おや?、こんな有様、いつも見慣れているような…
そう、真如苑で重要な法要の時に時折観られる、日暈や彩雲等が出た時の信徒の反応と同じじゃないか…。天候の回復を天皇の「力」と観る書き込みの何と多い事か。
「…『そら、幕府のやり方はむごい。一つ又一つと禁裏と寺院の勢力を奪ってゆくやり口も汚い。だが、それでも一気に潰しにかからんのは、それだけの力がわしらにあると云うことや。そやけど、それはわしが偉いからやないぞ。京の庶民たち、全国の庶人たちの禁裏に寄せる熱い心のためや。幕府がこわいのは、そっちの方や』…」
講談社文庫 隆慶一郎「花と火の帝」より
小説からの引用だが、リアルな令和の世のネット民も概ね同じではないか。仮に上述引用内の地名や組織を、現代のものに当てはめたらどうなるだろうか…。
「…帝の血の中には、潜在的に強力な呪力の根が代々伝えられて来ているのではないか、御即位の後にとり行われる践祚大嘗祭とは、その血の中に眠る最高の呪力を解き放ち顕現させるための儀式ではないかと岩介は疑っているが、それだけにこの隠密の儀式を伺うことは岩介にも憚られた。…」
講談社文庫 隆慶一郎「花と火の帝」より
では、天皇に神通力はあるのだろうか?。明治維新の神仏分離政策によって廃止されたが、密教が請来され、日本に定着して以降、古の即位の礼では、天皇は高御座に登壇の際、即位の為の密教儀礼「即位灌頂」が行われ、真言や印契の伝授を受けていたのだとか。
『…法要や儀式丈けで人の魂を救ふことは出来ない。おそらく文化人と称する人々は、此の掲示を見て笑ふだろう。そして私が盛んになれば、私に対する圧迫の道具としかねない。私はそれを見透して此の看板を出す。然し文化人と自負する人達は、表面で冷笑し、心は密かに求めるーー。そこに本当の宗教があると私は思ふのだ…』
中央公論新社ー中公文庫刊「真乗ー心に仏を刻む」より…
即位灌頂は、密教儀礼によって天皇の地位を裏付ける政治的な意味合いと同時に、天皇の神通力を密教によっても裏付ける役目があったのではないだろうか。
真如苑開祖・伊藤真乗は、表面上は否定しても、人々は不可思議現象を求めていると評すると同時に、涅槃経より「大乗の為にすべし、二乗の為にする事なかれ」を引用し、これを真如霊能の現代的意義として掲げている。
かつて古の天皇は、国民を「おおみたから」と呼んだそうだが…、文明の爛熟した21世紀、令和の世の即位礼正殿の儀に、天候の不思議をみた我々日本国民は、何処に導かれようとしているのか。その本質的なベクトルは神と仏の間に相違はないと信じる。
花と火の帝 |
真乗ー心に仏を刻む |
天皇の即位儀礼と神仏 |
この記事の執筆時点で既に、太平洋に逸れた台風21号の影響による大雨の予報が確定していた。先月9/9、重陽の節句の台風15号以降、台風19号を頂点に、10月に入ってから毎週末の様に続く大雨が台風による災害復旧を阻む状況下において、一時の晴天で喜べる人々はよしとして「とても安心できない」というのが、大方の国民の実感ではないだろうか。
返信削除初めまして、真如教徒です。信徒番号は**09067057です。**はご存じのように西暦です。
返信削除まめぞうさんは苑のWeb集会にコメントしないんですか?最近ちょっと面白くなってきましたよ。
まめぞうさんも是非ご自分の意見をコメントしてください。
「王法と仏法は車の両輪」皇室と仏教についての古の認識だが、仏教から見れば在家者である天皇に「御即位法」という形で法流血脈の相承が可能なの何故か?。「御即位法」は日本の密教宗派にそれぞれに伝えられたものがあるが、東寺観智院に伝わる真言宗の「東寺御即位法」は醍醐三宝院にも内容が一部重なるものがある事が上述の『天皇の即位儀礼と神仏』に指摘されている。
返信削除10/27は真如苑開祖伊藤真乗が、祖山・醍醐寺より修験の法流である慧印三昧耶法を法畢した日だが、醍醐寺における密教化した修験(在家)法流の存在が、在家者である天皇の密教の血脈相承とも言える「即位灌頂」の成立に大きな役割を果たしているように思えてならない。
10/31 ハロウィン。沖縄・首里城消失の報を聞く。沖縄の人々にしてみれば、ヤマトンチュウにとっての皇居や京都御所が消失したのと同等ではないかと思う。
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