2016年2月25日木曜日

立教100年に向けて -これからの20年-

 平成28年2/24、「立教80年 真如特別法要」が執行された。
平成元年の本日行われた昭和天皇の大喪の礼に合わせ、真如苑
でも「昭和天皇追悼法要」が執行されたが、これが開祖伊藤真乗
導師を務めた最後の苑内公式法要だった為、これが制定された。

昭和天皇大喪
 当日の法要は、可能な限り当時を再現すべく登壇者も経頭を始め
可能な限り当時の教徒を集め、開祖の位牌の背に畳んだ袈裟を立
掛け、開祖の神文等実際の法要とリンクさせるなど様々な工夫をした
ものになった。

 当時を報じた教苑刊行物には、立教100年に向けて教徒各々が
自ら刻み双肩担う新時代の到来を告げる霊示と、平成の年号から
開祖が想起した大般涅槃経の一節
「…地平らかに掌の如く、あらゆる衆生の心、平等…(出典不明)」
が記されている。

 その平成の時代も既に28年目に入った。かつて開祖が

100年続けばこの教えは未来永劫に栄える

と言ったと伝え聞いた事がある。昭和天皇が崩御し開祖が遷化した
平成元年。テロなどの紛争、難民、貧困、経済恐慌、異常気象、
エネルギーを始めとする資源獲得…、枚挙に暇のない多くの問題に
利害や思惑を超え、例えば宇宙世紀の様な新たなステージに人類が
至る為には何が必要だろう…


日本においても様々な事があった。以前1995年については纏めた
先進諸国の中でも群を抜いた超高齢化と、東日本大震災を機に
根本的な見直しを迫られたエネルギー政策が目下の課題だろうか。

 真如苑については以前次期苑主の後継者指名があったが、昨年
の寒修行の法幡を拝聴する限り、開祖霊祖や、現苑主代表を深く
知っている事は伝わってきたが、それを踏まえ自分自身がどうするのか
がいまだ見えてこない様だ。世評では「能吏」との報道もある次期苑主
だが、成満まで後どれだけの時間が残されているのだろうか
 実は自分自身、伝え聞く開祖の生き方に倣って自分が教団を継承
するとしたら、と大それた想像をした事があるが、肌に泡が生ずる様な
思いを十二分に味わった。おそらく鳥飼先生はこの断面により深く踏込
んで立っておられる事と思う。
 もう一点、昨年6月のMA職員の教団葬以降聞かれなくなったが
それまで苑主代表が事ある毎に「教団職員は聖職者」との発言につ
いて。彼らが真に聖職者であるかどうかは世間や一般教徒に対して
彼ら自身がどの様な行いをするかにかかっているのであって、決して
苑主代表が顕揚したから聖職者になる訳ではない。ただ苑主代表が
この様に連呼した背景に、事務局や一如社の内部になんらかの問題
の存在が懸念されないでもない。世間の一般企業等においても組織
のトップが従業員に「あなたたちはこういう存在だ」と規定したからと言っ
て「はいそうですか」と変われる訳ではないだろうとも思う。いずれにせよ
世間や一般教徒との信頼関係がどうあるかで教苑の未来は決まる
と言っても過言ではないだろう。この点現状の信徒サイトの閉鎖的な
態度での運営や、もう5年も運用しているにも拘らず未だに認証申請
しないtwitterアカウントには失望を禁じ得ない。立教80年歌詞募集
にも全く食指が動かなかった。
 ネットについて触れたので最後に一点、平成以降の世に開祖のみ心
「教徒に会いたい」を少しでも実現する気持ちがあるなら、次代苑主は
SNSでの発言をしなければならないと思う。現苑主代表には望むべくも
ないようだが…

                            南無真如

2016年2月17日水曜日

大般涅槃経について① -隠滅の理由-

 真如苑が所依の経典とし、多くの宗祖がそのエッセンスを摂入れつつ
も、中国の涅槃宗を除き、何故か宗旨の中心に据えられる事がない大般涅槃経。釈尊遺言の教えであるにも関わらず、ここまで棚上され
続けたのは何故か?。長年温めていた思い付きを少し綴ってみる。

 『生まれによって(バラモン)となるのではない。生まれによって(バラモンならざる者)となるのでもない。行為によって(バラモン)なのである。行為によって(バラモンならざる者)なのである。
岩波文庫 中村元著 「ブッダのことば -スッタニパータ-」より

 以前「2015 五つの灯籠流し」でも指摘した事だが、大般涅槃経の
序品~純陀品にかけて、臨終の釈尊の最後のみ教えを説く宣言、
釈尊への最後の飲食供養者として持たざる者純陀が選ばれ、文殊
との討論を経て、純陀に向けて最後のみ教えが説かれ始めるまでが
描かれている。真如苑開祖伊藤真乗は大般涅槃経を一言で

実践がなにより尊い

とそのコンセプトを説いているが、大般涅槃経に描かれる純陀尊師ほど
上記スッタニパータの引用部を具体的に表現したキャラクターはないの
ではないだろうか。そしてこの純陀の存在をどう理解するかが、大乗の
大般涅槃経が著された当時の古代インド社会において二つの大きな
問題を引き起こしたのではないだろうか。

 生まれより行為。現代の民主主義社会に生きる我々はこの主張を
なんの違和感もなく受止める事が出来るが、ヴァルナ・カーストの様な
今日まで大きな影響を与える強固な身分制度のあるインド古代社会
では大変ショッキングな危険思想だった事は想像に難くない。おそらく
当時の仏教教団においても同様。出家によって身分から一定の距離
を置いた僧侶ならともかく在家信者にとってこの点重くのしかかったので
はないか。下層階級の純陀尊師が世尊に最後の飲食供養を捧げる
事でこのコンセプトを表現した大般涅槃経はその最右翼と見なされた
に違いない。

出家在家共に救われる教え

 もう一つ、開祖は大般涅槃経について上記の様に説いているが、
当経典では、文殊師利と純陀尊師の討論に、釈尊が純陀の優を
判定する形でこれを表現しているのだが、当時の出家者にとって
これは深刻なジレンマをもたらしたのではないだろうか。すなわち

在家のままでも救われる(悟りに至れる)ならば
 出家する事に一体何の意味があるのか

といった出家者の存在意義への迷いが生じたのではないだろうか。
この様な迷いが以前「ある懸念」で引用した悪比丘の存在を産出し
たのだろうか。もし、当時のインドに在家者として還俗して仏の教えを
求める道があるなら(開祖はその様にして涅槃経を説いたのだが)
それほど問題は大きくないだろうが、一旦身分制度から離れた出家者
が仏教教団から離れて元の生活に戻れたのかどうか。この件はインド
で仏教が終焉を迎えるまで仏教徒を悩ませる事になったらしい。
 チャチュ・ナーマ等のムスリムの文献にはイスラム勢力の侵攻によって
危機的状況に陥ったヒンドゥー社会に下層階級として取り込まれた
仏教徒集団が抑圧を離れるためにイスラム教に改宗した事実が記さ
れている(山川出版社・世界歴史体系・南アジア史2より)

 いずれにせよ、大般涅槃経が古代社会に生きる仏教徒にとって、
その存在意義を問う危険な側面があった事が想像される。故に
日本が太平洋戦争に敗戦し、戦勝国アメリカによって仮初にせよ
民主主義が浸透し始めた昭和30年代になるまで、大般涅槃経が
大っぴらに説かれる事がなかったのではないか。

          賢者の説目は機を待ち人を待つ

                                 南無真如