2015年6月8日月曜日

『犬』が象徴するもの

 以前、真如苑で昨年復建の接心道場に本年は苑の護法善神を
奉安する事を報じたが、本年は真如苑開祖修行の祖山醍醐寺の
三宝院が開創九百年にあたり、高野山も開創千二百年を迎える
真言宗全体にとって大きな節目になる年と言える。ここに醍醐寺
開山・聖宝尊師の少々不可解で、一見スキャンダラスにも見える
ある伝承について見つめてみたい。

 『醍醐雑事記』(『慶延記』)に、天安二年(858)聖宝尊師が四国
に巡錫し、後の醍醐寺第一世観賢と讃岐で出会う著名な説話が
あるが、その発端は、聖宝とその師真雅との確執にあった事が
伝えられている。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・
 真雅は、犬をたいそう可愛がり、大事に飼っていた。聖宝は、犬を憎み嫌悪していた。
二人の犬に対する愛憎は、水火の仲といってよいものであった。真雅が外出して
いた折りに、門前に猟師が行ったり来たりして、犬を見ながら、いかにもその犬を欲し
そうなそぶりをあらわしていた。聖宝は、それを察して欲しいなら捕まえて、早く立ち
去れと言った。猟師は、たいそう喜んで犬を連れていってしまった。
 やがて真雅が寺に帰ってきて、食事の時間に愛犬を呼んだが、もちろん犬は顔をみせ
なかった。翌日になって真雅は、犬を探したが、犬の姿はどこにもみあたらなかった。
この時、真雅は怒って、「この寺房には犬を憎んでいる者がいるのを、わたしは知って
いる。わたしの寺房のなかの者で、わたしが犬を可愛がっているのを受け入れない者は、
同宿させるわけにはいかない」と言った。
 この時、聖宝は自分のした事を顧みて、真雅の言いつけを気にかけ、寺を抜けだし
て四国に旅立ち修行につとめることになった・・・・・・・・・・』
吉川弘文館・人物叢書・佐伯有清著「聖宝」より

 観賢を見出した聖宝はこの後、真雅が真言宗拡張の為、その
権勢を後ろ盾とした藤原良房のとりなしによって、師の勘気を
解かれる事になる。
 『聖宝』の著者である佐伯有清氏は同書の中で上記引用部の
ナンセンスさを指摘し、世俗の権勢と結びついて真言宗の拡張
に努める真雅と、そうした世俗の権勢と結びついた師を含む、
当時の仏教界に批判的な聖宝の視線が、この師弟に隙を生じ
たのではないかとしている。また、醍醐寺公式サイトの伝記の
漫画聖宝伝には師の元にある犬と自分の行く末を重ね合わせ
旅立つ聖宝尊師の姿が描かれている。

 この伝承は何を表しているのだろうか?。佐伯有清氏が言う
よう、上記引用部が創作であるなら、この言い伝えの背景には
どんな真実が潜んでいるのだろうか?。何故に「犬」を中心に
この伝承が表されたのか?。

 宗教民俗学を打立てた五来重氏は著書「山の宗教」の中で
多くの修験の霊山には狩人の開創と伝えられるものが多いと
述べている。伝承の中では狩人=修験者と捉えて良いようだ。
そして、

『・・・・・・・・・・・・・・
 空海が伽藍の建立と修行の地を求めてさまよっていた際、大和国(現在の奈良県)宇智郡で
狩人らしき男(狩場明神の化身)に呼びとめられた。
「密教を広めるためにふさわしい場所を念じて、唐から投げた三鈷杵を探している」
と空海が話したところ、狩人は
「その場所なら知っている。お教えしよう」
と連れていた2匹の犬を放った。犬たちに導かれ高野山にたどり着くと、このあたりを守る地主
の神・丹生都比売大神からご宣託があった。
「私はこの山の王である。この山のすべてをあなたに差し上げましょう」と。
・・・・・・・・・・・・・・・』
講談社「KOYASAN Insight Guide 高野山を知る一〇八のキーワード」より

 上記高野山開創伝説に登場する神々、これら高野山における
護法善神の眷属としてここに犬が登場している。
 真雅は当然、真言宗の護法神としても高野山開創の狩場明神
や丹生都比売大神を尊んでいた事だろう。これら神々について
の秘伝に属するものを、当時の聖宝が自らの志に随いそれを
求める狩人=修験者に伝えたとしたら、それはいわゆる越法の
罪とみなされるのではないだろうか?。

犬とは高野山の護法善神に関る秘事の象徴ではないのか?。

山の宗教