2011年3月28日月曜日

大願(その二)

 その晩の興福寺、西金堂…。


堂内に灯明が点っている。


 僅かな幾つかの明かりだが、それでもみ像の姿が充分にわかる。
天龍八部衆。阿修羅をはじめとする仏法守護の天部の神々。
その阿修羅像の前に対座している漢が独り。胡坐をかいている。
合掌するでもなく、眼を見開いて阿修羅像を見つめている。
運慶である。「自分はこの阿修羅と同じじゃ。」
自分にも三つの貌、というか心があると思う。



 仏法を至心に仰ぐ己
 市井にあって欲を掻く己
 仕事の場で我を張る己


 救いを求める己
 財物を求める己
 仕事を求める己


 仏道を歩む己
 商人としての己
 匠としての己



 仏師という仕事は、匠であるだけでは務まらない。み仏の悟りの
世界やご内証の例え一端でも掴まなければ、真の仕事を成す事
は叶わないと、いつしか運慶は考えるようになっていた。
 匠の師としての父である康慶から、奈良仏師の先達達が仕事の折々に、指図の僧侶から伝授された、尊い口伝・儀軌の一つ一つを伝えられる度に、身の引き締まるように尊く感じてはいる。
しかしそれは例えて言うなら、み像を寄木で作る時の欠片とでも
言うようなもので、逆にそれらを知る事で、その奥にある「何か」
への道程をかえって、とても遠いものと思えてしまうのだった。
 しかし、興福寺内での仏師という立場は、むしろ世俗的な雑事
にとても近く、さらに所帯まで持っている身ではとてもでは無いが
仏道修行に専心するという訳には行かない。奈良仏師の伝統の
総てを継ぎながら、運慶自身は行き詰まっていたのだ。




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