2014年12月28日日曜日

2014年秋を振り返って

 明日は納めの法前供。今年最後の護摩でもあるので、9月以降
色々気になる動きがあって、久々に綴ったこのブログも今年の
着眼点を纏め一旦納める事にしよう。


 先日12月23日、応現院総部会にて、苑主代表より

   「明年はおおぞら地蔵様の浄水供養」

との発表があった。これに合わせて地蔵尊の周辺環境整備も
行われるものと思われる。仮令原型とはいえ真如のみ仏として刻んだみ像を、製作者自身の世間的な開運ビジネスに供する事、その様な行いがおおぞら地蔵様の荘厳に相応しいのか、
今後とも注視していきたい。尚藪内氏のサイトの画像からは確認
できなかったが原型のおおぞら地蔵が手にしている輪宝は
真如苑の意匠であるようにも私には感じられる。

あれ以来、事件現場となった慧燈院通用門には警備員が終日
立哨し、教団施設間を往来する職員の眼に怯えの色が浮かぶ。

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「僕は検事になって、悪い人間を裁くんだ」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「友一、お前自身を責める人々を愛していく、
  それが神仏に仕えていくことなのだ」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
(歓喜世界244号・苑主瑞教より)

ここ数年、折に触れ苑主代表が

「事務局員は聖職者」

と述べるのを良く見るが、この出来事はそれが真になるか否か
の試金石ではないだろうか?。開祖の諭す宗教家のあるべき
姿から、教団はこの事件を被害者として追求しないのでは
ないだろうか?。この場合真相は伏せられて行くのだろうが…



 700万年の昔、アフリカで人類が発祥してより、世界中に
拡散していく道筋を、考古学者ブライアン・M・フェイガン


と名付けた。これを探検家関野吉晴氏が終点の南米大陸
から始点のアフリカ大陸まで近代的動力に頼らずに踏破した
道程が紀行ドキュメンタリーとしてTV放映されたのはまだ
記憶に新しい事と思う。



 同じ9月に北米で行われたNY灯籠流しと「火と水の法要」
として一纏めに扱われる事が多いペルー済摂護摩だが、
発祥に祈り運ぶ法会だったのに対し、今回は人類の到達点
である南米大陸で行われた事に着目したい。真如苑は今まで
も世界各地で法会を行ってきたが、アフリカ斉燈と南米済摂
の二つの法会によって真如の祈りが人類の発祥から到達点
まで届けられたとはいえないだろうか。余談だが、寡聞にして
この様な異なる見方を法憧において聞いた事がない。法憧に
関わる教団職員各位は奮起されたい。




終りに

 去る12月8日成道会、苑主代表は法要後各々内陣左右に
分かれて着座している登壇者を指し

「(内陣下手事務局員を指し)この人達が聖職者で、 (内陣上手部会登壇者を指し)この人達が皆さんの代表なんです」

と述べた。これを聞くにどうも、自分は苑主代表から見て、
教苑秩序の破壊者と映っているのだろうかと思える。
おおぞら地蔵の件では愛苑の声への投書を公開書簡として
このブログで明らかにし、まるでこの件における一般教徒代表
の様に意見した自分は、確かにそれまでの教苑のルールから
外れた行動をした。何故こんな行いが出来てしまったのか?。
 せんとくんによる奈良県地域社会に起こされた騒動を知る人
ならば、藪内氏は造形製作における「いわくつきの人物」と
既に多かれ少なかれ印象付けられていた筈であり、仮令地蔵尊
製作者として苑主代表のみ仏の眼によって選ばれた人物で
多くの一般教徒が無意識に感じていただろう違和感や抵抗感
「信」によって棚上げされるには重い物があったのではないだろうか?。私自身完成したみ像を見る限り、苑主代表の選択を間違ったとは思わない。一番の問題は教苑事務局が事を運ぶに
当たって、教苑の決定の支持が「信」によって得られると安易に
受け止め、一般教徒の理解を得ようと努力しなかった事にある
のではないか?。その様な歪みに私の発言する余地があり
真如霊界の後押しを頂く結果となったのではないか?、今振り
返ると、これを予感させる霊言を私は2つほど頂いていた様
なのだ。

 総じて、今後の教苑事務局に何が必要なのか示す事象が
色々とあった秋と言わざるを得ない。

                            南無真如







2014年11月21日金曜日

この始末、どうつける?

 10月20日、立川は午後から雨。今季一番の冷え込み。
 境内の地蔵尊は未だ周辺環境の整備が始まっていない。
自分の反対意見が進捗を遅らせているとすれば心苦しい。
蜻蛉も安息の池が必要だろう。

 『ポゼスト(障害霊)を背負う智文を抱いたまま御宝前に祈り
続けている時、一つには八つざきにしても飽きたらぬポゼスト
の憎悪と、二つには夫・主管(註・当時私を、主管と呼んで
いた)が眼の中に入れても痛くない智文ー私にしても抱いて
愛撫する可愛さは主管と変わりはないのでありますがー
ポゼストへの憎悪と、何ものにも変え難い長男という情愛の、
二つを一つに持った智文を膝の上に抱かねばならない私の
胸の中は、自分で割り切れぬ切なさと、得体の知れぬ悲しみ
とが胸にこみ上げてくるのでありました。
             ---以下略---』
「一如の道・草取信仰」より

 応現院境内に参拝し、おおぞら地蔵様に手を合わせると
何故だろうか、上記が心に浮かぶ。
 私は藪内佐斗司氏が製作者に選定される経緯には納得して
いないが、実は地蔵尊そのものについてはそれほど拒否感を
抱いている訳ではない。むしろ薮内氏の芸術家としての個性と、
彫刻家・仏師としての祈りが良くバランスした傑作ではないかと
思っている。是非ご自身のサイトでも喧伝されたい。

 かつて親苑のご霊廟の仏塔を刻む際、製作を請負った
溝田童仙氏教団側担当者にこれを如何に刻むか質問した時

   「仏の世界」

との答えが返って来たそうだが、境内地蔵尊の周辺環境整備も
同じではないか。故に個我の主張の場にしてはいけない。また、
おおぞら地蔵様も真如のほとけとして刻まれたのだから、いくら
製作者であってもビジネスに供するのは肯定できない。

 一つここで提案しておきたい事がある。
境内地蔵尊は、両童子傘寿喜寿の祝賀の為、もう一つには
これが青年会60周年記念を祝しての荘厳でもある。よって、
おおぞら地蔵様周辺環境整備を如何様にするか、今週末に
催されるWORLD YOUTH FESTIVAL 60において、結集する
青年自身が決定してみてはどうか?。薮内氏がこれにどの様に関与するかも青年自身が判断する。関係各位は検討されたい。

 先のせんとくんへの批判に続き、今度は真如苑で同様な発言
をする私の様な存在が居た事に、薮内氏もさぞうんざりしているのではないだろうか。ここで私が問題提起したかったのは藪内氏
ご自身ではなく、藪内氏に地蔵尊の製作を依頼する教団内の
非民主的な経緯である。また、一庶民がこの様な大きな問題に
アプローチするにあたっては、身一つで赴いてもけんもほろろの
扱いをされるのが関の山であって、私にとって唯一確実に実行
しうる手段は、一つのハンドルネーム「名も無いまめぞう」にて
多くの発言を蓄積し、ネットの様なツールによってそこに自身の
人格を表現していく事しかなかった事を、どうかご理解頂きたい。

 最後に、おおぞら地蔵様、両童子様、苑主代表、
藪内佐斗司先生、顕幽の応現院境内地蔵尊建立関係各位の
皆様、千載一隅の祝賀の機会にこの様な記事を書いた事、
本当に申し訳ありませんでした。

                               南無真如

 

 

おおぞら地蔵建立の経緯 -2014年9月法前供・事務局M局員の法憧より-

 先日9月28日、真如苑応現院法前供の法憧にて、これを担当した教団事務局職員M局員により、機関紙・親苑時報8月号の
「苑主瑞教」(2014年7月下旬発行)で正式発表された
おおぞら地蔵入魂の儀』にて開眼される地蔵尊の製作に、
以前より「せんとくん」のデザインで著名な東京芸大大学院教授の彫刻家・薮内佐斗司氏の起用の経緯が語られましたが、これを
拝聴するに私の疑念(と言うより違和感)が氷解すると同時に、
私のおもひも、先日27日に噴火した御嶽山の様にこみ上げる
物が沸いて出て来た様に思いこれを認めた次第です。

法憧の内容ですが…
予て教団内に「応現院境内に地蔵尊が必要」との認識が
共有されていた所、ある時苑主代表の

   「藪内さんの様な方に作ってもらえたら」

の言葉を聴いたM局員が、教団内の伝手(薮内氏と近い
悠音精舎勤務の教団職員11/7生まれ)を辿り薮内氏にこれを
依頼したとの事。しかしこのM局員の奔走は、実態としては
組織内における独断専行であったらしく、M局員自身がこの
法憧において

    「後から叱られた」

と述べており、苑主代表から「動いてくれた事への感謝」と共に

    「もう少し沢山の人と話し合ってから
    話を進めた方が良かったのでは?」

と、M局員への言葉があった事から、苑主代表はおそらくは
M局員の行動を対外的な面から追認せざるを得ない状況に
なったのだろうと思われます。

 キモカワと表現される作風せんとくん製作者決定プロセス
地域マーケティングの為のゆるキャラであれば、話題になって
経済効果が出ればそれでも総てが許されるでしょう。しかし、
ここで刻まれたのは、応現院を訪れる人総てを迎える真如苑
の尊格(ほとけさま)です。同尺度で判断する事ではありません。

 M職員は当日の護摩の法要の際、御導師様の修法を手伝う
役目を拝受していました。そんな方が苑主代表の心の奥を
少しでも理解しようとせず、独断専行に走ってしまう事に一教徒
として危うさを感じます。かつて開祖・伊藤真乗が述べた

  「私に仕える様に教徒に仕えて下さい」

との言葉も、教団職員が社会的均衡を欠いた行動を戒めたもの
と愚考します。

 伊藤国際教育交流財団の評議員も努める薮内氏ですが、
おおぞら地蔵様を刻む上で本当に相応しかったかどうか?。
苑主代表の「薮内さんの様な方に…」との発言も芸術家として
藪内氏ではなく、彫刻家としての業績や、財団評議員としての
取組みを指したのではないかと愚考します。
苑主代表の言う様、(不特定多数の一般教徒を含む)もう少し
沢山の人と多様な角度から話し合ってから話を進めた方が
良かったのではないでしょうか?。せんとくんの時の様な非民主的な密室プロセスでこの様な問題を決めてしまって、果たして
良かったのでしょうか?。

 おおぞら地蔵様は8月22日入魂の儀を済ませ既に真如苑の
みほとけさまとして確立しています。この様な前日譚が一ヶ月も経ち地蔵尊の存在が既成事実化されてから明らかにするとは
まるで国家官僚が国民の反対意見を封じる政治的手法の様な
振舞いを教団が執った事、M職員の、この件に対して苑主代表
がM職員に取った態度を以って法憧を「聞き上手」という講題に
て実態をオヴラートに包み、苑主代表はじめ全教徒に懺悔
欠片もない態度を大変残念に思います。

2014年11月20日木曜日

10/29/2014 薮内佐斗司氏応現院来訪

 去る10月29日休日午前、応現院に参拝する。境内地蔵尊
前に誘導用の赤い帆布テープが張り回されている。工事でも
始まるのだろうか?。参拝を終えたのがお昼近く。今日は29日、
昭和記念公園のフードフェスでお昼にしようか等と考えながら
境内に出ると、苑主代表、西川勢二教務長補佐、以下数名の
教団職員が、目の前を地蔵尊に向かって歩いている。地蔵尊の
背後に車が止まっており、試作品だろうか、幾つかのオヴジェが
地蔵尊の周りに置かれ地蔵尊を製作した藪内佐斗司氏がいる。
 対談が始まる。少々場所が離れているので内容は聞き取れ
ない。薮内氏が太陽の顔のオヴジェを取り出した辺りで話が
盛り上がってる様だ。15分程で対談は終わった模様。公式サイト
今後、応現院を訪れる多くの方々に広く親しんでいただくための、お地蔵様周辺の整備が進められます。」とあるので、今のは
その打ち合せだったのだろう。


真如苑には「愛苑の声」という投書箱が各本部支部に設置され
ている。いわゆる苑主代表への目安箱なのだが、投書内容も
非公開であり、具体的に組織内でどの様な処理がなされるのか
一般教徒には当にブラックボックスだからなのか、これを利用した
と言う話を今まで聞いた事がない。尤もこれを使うと言う事は信徒
として重大事を訴える事になるので、おいそれとは利用できない
訳だが、予て境内地蔵尊に思う処のある自分はこれを機会に
こんな投書をした。

『平成26年10月29日

 真如継主さま

 先刻はおおぞら地蔵様尊前での薮内氏との打ち合せ、大変
お疲れ様でした。先程の打ち合せ、おおぞら地蔵様の新たな
荘厳についてのものとお見受けしましたが、継主様におかれ
ましては、既にお心はお決まりでしょうか?。お願いがあります。

 太陽の顔のオブジェクトだけは勘弁して下さい」

おおぞら地蔵様に複雑な思いを抱いております。これ以上
我々一般教徒を薮内氏の作品世界に付合わせないで下さい。

                                 南無真如

立川部会 Twitter経 名前 Twitterアカウント @NameLessBean

 ご連絡先 ************@gmail.com 

 おおぞら地蔵様に関しては、既に8/22に入魂の儀を済ませ
現時点で真如苑の参拝の尊格として確立している。まさか
今更入魂の御魂にお帰り頂く訳にも行かないではないか。
 しかし、「周辺の整備(荘厳)」と言う事になれば、これから
始まる事なのでまだ検討の余地があるだろう。これを執筆して
いる現在、まだ工事は始まっていない。

 ひとつはっきり確信している事がある。あの時何故自分は
応現院に居合わせたのか?。休日だったのも自分で選んだ訳
ではない。藪内氏の来訪はアナウンスが事前にされてた訳
ではない。また、護法の神が許さなければきっとあの時あの場
に居合わせる事は出来なかった筈だ。 私はこれを仏意に
よっておおぞら地蔵様への思いを発露する機会を頂いたもの
と信じている。

*真如苑に「Twitter経」なる集団・組織は存在しません。

2014年11月17日月曜日

ある懸念

ある懸念が胸を離れない。

 ヤフー知恵袋での発言を控えてから早3年。発言を控えても
時々はログインし、投票などもしていたのだが、今年7月以降
目立って発言を鈍化させた一人のアンチ真如苑が、件の事件
以降妙に目に付いた。

 まず、件の事件についてのアンチ側の発言を紹介しておく。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11136923981

http://hiirored.blog31.fc2.com/blog-entry-113.html

 以前紹介したアンチ以外の顔ぶれも見られる。質問主の
鑑定霊言氏以外は全体的に発言のテンションが低めである。
まあ、当然と言えば当然だろう。真如苑について長年良からぬ
心情を吐露してきた訳で、ここで容疑者肯定の過激発言など
しようものなら、事件への関与を疑われても仕方がない。
 とはいえ、真如苑について色々述べるには絶好の機会でも
あった筈。しかしこのアンチ氏だけが頑なに沈黙を守っている。
何故だ?。

 思い切って禁を破りこんな質問を投稿してみた。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10137880070

 結果は見ての通り、アンチらが押し寄せてうんざりする様な
書き込みをするかと思いきや、けんもほろろのこの扱い。
代弁IDが一件、回答しない理由を述べたきり。
 それにしてもレスポンスがないのは何故か?。この質問に
ついて私を批判するなら、別に質問を立てる、ブログで述べる。
掲示板もある。ツイッター(全然使われてないけど)もある。
自分にとってやり易い環境での発言がいくらでもある筈。

 この3年間、彼らにも色々な変化があった。反苑の会掲示板
失われ、新たに設けられた議論掲示板相談掲示板もその総て
を見ることが出来ない状態にある。いわゆるパロディサイト
設けられたが、こちらは教団がこの様な対応をしている事から
もしかすると法的措置も取る事が可能なのだろうか…。
 また、私以外にも教信徒を名乗るIDがヤフー知恵袋に
立ち上がり、アンチらが対処に追われる姿も見られた。
(公の場で真如教徒を名乗る我々は、アンチの批判に執われる
事なく、その振る舞いを常に省みたいものである)
 総じて、ここ3年世間の宗教に対する認識は相変わらずだが、
彼らの言う所の被害記録や議論の蓄積を失ったアンチ真如苑
は、ある点衰退したと言って良いのではないか。それだけに
「この人達は一体何処にそんな暇があるのだろうか」と思える
ほどネットへの書き込みを繰り返してきた彼らの中心人物である
彼が、その結果に絶望し遂にリアルでの道に外れた行動
起こしてしまったとしても不思議ではないのではないか。

大般涅槃経高貴徳王菩薩品の結びの章にこうある。

『善男子よ、我が涅槃の後に、声聞の弟子が
現れる。その者は愚かにも戒を破り、喜んで
闘諍し、仏の経を打ち捨て、正法以外の典籍
や文書を読誦し、不浄な財を受け蓄えながら、
「こうした行為は仏から許された」と偽る。
 このような悪比丘は、在家の仏教徒達に、
「自分は煩悩を滅し無漏(むろ・さとり)を得た」
と告げ、仏法の甘露を毒薬に変えてしまう。
 すでに如来が入滅して、この涅槃微妙典が
世間に広く行われ流布される時、弟子達が
この経を受持し、読誦、書写、演説する者は
悪比丘により殺害されかねないであろう。
 悪比丘たちは聚まり、厳格な掟もたてる。
「かの涅槃経を受持する者とは、決して共に
生活、行動せず、談論さえもしてはならない。
 なぜなら、涅槃経とは仏が説かれた教えで
はなく、邪見の徒が造ったものだからである。」
      ………以下略………』
歓喜世界240号「最後のみおしえ」より

いわゆる歴史的視点から以上を見た時、これは大般涅槃経を
編纂した人々が、これを当時の社会に明らかにした時の反響
を予見したものであり、涅槃経により自らの存在意義を脅かさ
れたと感じる人々が居たのではないかと自分は愚考しているが、
ヤフー知恵袋等のアンチ真如苑の発言がこれによく軌一して
いるのはとても興味深い事である。

それだけに件の事件の容疑者が実は彼だったのではないか…

そんな懸念が心を離れない。

2014年10月16日木曜日

「真如苑立川総本部教団職員傷害事件」について③

 10月15日常楽会。毎月15日はいわゆる釈尊の月命日でも
あり、世尊遺言の教えとされる大般涅槃経を信奉する真如苑
では常楽会が行われる。朝方立川は曇り、午後から雨が降る。
苑主代表のお出ましは無し。既に10月17日(現地時間)に
行われるヨーロッパ記念法要への準備に入っておられるそうだ。

 特に進展のない限り、傷害事件の件はこれで最後にしよう。
余計な活気も生まれているようだ。
 ブログ4件も充ててこの事件を扱ったのは、これが他人事
ではないと感じたからだ。場所や時刻を考えれば、現場及び
その周辺地域にいた教団職員は言うに及ばず、一般信徒、
周辺住民、近隣施設に通う児童生徒、通行人等、多くの人々が
危険な状況にあったと考えられる。それに真如苑の施設は開放
されたスペースなら、誰でも入って申し込み用紙の一枚ぐらい、
簡単に持って来る事ができる。最後に憶測というより妄想
だが述べておく。容疑者氏は実はアンチの一人で、総本部の
代表に会おうとしたのは、私(まめぞう)の発言を止める為で、
彼らは私を教団職員の誰かと思っており、だからこそ件の職員
が刺される事態となったのではないだろうか…。
 はっきり行っておく。私、まめぞうは真如苑一如社グループ
各財団等のどの法人についても従業員として所属していない。
唯一、一般教徒として所属しているに過ぎない。そして匿名の
一般教徒として発言している。故に教団事務局に如何なる
働きかけをしようと、私を止める事は不可能である。ついでに
申し添えておけば、10月4日斉燈護摩当日には、苑主代表は
既に山梨別院に現地入りしており、いくら立川の総本部を訪れ
ようと、絶対に面会する事は出来なかった筈であり、苑主代表
不在を把握していなかった容疑者氏は、それ程には教団の
年間スケジュールを理解してはいなかったと言える。

 先月下旬に発行された教団機関紙「親苑時報」10月号に
昭和12年、開祖が立川航空神社にて火生三昧の法を修した
際、行の直前に霊祖の突然の不調の報に応じて更に祈りを
深めるエピソードが苑主代表の発言として掲載されている。
修法の直前に突然のトラブルの報…。苑主代表には何か
予期する所があったのだろうか?。件の被害者職員が
慧燈院出入りしているなら、おそらく苑主代表に比較的近い
信任の篤い職員である可能性が高いと思われる。その様な
職員が傷害事件に遭ったとの報が、重要な修法の直前に
入ってきたとなれば、それは苑主代表のみならず当日の法要
関係各位全員に、一旦は驚愕をもたらした事と思う。その驚愕
から如何に不退転の覚悟を固めていかれたのだろうか…。

 大般涅槃経聖行品に摩訶迦葉が

『…私は自らの皮を剥ぎて紙となし、血を刺して墨となし、
髄をもって水となし、骨を折りて筆となし、この偉大なる涅槃経
を書写し、教論通利ならしめ…』

と、自らの決意を披瀝する場面がある。この凄惨な表現によって「真実は苦難を通じてでなければ伝わらない」と述べられている
と私は解している。今回の斉燈護摩2日目の雨や、この事件を
通じ、自分自身内なる悪を見つめ、不動の覚悟固め進んで
行きたい。

南無真如

2014年10月11日土曜日

「真如苑立川総本部教団職員傷害事件」について②

 10月11日正輪会。台風19号が来る前の最後の晴れ間に
なるかも。苑主代表の御導師により十一面観世音様への供養
が行われる。行者は修法により本尊と一体となると言うが、
不退転の覚悟を定められた苑主代表もきっと十一面観世音様
と共に祀られている四天王の守護に預かるのだろう。

 前回の続き、供述②

けがをさせたのは間違いないが人とは思わなかった

について。個人的な印象の話になるが、どちらかと言えば自分は
真如教徒の中でもその規範からの逸脱の度合いが大きい部類
に入るようなので、信徒のコミュニティの中でもどちらかと言えば
「困った奴」と見られがちの様なのだが、これを教団職員に向けた
時に返って来る眼差しを「人とは思えない」と思われている様に
感じるのが常である。件の容疑者氏も自身を「精神障害者」として
警察に相談に行った位であり、供述を「意味不明」と報道されて
いる事から、(もし元信者であった事が本当なら)教団職員の
奇異の視線に向き合う事もあったのではないか。この様な視線を
向けられ続けたとすれば、向けられた方も相手を奇異に感じる
のだはないだろうか?。こう考えてみるとこの様な状況を生む
雰囲気が何故生じるのかが少しは理解できる様に思う。

 供述③「意味不明」について、教団と警察当局がどの程度
綿密に情報交換しているのか不明なのだが、事情聴取を担当
する警察職員はどの程度宗教や真如苑に明るいのだろうか?。
容疑者を「元信者」と確定する以上、警察から教団への
所属の有無の問い合わせ位は必ずあった事と思うが、公式か
非公式かを問わず、警察当局が供述情報を教団へ漏らして
その内容の意味を確認するとまでは思えない。それだけに
本当に意味不明な供述なのかどうか?。案外一般教徒が
さらっと聞いてみたら犯行動機の核心に迫れるかもしれない
とも思うのだが…。教団内の通達でも「意味不明」との取扱い
なので、裁判の傍聴でもしない限りこのまま供述内容も日の目
を見る事はないのだろうし、きっと教団としてもこれを成り行きに
任せたい意向なのだろう。

 今の所自分は奇異に見られたからと言って人を刺したいと思った事はない。しかしもし「ペンは剣よりも強し」が真実であるなら
筆(言論)によって教団事務局を斬ろうとする自分の方が、
ある点件の容疑者氏より余程罪深いのではないだろうか…。


2014年10月8日水曜日

「真如苑立川総本部教団職員傷害事件」について①

 10月8日弁才天供。真如苑応現院境内は、白い舗装からの
照り返しに火照った膚に秋風が心地よい。法要は10時半開始、
まるで10月4、5日の事件などもう忘れられたかの様に粛々と
進行しているかの様に見えたのだが…。

『(斉燈護摩は)野外の護摩なので、
      来年も雨が降ろうが外でやります』

 これは本日の修法後の苑主代表の発言だが、実際に当日
血の雨が降っているので、自分には『どんな雨が降ろうが』
と言う意味に聞こえた。法憧の教団職員も直接事件には
触れず、苑主代表の不退転の決意を語る内容。

 教苑だけでなく、世間一般でも容疑者逮捕以降、新しい報道も
無い事からこの件への関心は急速に薄れている。しかし…
 ある漫画家さんの作中の決め台詞ではないが因果の理法では起こった事には必ず理由があると言う。この事件(事象)
には一体どの様な因と縁があるのだろうか…。

 容疑者男性の供述を伝える報道は要約すると以下の通り。

①「総本部の代表に会おうとしたら男性が通ったので刺した」
②「けがをさせたのは間違いないが人とは思わなかった

③意味不明

 まず①について、勿論言うまでもなく「刺す」のは論外だが
「一度は苑主代表と直接会って見たい」と、総ての教信徒が
多かれ少なかれ一度は思った事があるのではないだろうか?。
 戦前よりの教団確立期、開祖・伊藤真乗とその家族は
文字通り総てを投げ打ち真澄寺を建立、そこに住み済世利人
に取組んだ訳だが、その信仰生活には一部のプライベートも
なく、つまりは誰でも開祖霊祖に会い、その言行や人柄に触れ
当時の教信徒各々が大きな影響・成長した事により教団の
人的基盤が確立、今日の真如苑の基礎を築いたと言えよう。
 しかし振り返って、今日の苑主代表と不特定多数の教団職員
ではない在家一般教信徒との関係はどうか?。苑主代表の
諸活動はワールドワイドでグローバルなものになり開祖
存命中から既に代表と一教信徒が個人として接する事など、
物理的に不可能。「夢のまた夢」といった状態にあった事が
既に「教化の浸透」の上で大きな障害となっており
昭和42年の霊祖遷化後の教団における課題だった事は
平成元年遷化した開祖の遺言「定記」にも明らかな所である。
 こういった現状を打破する契機として私が期待したのが
東日本大震災の折から教団において活用されたTwitterだった
のだが、今日に至るまで教団外でのコミュニケーション手段
としては非常に消極的な利用に留まっている。(私は以前
このブログにおいて苑主代表のTwitterアカウントの立上げ
の要望を述べた事があるのだが、私は現在もその要望を
持ち続けている)
 こんな事を述べると他の教徒の方から「救いの霊線を信じていないのか」、甚だしい場合には「教えを信じていないのか」等と
ご批判を頂く事が多いので特にリアルでは話す事は少ない。
 また、教団もこういった個別のメッセージについて只「皆さんの
言葉を独り々々聞いております」と紋切り型のコメントに終始し
それらに対して教団としてどの様に感じたか、どうするか不明な
まま終わらせたり、「おもひ」の受け取りを真如霊界に仮託して
話を切り上げてしまうのが常である。こういった状況の中、
多くの教信徒は教団が用意したメッセージのやり取りにのみ
希望を託し、本当のおもひを明らかにしなくなっている。
 こう考えると件の容疑者氏の「代表に会おうとしたら」という
言葉にほんの僅かだが理解できないだろうか?。何を伝えようと
したのかも解らないし、刺すのは言語道断だけど…。 

2014年10月5日日曜日

真如苑立川総本部教団職員傷害事件顛末


 2014年10月4日、突然仕事の日程が変わり、斉燈護摩に
前後半両日立ち会う事ができた。立川の真如苑応現院境内
に入る。まず護法善神に参拝。護摩の日には境内の弁才天堂
にて教団職員が修法の加護を祈念する。こういう時、普段は
大抵開放される弁才天堂の扉が閉じられている。天気は曇り。
別に荒天という訳でもないのに?。

 本堂にて着座。法要開式までの僅かな時間に、立ち会う旨を
呟き、幾つか呟きを検索する。おや?真如苑?刺された?。
何か不穏な気配の呟きが散見される。今はブレちゃいけない…。
法要終了後、「親苑直行バスが諸事情により運行中止」との
アナウンスあり。何事?。改めてニュースをチェック。


 
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2314570.html

http://news.nicovideo.jp/watch/nw1263500



 『ニュース概要:
10月4日午前6時過ぎ、立川市柴崎町一丁目の教団施設
西門付近にて56歳・男性の教団職員が施設に入ろうとした所
見知らぬ男に背後から腰部を刺され都内の病院に搬送された
との事。逃げた男は50歳位で、身長は約170cm、白いYシャツを着ていて、オレンジ色の自転車で逃走した。警察でこの男の行方を追っている。刺された職員は重傷ではあるものの命に別状なし「刺した男性との面識はない」との証言から、立川警察署は
計画的犯行と見ている』

 ニュース動画を見るに教団施設とは一般教徒立入禁止
慧燈院」の事を指すようだ。すぐ裏には保育園、諏訪神社。
事件現場を挟んで向かいには中学校がある。
一般信徒の安全の為、明後日まで親苑での諸活動や
立川駅前の早朝奉仕は中止となった。
 今朝、応現院・弁才天堂で祈念していた職員も、これを畏れて
扉を閉めていたのだろうか?。著名人の詮索以外に、夜になっても、これ以上事件の伸展についての報はなかった。

 2014年10月5日。接近してくる台風18号の影響で、立川も
現地・真如苑山梨別院も雨。斉燈護摩は野外での修法なので
御導師様以下、教団職員からご奉仕者、現地参拝信徒に至る
まで全員が雨に濡れての法要となった。立川で現地からの中継
映像を見る限り、雨天による水濡れ(と、おそらく寒さ)以外に
目立った障碍は見当たらず、法要は無事終了したようだ。
 しかし立川の事件を意識してか、法要終了後の苑主代表の
コメントにも
「この雨は護法の神々のお恵みとばかりも言えない様な」
と、少々微妙なもの。立川では法要終了後の司会教団職員の
アナウンスコメントに早々に
「・・・信徒の皆さんにはご心配おかけしました」
と、事態が収束したかのような発言をしている。中止された
親苑での諸活動も再会されるとの知らせが入る。

ニュースをチェック。容疑者が見つかったとの報。

http://www.sankei.com/affairs/news/141005/afr1410050018-n1.html

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014100500072

http://www.news24.jp/articles/2014/10/05/07260551.html

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2315088.html

『ニュース概要:
警視庁立川署は5日、本事件の傷害容疑者として立川市内の
元信者男性(51)を逮捕。男は容疑を認めており、
「総本部の代表に会おうとしたら男性が通ったので刺した」
けがをさせたのは間違いないが人とは思わなかった」等と
と供述している。防犯カメラ(おそらく教団施設の物)にも男性
の姿が映っており、男性の自宅から犯行に使用されたらしい
果物ナイフが発見されており警察で鑑定している。
 尚、件の男性は9月に同署を訪れ自分は精神障害者だ
と相談をしており、責任能力の有無について慎重に調べられる
との事

と・り・あ・え・ず、一件落着か!?。