前回に続き、讃題と常住讃の関係を整理しておく。
夫々の描く三角形の頂点の対比は以下の様になる。
讃題 常住讃
① 仏 ⇔ 開祖・霊祖・両童子
② 法 ⇔ 真如三宝
③ 僧 ⇔ 聖地親苑
①と②について、それほど説明の必要はないと思われる。
注意すべきは③だろう。通常「僧」といえば「人」であり、
「僧伽」といえば「仏教教団」を指す。にも拘らずここで
「場所」が対比されている。
上図「僧」の下段に(教苑)とした。開祖の讃題における
三宝一体の理の教導には、「僧」の意味で「教苑」とある。
「…法に依りて、人に依らざれ
義に依りて、語に依らざれ
智に依りて、識に依らざれ
了義経に依りて、不了義経に依らざれ…」
大般涅槃経四依品より
一貫して「親苑帰一」を打ち出している苑主代表には、
人の集団・組織ではなく、それらが活動する場所である
聖地や依処をも含め「教苑」との認識がある様だ。
常住讃ではこれを更に一歩推し進めて
僧伽(僧団)⇒教苑⇒聖地(親苑)
教苑というキーワードを介しての積極的トランスレーション
が読み取れる。前々回において人間集団が本質的に抱える
問題が宗教団体においても同様である事を述べたが、こう
いった認識に立つ限り、教団が人と仏を繋ぐ紐帯であり続
ける事は不可能である。苑主代表はこの問題を「教苑」と
いうキーワードを介し、常に過ちを犯し続け信頼を損なう
「僧(伽)」を、霊意によって定まり、開祖霊祖とこれを
慕う過去多くの人々の祈り行いの集積が今も凝結し続ける
「聖地親苑」に換える事でブレイクスルーしようとしたの
ではないだろうか。
人々を、教団組織に執われる事なく、開祖霊祖・両童子
に、より直に深く強く繋げていこうとする、苑主代表の
祈りの結実が常住讃と観ずる。
続く
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