「親父殿」
「なんや」
「慈悲とは何やろか?」
忍辱山円成寺へ謹刻の大日如来像を納めた帰途、以前から
繰り返していた問いをまた、運慶は師匠でもある父に投げかけた。
まるで童のような問いに康慶は一瞬詰まったが…、
「奈良仏師の伝燈は総てお前に授けた。もう教える事はない。」
「えっ!?」
意外だった。奈良仏師の伝燈は成朝が継ぐとばかり思っていたし
いわば傍流の自分にその様な出来事があるなどとは…。
まるで、突然重い荷を背負わされた様だった。
この仕事にかかってから、み像を納める今日までの一年近く、
それこそ真剣白刃の息詰るような毎日を御仏への祈りの中過ごし
て来た。今まではずっと父の助働きをしていたのだが、何故か
今回に限っては「最初から、全て、お前がやってみよ」という事
だったのだから。今までしてきた事を思い出しながら、少しずつ
手探りで進めていく。ものを切る、削る、刻むといった仕事は
油断がならない。仕損じれば、やり直しが利かないかもしれない。
かといって、迷いを生じれば刃を進める事は出来なくなる。だから
尚更時を費やす事にもなったのだ。刻み終えた時はごっそりと
それこそ精魂尽きたようだった。
「この仕事を運慶への試しの場とする」
大日如来像謹刻の話が来た時、康慶は即座にそう決意していた。
そして自分は刻む事意外の仕事(現代でいう所のマネジメント)に
徹し、運慶の仕事を今日まで見守ってきたのだ。刻み終えたみ像を
見て、康慶は自分の決断が間違っていなかった事を確信した。そし
て、台座蓮肉裏に「権実二類」の「実」の字を以って
「大仏師康慶、”実”弟子運慶」
と墨書した。いわば御仏に対して
「私、仏師康慶はこの仕事を以って、運慶を真の弟子と致します」
と述べたのに等しい。運慶を「真の弟子」と表沙汰に出来ない所に
康慶の苦悩があったのだが…。
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