本年で66回目となる広島・長崎の平和祈念式典。
そして昨日の終戦記念日では東日本大震災からの
復興への誓いも併せて祈念された。太平洋戦争の
是非はともかくとして、亡くなった多くの人々から
託された未来というものを、現在、命ある私達は
確かに受け止めているだろうか?。
2011年8月16日。AM11:00より真如苑の
真澄寺・山梨別院で水施餓鬼法要が執行され、
天災・人災、彼我戦争犠牲者、有縁無縁の諸霊への
廻向が修された。法要後、御導師さまのお言葉で、
本夕刻の燈籠流しに言及された。
PM18:15。USTREAMの河口湖灯籠流し2011
にて配信開始。ハワイの燈籠流し同様に、日本の
山梨別院においても、地域社会と燈籠流しを共有
する取組が数年前から始まっている。初めて観た
時は、この企画に集まった方々の、燈籠流しの趣旨
の理解度がステージからも伺える程だったが、回を
重ねての本年は、流石にその様な事は無くなった。
今年の五山送り火について。震災被災地より送られた
薪の使用を巡って対応が二転三転した背景には、
日本人が古くから持っている穢れの観念が、目に
見えない放射性物質への警戒心と重なった事が
多くの関係者の心の中で無意識の内に作用して
いた様に思える。
ソーシャルストリームが使用できなかったのは残念…。
公式HP
当日の模様
2011年8月16日火曜日
2011年8月6日土曜日
真如霊祖・湧祥法要
久しぶりの最高気温30℃オーバー。沖縄では台風9号の
接近もあり、法要・行事の中止も決定している。本日8月6日は
広島で66回目の平和記念式典が行われ、今年の平和宣言では、東日本大震災による福島第一原発の事故を大きな背景に、日本のエネルギー政策の転換が訴えられた。震災以降真如苑
以外にも多くの宗教団体が被災地支援に取り組んでいるが、
原発については各々どの様に考えているのだろうか?。
7月19日の真如開祖・恒明法要と同様、本法要も関西別院にて、
祖山醍醐寺よりご来賓をお迎えして執行された。霊祖御親教、
「土台」の意味を日常に深め、行っていかなければ…、それが
日本の復興にもきっと繋がる筈。継主さまお言葉、震災支援への
祈りと援助へのお礼。湧祥の水が隅々まで届きますように…。
本日は地元立川でも駅前でお祭り。今年は震災復興支援の為
花火大会が中止となったが、それだけに祭りの賑わいが心地
よく感じる。今年を悔いなく過ごしてゆきたい…。
接近もあり、法要・行事の中止も決定している。本日8月6日は
広島で66回目の平和記念式典が行われ、今年の平和宣言では、東日本大震災による福島第一原発の事故を大きな背景に、日本のエネルギー政策の転換が訴えられた。震災以降真如苑
以外にも多くの宗教団体が被災地支援に取り組んでいるが、
原発については各々どの様に考えているのだろうか?。
7月19日の真如開祖・恒明法要と同様、本法要も関西別院にて、
祖山醍醐寺よりご来賓をお迎えして執行された。霊祖御親教、
「土台」の意味を日常に深め、行っていかなければ…、それが
日本の復興にもきっと繋がる筈。継主さまお言葉、震災支援への
祈りと援助へのお礼。湧祥の水が隅々まで届きますように…。
本日は地元立川でも駅前でお祭り。今年は震災復興支援の為
花火大会が中止となったが、それだけに祭りの賑わいが心地
よく感じる。今年を悔いなく過ごしてゆきたい…。
2011年8月2日火曜日
大願(その五)
「義父上、母上。今まで有難うございました。」
一条長成卿とその妻常盤の前に、一人の若者が伏した。
「義経殿。人と成られたな。いや、目出度い。」
「牛若、いや義経殿。おめでとうございます。」
「頼政様、誠に有難うございます。相国入道様のお沙汰で
仏門に入らねば成らぬ定めの所、人と成る事ができました。」
「いや、これも源氏の生き残りとしての務めの一つ。それに、
出立前にこれだけは済ませておかねばなるまいて。」
烏帽子親の源頼政が応えた。既に源頼朝を始め、多くの
源氏の遺児を救っている頼政である。
(そのまま行ってしまっては遠流と変わらぬからな。)
と、頼政は心の中で呟く。
「義朝公も慶んでおられよう。」
「奥州では、まず藤原基成様や資隆入道様の御母堂様を
尋ねるが良いだろう。」
そして用意してあった幾つかの文が義経に渡された。
「名残は尽きぬが時が惜しい。わが甥の深栖頼重が待っておる。」
頼政が促した。
「今日までのご恩は忘れませぬ。ではこれにて…」
「どうか達者で…。」
「くれぐれも、この事は内密にの。」
「心得ております。頼政様。」
その晩、鞍馬山…。
「吉次か?。」
「はい、頼重さま。」
金商人の吉次が山門の陰から姿を表した。
出立に際し毘沙門天に参拝する。この山もこれで今生の見納め
かもしれない。そう思うと決して慣れ親しんだとは言えない鞍馬山
の闇深さも、何故か名残惜しく思われてくる。修行と勉学に励んだ
日々が懐かしく思い起こされる。。
麓に下りると、奥州行きの手勢が夜気に溶け込むように控えて
いた。
暗がりから微かに伺える手勢の面々のなにか狼を思わせる相貌と頭数に気圧される義経。
「黄金を遥々奥州から運んで参るのです。この位は当然ですよ。」
頼重が僅かに得意げに答える。
「出立じゃ」頼重の声に、
「応!」手勢が低く答える。
(自らの前途に何が待ち受けているのか思いもよらないが、
かくなる上は、いつか必ず源氏の旗を掲げて見せる!。)
不安に負けまいと必死に心中に期する義経だった。
承安四年三月三日、源義経、奥州出立の晩…。
一条長成卿とその妻常盤の前に、一人の若者が伏した。
「義経殿。人と成られたな。いや、目出度い。」
「牛若、いや義経殿。おめでとうございます。」
「頼政様、誠に有難うございます。相国入道様のお沙汰で
仏門に入らねば成らぬ定めの所、人と成る事ができました。」
「いや、これも源氏の生き残りとしての務めの一つ。それに、
出立前にこれだけは済ませておかねばなるまいて。」
烏帽子親の源頼政が応えた。既に源頼朝を始め、多くの
源氏の遺児を救っている頼政である。
(そのまま行ってしまっては遠流と変わらぬからな。)
と、頼政は心の中で呟く。
「義朝公も慶んでおられよう。」
「奥州では、まず藤原基成様や資隆入道様の御母堂様を
尋ねるが良いだろう。」
そして用意してあった幾つかの文が義経に渡された。
「名残は尽きぬが時が惜しい。わが甥の深栖頼重が待っておる。」
頼政が促した。
「今日までのご恩は忘れませぬ。ではこれにて…」
「どうか達者で…。」
「くれぐれも、この事は内密にの。」
「心得ております。頼政様。」
その晩、鞍馬山…。
「吉次か?。」
「はい、頼重さま。」
金商人の吉次が山門の陰から姿を表した。
出立に際し毘沙門天に参拝する。この山もこれで今生の見納め
かもしれない。そう思うと決して慣れ親しんだとは言えない鞍馬山
の闇深さも、何故か名残惜しく思われてくる。修行と勉学に励んだ
日々が懐かしく思い起こされる。。
麓に下りると、奥州行きの手勢が夜気に溶け込むように控えて
いた。
暗がりから微かに伺える手勢の面々のなにか狼を思わせる相貌と頭数に気圧される義経。
「黄金を遥々奥州から運んで参るのです。この位は当然ですよ。」
頼重が僅かに得意げに答える。
「出立じゃ」頼重の声に、
「応!」手勢が低く答える。
(自らの前途に何が待ち受けているのか思いもよらないが、
かくなる上は、いつか必ず源氏の旗を掲げて見せる!。)
不安に負けまいと必死に心中に期する義経だった。
承安四年三月三日、源義経、奥州出立の晩…。
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