「第三の開眼」への重要な清めともなる、本年の斉燈護摩法要。
男女海外教徒で世界へ向けて執行するその二日目。
応現院帰苑、当日分で申し込む。日曜とあって参拝者も多く、混雑している。開式、入場、結界、願文、火点…。あっという間に終わってしまう。法要時間が短縮されてもう大分経つ。だから一言申上げたい事。法要が終わっても護摩が終わった訳ではない。法要後も護摩札への供養は続いているし、法要時間短縮によってむしろその重要性は増したのではなかろうか。現地で立ち会う機会のあった方は、会場内に居られる間、護摩壇の炎が燃え続けている間は、祈りを絶やさないで頂きたいものだ。
護摩といえば火の法要。で、思い出した事…。
今夏、震災被災地の陸前高田の松を巡る一連の迷走を鑑みて…、あくまで一般教徒の想像の話としてなのだが、仮にこの供養の話が真如苑に持ち込まれたとしたら、どうなっただろうか?。なんらかの法会が企画されただろうか?、それともこの斉燈護摩法要で…!?。
あと二週間…。
岩手の薪「五山の送り火」での使用を中止
東日本大震災:陸前高田の松で供養と復興祈願--千葉・成田山
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