない者を「まつろわぬ者」とし、
それらは時として誅され、あるいは妖怪変化やこの世ならざる者
として描かれたりした。現代において初代ゴジラは政治不信を、
シン・ゴジラは格差を背景にした社会全体の不安・不満・不信等
を背負っている様に思える。



 自衛隊の総攻撃を退け首都に着いたゴジラが米B2爆撃機
貫通弾で背骨を砕かれ黒目を剥くシーンに何故か涙が出る。
核廃棄物のある環境で進化し、巨大災害の様なゴジラの存在
に本シーンを見た人が涙するのは畏怖からばかりではない。
 劇中ゴジラの存在を予見した行方不明の牧吾郎教授の半生
と重なるBGM「Who Will Know」の悲壮感と共に、我々一人一人
のまつろわぬ思ひと一体化したゴジラがアメリカの爆弾という力
によって今まさに打ち砕かれんとする様を見てその痛みを一緒
に感じるからこその落涙ではないのか?。だが、ゴジラはこれに
耐え「放射熱線」という新たな怒りに目覚め、自らを打たんとした
B2を撃ち落し首都を焼野原にし、居合わせた日本国首脳陣の
殆どの乗るヘリを撃ち落してしまう。まつろわぬ思ひがかなって
しまった先の光景の無残が、更に見る人を打ちのめすのだ。

 この様な高密度の恐怖や重いメッセージに我々観客自身も
少々疲弊しているのだろうか。シン・ゴジラの二次創作系タグ
#平和なシン・ゴジラ#巨災対の日常等見ると映画の重さを
離れ実にほのぼのとしている。こんな状況が一か月近く続いた
所に新海誠監督君の名は。」が公開され、シン・ゴジラを凌ぐ
興行成績を上げている。また、初代ゴジラ公開時と同時期に
同名タイトル「君の名は」が公開され興行成績を抜かれた因縁
があるという。今夏について「東宝のマーケティング戦略」など
と言うのは無粋だろう。

 ゴジラに背負わされた様なまつろわぬ思ひはどうすればいい
のか?。核投下直前の首都で乾坤一擲のヤシオリ作戦を遂行
し、ゴジラを活動停止に追い込んだものの、ゴジラそのものは
東日本大震災後の福島第一原発の如く、ダモクレスの剣 として
日本に存在し続ける結末を迎える。知恵を絞り力を尽くしても
まつろわぬものを従える事は出来ないのだ。
 「君の名は。」の劇中「ムスビ」という言葉が出てくる。神の業
や、何かが結びつく事、時の流れもそう呼ばれている。突如と
して二人の少年少女が入替わる突拍子もない始まりも、後から
観れば滅びを避けようとする為の「ムスビ」とも言えそうだ。
 ゴジラにしろ隕石の落下にしろ、「どうしようもない事象」がある
というのが東日本大震災以降の認識として確立しエンタメも
そこに沿って作られていく。「どうしようもない事象」にゴジラに
対する矢口蘭堂率いる巨災対以下日本官僚の様にひたすら
知恵と力を振り絞るのか、自らの限界を見つめつつ環境に
コミットしながら未来への期待と出会いを信じて進むのか…。









2016年6月15日水曜日

「今」の雰囲気と真如苑

 少々前の事だが先月5月20日、大阪・高槻の教団施設の
悠音精舎で行われた「立教80年悠音斉摂会」の苑主代表の
発言に少々ハッとさせられる事があったので記しておきたい。

 私が @noiehoie こと菅野完氏を初めて知ったのは数年前に
宗教法人への課税問題についての氏の発言がTwitterで注目
去れていた折、真如苑への言及があった事がきっかけだったと
記憶している。この事がある更に数か月前、あるyahoo知恵袋
QAを見て、浄財として納めた歓喜(布施)の課税への抵抗感
と同時に、それで教苑への社会的信頼が保たれるならそれも
ひとつの道かとの感慨を抱いた事を覚えている。
 その菅野完氏が、今年あたりからだろうか、ネットでしばしば
目にするようになった日本会議という団体についての著作を
扶桑社から発刊し、これが世間の注目を集めるや否や、当の
日本会議より出版差し止め要求された事が報じられる一連の
経緯の中、5月20日の法会の終了後の苑主代表の発言の
「前日19日に比叡山を訪問してきた」に少々驚覚したのだ。
 菅野完氏の著作「日本会議の研究」には日本会議に参加して
いる宗教団体の一覧がありそこに伝統宗派としての天台宗が
参加している事が記されている事に半ば愕然とした思いを
抱いていた矢先、過去・現在・未来の三世に渡り、人類の至福
と世界平和を祈念する斉摂会を控えた前日に苑主代表自らが
この様な状況にある比叡山を訪問した事は、日本においても
勃興するナショナリズムから起こる対立を和らげ融和に導く祈り
がそこにあったのではないかと、少なくとも自分にとっては期待を
抱かせるに十分なものだったのだ。

 5月31日、過去十有余年ハワイで取組まれ続けてきた真如苑
の灯籠流しが今回初めてリアルタイムで現地から生中継で日本
の依処で公式に拝聴される。過去に現地CATV局の配信等同時
実況に取組んだ自分としては、「やっとここまできたか」の感が
ぬぐえない。

 6月9日、教導院様・定心法要。生長の家より6月9日付けで
「日本会議の研究」の内容を受けた今夏参院選への対応
ニュースリリースとして発表されている。当事者としてはここで
対応を定めなければならなかっただろう。
 
 6月14日、沖縄灯籠流しがハワイでの灯籠流しから僅か
二週間後に行われる。これは教団内外において事前の周知
が殆どされていない様だ。何気なしに申込み用紙が依処の
カウンターに置いてあった以外、事務局は沈黙を守っていた。
 先年、真如苑のある立川で起こった砂川事件とその裁判
紹介したが、沖縄も先日米軍属が暴行殺人容疑で再逮捕
されたばかり、米軍基地反対運動も先鋭の度を増しているの
ではないだろうか。
 何故に今、この時期に沖縄で真如苑の灯籠流しが行われた
のだろうか?。砂川事件を紹介した際、教苑の財団と現政権
との繋がりも併せて紹介した。遅々として進まない普天間移設
困惑している当事者米軍や与党関係者が、ハワイ灯籠流しの
融和の祈りの姿を見て、事態の打開に向け真如苑に法会を
依頼したと言ったら、流石に考え過ぎと自分でも思うが…。
 昨年オーストラリアで行われた南半球済摂星供も寒修行の
瑞教では全く発表がなく、まるでTPP大筋合意と軌を一にする
かの様に行われた例もある。また政権中枢においてかの団体
と関係の深い人々の発言を聞くに、こういった事態の打開が
期待できないとされても無理もないとも思われる。

日本会議の研究

 真如の融和の祈りが、対立を和らげ日本のみならず、世界を
平和に導く事を期待して…。

                           南無真如

2016年4月8日金曜日

立教80年降誕会に思う -苑史の陰に-

 昨日の雨にも関わらず桜は保った。寧ろ散った花びらが風情を
増している。四月八日は降誕会、釈尊の誕生を讃迎すると共に、
真如霊能の礎となった真導院の誕生日でもある事から、併せて
これに祈り向けていくものである。

 もしかしたら荻野は「」と「親代わり」の違いを、何か意識して
しまったのではないだろうか?。16歳で亡父の遺言により開祖
の「親代わり」としての庇護の元明敏な才覚を発揮し教務総長の
重職に就いた荻野。方や10歳にして、本尊加持の霊能を始め、
人格等宗教家としての天稟を示し周囲の信頼を集め、法嗣として
」の期待を受ける真導院友一。当時、師の家族と内弟子が
起居を共にする濃密な人間関係の中、教団の将来(後継問題)
を軸に、明敏で立ち回りの巧い荻野と、対照的に、純粋で真っ
すぐな性質の友一が、ともすれば対立的な雰囲気に陥っては
いなかっただろうか?。勿論、開祖にしてみれば二人が手を取り
教団の将来を担って行く事を期待した事と思う。苑内刊行物には
友一の荻野への反駁を「目上への口答え」として開祖が窘める
エピソードが載っている所を見ると、開祖には既に危惧があった
のかもしれない。もしかしたら荻野はその生立ちから、未だ肉親
の愛情を求める気持ちが強かったのかもしれない。それだけに
総親の友一への法嗣としての期待が膨らむ程、自分の立ち位置
が内弟子でしかない事を意識せざるを得なかったのではないだ
ろうか。こうなると開祖の水晶の念珠を荻野が持ち出した逸話も
自分の法流継承の正当性を訴える事で愛情を得ようとした行為
との見方も成り立ちそうだ。この様な状況に輪をかけたのが周囲
の無理解ではないだろうか?。現在でもよく聞かれる批判だが、
総親への崇敬から義憤に駆られ、荻野の行為のみを追及する
ばかりで、そこに陥る筋道を自らに直視する姿勢を欠いたが故に
結果、荻野をして教団を存亡の危機に追い込む行為に走らせて
しまった、当時の教団事務局員達にも責任の一端はあると思う。
 かくて友一が法嗣として光り輝くほど、その陰に荻野の心の闇
は深く濃く、増上慢に陥る事で自らの個我を守ろうとした。結果
教団の存続の為に、未来の法嗣は霊界にその働きの場を移さざ
るを得なかった。こうした苦難の先にかの非法の弟子をも救わん
と、開祖が国訳一切経に取組む中、大般涅槃経が見出された事
を尊く見つめなければならない。

 どうも法流継承というのは師弟の愛情と、法の序列の問題が
ち難く結びついているので、拗れ易い様に見える。ましてや
真如苑では師が肉親だったのだ。開祖遷化の際に、苑主代表
と真玲猊下が微妙な関係に陥ったのもこれが原因と思われる。
 長年苑史に触れる度、とある識者が「お家芸」などと揶揄する、
一連のいざこざを見るに、何故にこう拗れるか腑に落ちなかった
のだが、アドラー心理学でいう所の出生順位の考え方がこの件
に一定の視座を与えてくれた。兄弟が親の愛情の獲得を巡って
対立するものとするこの考え方からすると、当時ご家族が歩んだ
苛烈な道開きの過程に、通常なら問題にならない親子関係の
ストレスも、過大に影響する事が想像される。当時を回想する
開祖親教と、参考にした資料を照らし合った時には心がどぶ泥
に沈む思いがしたものだ。

 はっきり断っておくが、別に今更荻野を擁護したい訳ではない。
苑内で昭和25年の法難が語られる度、荻野の心理の掘り下げ
が全くされていない事に違和感を感じていた。またこの点を理解
しなければ荻野と同じ迷いや過ちに陥る事は防げないと思える
からこそ、立教80年のこの時、長年腹中にあったこの疑問を明
らかにして置きたかったのだ。

「例え、魔女が生まれなくなった世界でも、それで人の世の呪いが消え失せる訳ではない。世界の歪みは形を変えて、今も闇の
から人々を狙っている。」
魔法少女まどか☆マギカ 第12話 暁美ほむら

 確かに、苑主代表は次期後継者を教団職員から指名したが
それでもこういった掘り下げが無意味とは思わない。俗に言う
「兄弟は他人の始まり」家族は社会の最小単位だからだ。

 四月初旬発刊ARAN with SHIN-NYO No.4の高橋伴明氏への
インタヴュー「善美と醜悪の境界で」を読んだ。氏の言う通りに、
人間が”真善美”と対立する”偽悪醜”を併せ持つなら、この法会
が意味する所が美しく讃迎されるだけでなく、その陰にあったもの
をも正しく見つめられていかなければならない。

                               南無真如


2016年2月25日木曜日

立教100年に向けて -これからの20年-

 平成28年2/24、「立教80年 真如特別法要」が執行された。
平成元年の本日行われた昭和天皇の大喪の礼に合わせ、真如苑
でも「昭和天皇追悼法要」が執行されたが、これが開祖伊藤真乗
導師を務めた最後の苑内公式法要だった為、これが制定された。

昭和天皇大喪
 当日の法要は、可能な限り当時を再現すべく登壇者も経頭を始め
可能な限り当時の教徒を集め、開祖の位牌の背に畳んだ袈裟を立
掛け、開祖の神文等実際の法要とリンクさせるなど様々な工夫をした
ものになった。

 当時を報じた教苑刊行物には、立教100年に向けて教徒各々が
自ら刻み双肩担う新時代の到来を告げる霊示と、平成の年号から
開祖が想起した大般涅槃経の一節
「…地平らかに掌の如く、あらゆる衆生の心、平等…(出典不明)」
が記されている。

 その平成の時代も既に28年目に入った。かつて開祖が

100年続けばこの教えは未来永劫に栄える

と言ったと伝え聞いた事がある。昭和天皇が崩御し開祖が遷化した
平成元年。テロなどの紛争、難民、貧困、経済恐慌、異常気象、
エネルギーを始めとする資源獲得…、枚挙に暇のない多くの問題に
利害や思惑を超え、例えば宇宙世紀の様な新たなステージに人類が
至る為には何が必要だろう…


日本においても様々な事があった。以前1995年については纏めた
先進諸国の中でも群を抜いた超高齢化と、東日本大震災を機に
根本的な見直しを迫られたエネルギー政策が目下の課題だろうか。

 真如苑については以前次期苑主の後継者指名があったが、昨年
の寒修行の法幡を拝聴する限り、開祖霊祖や、現苑主代表を深く
知っている事は伝わってきたが、それを踏まえ自分自身がどうするのか
がいまだ見えてこない様だ。世評では「能吏」との報道もある次期苑主
だが、成満まで後どれだけの時間が残されているのだろうか
 実は自分自身、伝え聞く開祖の生き方に倣って自分が教団を継承
するとしたら、と大それた想像をした事があるが、肌に泡が生ずる様な
思いを十二分に味わった。おそらく鳥飼先生はこの断面により深く踏込
んで立っておられる事と思う。
 もう一点、昨年6月のMA職員の教団葬以降聞かれなくなったが
それまで苑主代表が事ある毎に「教団職員は聖職者」との発言につ
いて。彼らが真に聖職者であるかどうかは世間や一般教徒に対して
彼ら自身がどの様な行いをするかにかかっているのであって、決して
苑主代表が顕揚したから聖職者になる訳ではない。ただ苑主代表が
この様に連呼した背景に、事務局や一如社の内部になんらかの問題
の存在が懸念されないでもない。世間の一般企業等においても組織
のトップが従業員に「あなたたちはこういう存在だ」と規定したからと言っ
て「はいそうですか」と変われる訳ではないだろうとも思う。いずれにせよ
世間や一般教徒との信頼関係がどうあるかで教苑の未来は決まる
と言っても過言ではないだろう。この点現状の信徒サイトの閉鎖的な
態度での運営や、もう5年も運用しているにも拘らず未だに認証申請
しないtwitterアカウントには失望を禁じ得ない。立教80年歌詞募集
にも全く食指が動かなかった。
 ネットについて触れたので最後に一点、平成以降の世に開祖のみ心
「教徒に会いたい」を少しでも実現する気持ちがあるなら、次代苑主は
SNSでの発言をしなければならないと思う。現苑主代表には望むべくも
ないようだが…

                            南無真如

2016年2月17日水曜日

大般涅槃経について① -隠滅の理由-

 真如苑が所依の経典とし、多くの宗祖がそのエッセンスを摂入れつつ
も、中国の涅槃宗を除き、何故か宗旨の中心に据えられる事がない大般涅槃経。釈尊遺言の教えであるにも関わらず、ここまで棚上され
続けたのは何故か?。長年温めていた思い付きを少し綴ってみる。

 『生まれによって(バラモン)となるのではない。生まれによって(バラモンならざる者)となるのでもない。行為によって(バラモン)なのである。行為によって(バラモンならざる者)なのである。
岩波文庫 中村元著 「ブッダのことば -スッタニパータ-」より

 以前「2015 五つの灯籠流し」でも指摘した事だが、大般涅槃経の
序品~純陀品にかけて、臨終の釈尊の最後のみ教えを説く宣言、
釈尊への最後の飲食供養者として持たざる者純陀が選ばれ、文殊
との討論を経て、純陀に向けて最後のみ教えが説かれ始めるまでが
描かれている。真如苑開祖伊藤真乗は大般涅槃経を一言で

実践がなにより尊い

とそのコンセプトを説いているが、大般涅槃経に描かれる純陀尊師ほど
上記スッタニパータの引用部を具体的に表現したキャラクターはないの
ではないだろうか。そしてこの純陀の存在をどう理解するかが、大乗の
大般涅槃経が著された当時の古代インド社会において二つの大きな
問題を引き起こしたのではないだろうか。

 生まれより行為。現代の民主主義社会に生きる我々はこの主張を
なんの違和感もなく受止める事が出来るが、ヴァルナ・カーストの様な
今日まで大きな影響を与える強固な身分制度のあるインド古代社会
では大変ショッキングな危険思想だった事は想像に難くない。おそらく
当時の仏教教団においても同様。出家によって身分から一定の距離
を置いた僧侶ならともかく在家信者にとってこの点重くのしかかったので
はないか。下層階級の純陀尊師が世尊に最後の飲食供養を捧げる
事でこのコンセプトを表現した大般涅槃経はその最右翼と見なされた
に違いない。

出家在家共に救われる教え

 もう一つ、開祖は大般涅槃経について上記の様に説いているが、
当経典では、文殊師利と純陀尊師の討論に、釈尊が純陀の優を
判定する形でこれを表現しているのだが、当時の出家者にとって
これは深刻なジレンマをもたらしたのではないだろうか。すなわち

在家のままでも救われる(悟りに至れる)ならば
 出家する事に一体何の意味があるのか

といった出家者の存在意義への迷いが生じたのではないだろうか。
この様な迷いが以前「ある懸念」で引用した悪比丘の存在を産出し
たのだろうか。もし、当時のインドに在家者として還俗して仏の教えを
求める道があるなら(開祖はその様にして涅槃経を説いたのだが)
それほど問題は大きくないだろうが、一旦身分制度から離れた出家者
が仏教教団から離れて元の生活に戻れたのかどうか。この件はインド
で仏教が終焉を迎えるまで仏教徒を悩ませる事になったらしい。
 チャチュ・ナーマ等のムスリムの文献にはイスラム勢力の侵攻によって
危機的状況に陥ったヒンドゥー社会に下層階級として取り込まれた
仏教徒集団が抑圧を離れるためにイスラム教に改宗した事実が記さ
れている(山川出版社・世界歴史体系・南アジア史2より)

 いずれにせよ、大般涅槃経が古代社会に生きる仏教徒にとって、
その存在意義を問う危険な側面があった事が想像される。故に
日本が太平洋戦争に敗戦し、戦勝国アメリカによって仮初にせよ
民主主義が浸透し始めた昭和30年代になるまで、大般涅槃経が
大っぴらに説かれる事がなかったのではないか。

          賢者の説目は機を待ち人を待つ

                                 南無真如