「まあ、成朝殿」
「康慶殿、これが落ち着いていられるか!。」
これでもう何度目になるだろう。
「摂関家はあんまりじゃ。功徳を求める余り氏寺たる
興福寺を省みぬ。御修法といえばやれ真言じゃ天台じゃと、
挙句の果てに氏寺に属する我らではなく、京におる院派や
円派にばかり仕事を取られるのでは話にならぬ。山階道理
にでも乗らねば我ら奈良仏師に明日はないわ!。」
「山階道理」 当時の興福寺の権威を指してこう言い、それを
以って要求を通す行動の最たるものが、興福寺堂衆による
「強訴」だった。成朝はこれに関わる事によって当時評価の
低かった奈良仏師の地位向上を目論んでいたのだ。
「成朝殿、我らは匠ぞ。政で認められても所詮一時の事、
仕事で認められてこそ匠の本懐ではないか?。」
「その仕事が来ないのでは腕も見せられんわ!。」
と言って、工房から走り出る成朝を目で追いつつ思わず
溜息をつく康慶。確かに成朝の言うとおり仕事が少ない。
しかし、興福寺が氏寺としての権威を摂関家に持つから
こそ「敬して遠避ける」事にもなると康慶は見ている。
師匠の康朝から預かった仏所を、成朝にいつか渡さねば
ならない。しかし、匠としての修行に身の入らない成朝に、
奈良仏師の伝統を直ぐに渡す訳にも行かなかった。
「親父殿?」
様子を聞きつけた運慶が工房を覗き込んでいる。
「なんでもないわ」
実は、康慶は運慶を僧にしようとした事がある。興福寺内
に伝手を辿り預けたはよいのだが、運慶の方で投げ出して
仏所に帰ってきてしまった。なんでも「五性各別により悟れる
者とそうでない者がある」「修行に三大阿僧祇功の時を必要
とする」等の法相唯識の教えに我慢がならなかったらしい。
「自分の身の回りさえ意のままにならんな。」
独り自嘲する康慶だった。
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