2019年4月25日木曜日

如意輪観世音像遷座

 2019年3月28日、真如開祖113歳生誕を祝う大祭当日。
立川では、十日ほど先の釈尊の生誕を思わせる、優しい雨が降っている。例によって応現院で参座する。
 昨秋、開基八十年の一如まつりで、醍醐寺より目録にてお約束頂いていた。如意輪観世音座像と、不動明王の脇侍となる二童子像を、真如苑関西別院・悠音精舎でお迎えした。


如意輪観音像
 因みに、醍醐寺で如意輪観音像といえば、昨年公開されたこちらが有名だが、本日お迎えしたみ像はこちらではない。

 法要が始まる。醍醐寺百三世座主・仲田順和猊下が、重役方と共にお出まし。ご列席をお迎えした後に読経が始まる。伊藤真聡苑主代表が法要の御導師を務めている。途中『感謝』の所で、経頭が苑主代表の名号を唱えかけ、慌てて言い淀んでいる。苑主本人が御導師を務めている時、法要にご来賓がお見えになっている時は、これを避けるのが通例である。

 仲田順和猊下に御挨拶を頂く。聖宝理源大師は、既に開祖在世中に、真如苑に勧請されて久しい准胝観世音菩薩と、本日お迎えする事になった、如意輪観世音菩薩の二尊を奉じて醍醐寺を開山したが、この二尊の祈りがそのまま醍醐寺の根底にある生命観を象徴していると言えようか。
 更には、み教えのみ力のルーツが、如意輪観世音菩薩の祈りに秘められていると明かされた事は、全苑教徒にとって、この盛儀の一番のトピックと言っていいのではないだろうか。

 続いて苑主代表の挨拶。あれっ!?と思う事が…
先の仲田猊下の御挨拶では本日の盛儀は
…継主さまからのお願い…
今の苑主代表の挨拶では
…醍醐寺さまからのお申しにて…
これは、どっちがニワトリでどっちがタマゴ?
 だがこの件、お二人のどちらが先に願ったとしても、各々の立場に具合の悪い事になるのかもしれない。醍醐寺と真如苑の関係についてはこんな記事まで出るくらいだから…。
 これ以上、野暮な詮索はするまい。ここは二人の阿闍梨が「融和の祈りの中に意見の一致を見た」という事にして置こう。

 なお、当日迎えた三像は、修復や学術研究の対象となった後に入魂、順次教団施設を巡った後、半蔵門ミュージアムにて世に公開されていくとの事。真如苑大日如来像と同じく、一般公開までは相応の年月が費やされるのだろう。


 21世紀は霊性の時代
アンドレ・マルローカール・グスタフ・ユングが指摘したそうだが、如意輪観世音を迎えた事は、真如教徒にとって、自らの霊性を自覚し高める大きな機会であり、これによって、各々置かれた場所で、総合的な判断を発揮していく為の、大きな原動力を頂いたものではないだろうか。

                南無真如


 

3 件のコメント:

  1. 今月の総部会は土曜日(4/27)、これと同時に配布されるのが通例の親苑時報次月号(如意輪観世音菩薩像お迎えの速報記事あり)が、既に配布を始めていた。この記事はみ仏に誓って、私の確認した事実を基に書かれている。(記憶違いや、解釈の不適切は否定しないが…)。不都合な事実がこんな形で明らかになっても、まるで何もなかったかのようにふるまうのがこの教団である。

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  2. 本文中ではああいったが、後から考えるとおそらくは…。どうもすっきりしないので、一言だけ。今回のこの企画、もしかしたら双方のトップの預かり知らぬところで話が進んだのではないのか?。将来に渡って手を取り合い続けていこうとする事を好ましく思わない人々もいる中「関係を継続していこうとする、表に出ない一群の人々」の存在を双方に推定すると、双方のトップの、当日の挨拶に齟齬が生じるのに納得がいくのだが…。

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  3. あれから4年。今秋11/22、東京・麹町の半蔵門ミュージアムにて件の如意輪観音像が、常設展示として一般公開された。お迎えからコロナ禍を挟みおよそ4年半。真如苑大日如来像が、入手から公開まで研究・調査の為の期間を置き、10年かかったのと比べると、元の醍醐寺でそれらのプロセスが終わっていた分、速やかな公開と言える。改めて今にして思う。お渡しに至る経緯がツッコまれて都合の悪い事なら、最初から双方とも黙っている事は出来なかったのだろうか?。

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