2018年10月4日木曜日

開基八十年 敬老のお祝い(2)~秋季彼岸会~法前供

 前回の投稿から少々時間が空いたが、この間も九月の重要な法要が続く。苑主代表は9月23日の秋季彼岸会には登壇、御導師を済摂の形で務められ、文字通り一切諸霊を廻向。続く9月28日の法前供は「正五九の護摩」の「九」にあたるが登壇は教団職員に任せ、理供で祈り運ばれた。10月6日に控える開基八十年真澄寺大護摩供に向けての事であろう。

 真如苑発祥第二精舎ご宝前に、晩年の開祖が使用した法儀用の車椅子が展示されていた(現在も継続して展示されているかは不明)。バブルがはじける前夜、日本が未だ少子高齢化社会へのとば口にたったばかりの1980年代後半、介護サービス全体が今より未発達な頃に作られたものとはいえ、フットレストの角度調整やリクライニング・ティルトはおろか、手押し介助用のブレーキ・ハンドルさえついていない、文字通り椅子の下にキャスターを付けただけの、車椅子と呼ぶのもおこがましいこの危険物を見ていると、おそらくこれに感謝でお付き合いくださった、開祖の深く広い器に、我々が如何に包まれ慈しまれていたのか、その一端がうかがい知れようというものだ。

 真如苑にとってはある意味、その開祖伊藤真乗の遷化という大悲痛事によって、新たな時代の到来を痛感させた平成の御世も終わろうとしている。世間においては、昨冬の二度のインフルエンザの流行今夏の酷暑等によるものか、一時代を築いた高齢な著名人の訃報が相次ぎ、日本を代表する平成の歌姫の引退、片や応現院の隣に昨秋出来て間も無いアリーナ立川立飛では、有名なテニスのトーナメントが行われ、最高の舞台での勝利への反感を、日本的マインドで受容して見せた、新たな若い日本の女王の登場に、立飛駅周辺は賑わいを見せた。

 昭和天皇崩御の際の大喪の礼に合わせて行った追悼法要が、開祖の最後の苑内公式法要の御導師であった事は、以前に述べた。それから三十年近く、日本の象徴であり、国民の安寧と幸せを祈り続けられた陛下が、時代の移り変わりとご年齢による御身体の衰えから、務めに深く思いを致し、皇室の後継の定まらない有様こそ、超少子高齢化に喘ぐ日本の国の姿そのものではないだろうか。


 「不徳の致すところ」とは恐ろしい言葉だと思う。全ての事を自分の責とする覚悟のない、後付けで理由を述べる事が当たり前の者が口にしてよい言葉では断じてない。現代の日本では「自分の振舞いが他に迷惑や誤解を与えた」といった意味合いに使われるが、古代においては人間社会の事ばかりでなく、天変地異や疫病、凶作等悪い事象の総てを、国の首長が自らの徳の無さと受け止めていた。こういった徳の無さが自覚された場合、み仏の教えに依って功徳の増益を図るのが古の常であり、神事を先としつつも、徳の尽きぬように仏の教えが重んじられていた。近世、孝明天皇まではご即位にあたって密教の灌頂儀礼が行われ、これに詳しい公達が印契や真言を伝授したそうだが…。



天皇と宗教

                             続く