2015年3月28日土曜日

この始末、どうつける?(その3)

 先月24日に発行の歓喜世界245号に、藪内佐斗司氏への
特別インタービューが掲載されていたので、巻末の返信葉書で
以下の様な投書をした。

今回の歓喜世界をお読みになったご感想・ご意見を
   お聞かせ下さい(葉書アンケート質問より)

 P28~「藪内佐斗司先生インタビュー」について
氏の言葉を直接教徒に届けた点は評価しますが、
遅きに失したと思います●。また、氏が自サイト

にて未だに
おおぞら地蔵の原型彫刻を個人的開運ビジネスに
使用している点を鑑みるに、論旨としても弱いと
言わざるを得ません。

                      南無真如

 昨年8月におおぞら地蔵入魂の儀が行われてより、半年以上
が経った今、どの様な経緯でプロジェクトが進められたかは問題
ではない。おおぞら地蔵様は、もう真如のみ仏として応現院
訪れる沢山の人々の祈りを優しく受け止めてくださっている。
自分も訪れる度心を籠めて手を合わせている。唯一の問題は
上記投書の様な行いを未だに続けている藪内氏が、地蔵池の
製作に今後も関り続けるのか否かの一点に尽きる。まあ、
年が明けた直後ならともかく、春を迎えた頃になって新しい
カレンダーがそれほど売れるとも思えないが…。

 去る2月24日、応現院にて行われた特別廻向法要において
苑主代表は法要の参座・奉仕の教徒と併せ、苑外のスタッフ
への感謝を「協力がなければこの法要はできなかった」と述べた。教苑の諸活動が社会に広く大きくなっていくにつれ外部の
協力者との繋がりは重要になっていくだろう。おおぞら地蔵も
そういった繋がりの所産のひとつなのだろう。

煩「本当ですよ。先生はねー本当に(真実の
 意)信仰していった時には幸福になれるんで
 すよ、悪い因縁を切って幸いになれるんです
 よーというのですけれど、幸福になろうとい
 うこと自体が望み事を願っていると思うんで
 すよ。そしてね、小さな欲をかかないで大
 きな欲(本当の意味は如来に生きる)を求め
 よ、って教えてくれたんですけどね、小さ
 な欲をを願ってはいけないというのに、どうし
 て大きな欲を願えというのですか?」
 ・・・・・・・・・・・・』
(旧『一如の道』霊妙編・第五章 霊劇
 一、真如一如・小欲と大欲 より)

五秘密曼荼羅

 昨秋、渋谷区立松涛美術館開催のみ法に守られし醍醐寺
観に行く事ができた。展示の目玉の過去現在絵因果経も圧巻
だが、自分はむしろ上の五秘密曼荼羅に感ずる所があった。

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・金剛薩埵は密教独自のほとけ
 で、大日如来の所変である全ての菩薩の中でも
 根本的な存在である。他の四菩薩は、欲・蝕・愛
 のように性愛、あるいは慢(心)といった人間の
 基本的な欲望、しかも仏道修行には障害となる
 とみなされる煩悩を名前に持っており、このよ
 うな菩薩が金剛薩埵と一体になることによっ
 て人間の煩悩も本来は清浄であることを示し
 ているという。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(『み法に守られし 醍醐寺』パンフレット・
 作品解説・13.◎五秘密像(五秘密曼荼羅)より)

 おおぞら地蔵にしろ、ららぽーと立川立飛にしろ、本年は色々
と大きな動きがある年になりそうだ。前回の憶測の真偽は兎も角
これらが何か軌を一に動いているのは間違いないと思う。これら
の苑内外関係各位を如来に生きる清らかな境涯真如苑への
入信の事ではない、念の為)に導くのが、去る1/25に苑主代表
と共に、笠法護法善神の新たな真言を唱えた、真如三昧耶流の
修行を護摩法まで法畢した、鳥飼尚之次期苑主長塚充男
教務長西川勢二教務長補佐ら12人の教団の重役の使命で
あり、我々一般教徒の代表としての責任では無いだろうか。
こういった中に、上記藪内氏の所業の解決も見たいと思う。

                              南無真如
 

 

2015年3月26日木曜日

この始末、どうつける?(その2)

 3月21日、多摩モノレール立飛駅では、今秋東側に開業する
予定のららぽーと立川立飛の為に、改修工事が進んでいる。
多摩モノレールの線路を挟んで応現院の向かい側に超大型の
商業施設が開業する事になれば、土日祝日等界隈に賑わいも
増す事になるだろう。教団が一如社グループを通じ立川バス
業務委託している最寄駅~応現院直行バスも、応現院の多摩
モノレール側ロータリーを一般開放すれば、ららぽーとに訪れる
人々への対応は容易なのではないかと思える。
 去る1月25日、苑主代表は今年度寒修行にて

①おおぞら地蔵の浄水供養は秋季彼岸会までに環境整備する

とした。丁度ららぽーと立川立飛の開業と、おおよそ同時期に
なる様だ。この点を踏まえた上で改めて昨年の親苑時報8月号
苑主瑞教を読んで見る。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 開眼の後には、境内に地蔵池を造る予定です。②この池は
聖地親苑のある立川市の形にいたします。真理の蓮が咲き、
その上にトンボ(プロペラ)に乗った地蔵尊が降臨される
イメージです。近隣立川の方々に応現院へ気軽に足を運び、
四方の浄水供養など親しんでいただきたいと願っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 もう一点、おおぞら地蔵は開眼当初より③写真撮影自由との
扱いとなっている。これは今までの応現院境内に祀られた他の
尊格、天地両護法善神は元より純陀群像やチューラパンタカ
でさえ黙認されていたのに較べるとこれは破格の扱いである。

 上記赤字②③に加え

①秋分の日までに浄水供養≒ららぽーと開業

 に気がついた時、この「お地蔵様プロジェクト」の締め括りと
なるおおぞら地蔵の、もうひとつの企画の意図が見えてくる様に
感じた。ららぽーと立川立飛を誘致した立飛ホールディングス
よりの借地に応現院は建立された。立飛ホールディングスの
経営課題に、現状賃料と言う形で応えている真如苑だが、
地域社会への貢献という観点から、それ以上を目指した結果が
せんとくんによる奈良県地域社会マーケティングに多大な実績
を持つ藪内佐斗司氏を境内地蔵尊の製作者に抜擢した真の
理由であり、応現院に参集する不特定多数の教徒を、誘致する
大型商業施設の潜在的顧客としたい立飛ホールディングスと
広く社会にみ教えを発信していこうとする真如苑の意図する所
が一致した結果なのではないか?。

「(仮称)ららぽーと立川立飛」イメージ


                                 …続く



 

2015年3月23日月曜日

困ってしまう。(その2)

 いや、別に困る事でもなんでもないのだけれど…

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 童子は、もはや、子供の姿をしていなかった。
 小さいなりに、鬼の姿をし、しゃべるたびにその口からは青い炎がめろめろと吐き出されてく
る。
 鬼は、切り株から離れて晴明に向かって襲いかかろうとした。
「晴明!」
 博雅が、松明を捨て、腰の太刀を引き抜いたその時_
 晴明は、自分に向かって来ようとした鬼に右手の人差し指と中指を向け、宙をその指で切り
ながら、
「オン・テイハ・ヤクシャ・バンダ・ハ・ハ・ハ・ソワカ」
 真言を唱えた。
”薬叉天に帰命す。縛せ縛せ。ハハハ。あなかしこ”
 すると、ふいに、鬼が動きを止めた。
「そ、それは、おまえ・・・・・・・」
「庚申(こうしん)の真言さ」
 晴明が言い終えぬうちに、くねくねと鬼の身体がたたまれて、ごろんと草の上に転がった。
「むう」
 博雅が、太刀を手にして駆け寄ってみれば、それは木彫りの邪鬼であった。
 ちょうど、広目天の足に踏まれているように、身体をふたつに折って、そこに伏せになってい
た。
「いや、もとはその切り株に繋がっていたものだからな。その切り株から離れてもらわねば、こ
ちらも方法がないところだった・・・・・・」
「つまり、これが、玄徳が彫っていた広目天の邪鬼なのだな」
「そういうことだ」
「今の咒は何だ?
「大和真言さ」
「大和真言?」
「真言はもともと天竺でできたものなのだが、この真言は、大和の国で造られたものなのだよ。
真言宗の仏師が、四天王を彫る時には、この、庚申の真言を唱えるのだよ」
「そういうことか」
「そういうことだ」
 そう言って、晴明は、ふと、横の切り株に眼をやった。
「ふうむ」
 その切り株に歩み寄り、晴明は、その端の木肌に触れた。
「どうした?」
「博雅よ。これはまだ生きているぞ」
「生きてる?」
「うむ。他の部分は、ほとんど腐れ果てて死んでいるが、この部分だけは、まだ、微かながら生
きている。この下に、よほど強い根があると見える
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
夢枕獏著『陰陽師飛天ノ巻』収録「天邪鬼」より)

 さる1/25。真如苑の地霊系護法善神である笠法稲荷大明神に
新たに真言が制定された旨発表を聞いて思い出したのが上記。
 田中公明氏が教団施設内でオンエアのVTRで、開祖謹刻の
涅槃像をして阿闍梨が自ら尊崇する尊格を自由に選べる事を
阿闍梨の意楽(いぎょう)」と述べていたが、苑主代表が新たな真言を造る事もその一つなのだろう。
 だがこの『天邪鬼』、改めて読んでみると、新たな真言の創造
だけでなく、四天王初版が1995年(つまり丁度20年前=
阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件の年)等、本年の教苑を
意識させるようなモチーフが妙に目に付く。上記引用した中の
強い根地の力を想像させる。


陰陽師 飛天ノ巻

 苑主瑞教を聞きつつこんな事を…、我ながら呆れたものだ。

                              南無真如

2015年3月22日日曜日

真如-その視覚的表現(その2-1)

2015/3/21 真如苑では悠音精舎を本式場として、

春季彼岸会併せて災害犠牲者衷心廻向法要

が厳修された。内々陣の三輪身の前を、護る様に四天王が祀
れている。

『・・・・・・・・・・・・・・・・
  教法発祥の聖地親苑を中心に、応現院悠音精舎総合
 道場としてのトライアングルをなし、利他貢献活動を発信、
 社会との接点、融和推進の「玄関」たる機能を果たします。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・』
(『親苑時報』2012年10月号「今月のご瑞教」より)

と、あるので友心院の四天王奉安もこれと同様なものになるの
だろう。とすれば以前の予想のうち、東寺講堂の立体曼荼羅
近い形になると言う事か。但し、友心院内陣は悠音精舎内陣と
違い、祀られた三輪身の背部に空間的余裕があるので、その分
きっと、色々な相違が出てくるだろう。

 さて前々回、友心院に四天王を祀る意義を

日本の安泰への祈り

ではないかとしたが、ここで思い出したのが金光明最勝王経
奈良時代・聖武天皇の頃から護国経典として尊ばれていた
そうだが、真如苑でも「朝夕のおつとめ」に如来寿量品真如
を説明した部分が読誦用にダイジェストされている。また各地
の教団施設に、天霊系護法善神・八大弁才尊天を奉安する
根拠の一つを金光明最勝王経に置いている事が『一如の道』
に記されている。一連の今秋の護法善神奉安法要において
この経典(といっても『一如の道』掲載分のみだろう)は読誦
されると思われる。

                                南無真如
追記
『・・・・・・・・・・
  ところで、広義の仏教にあって天部の神
 とは「護世天」の意を持つ。そして、世は
 国であり、ここから護国の神の意をも持つ
 が、仏教における「国家観」は国家のキ絆(キハン)
 を超越したところにあるのであり、その場
 合、国はそこにある人々、即ち衆生の意に
 解してよいであろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・』
(『一如の道』教導編・第五章護法善神
 一、真如苑の護法善神・仏教における天部の神々、より抜粋)



2015年3月19日木曜日

真如-その視覚的表現(その3)

 さるH25/3/2、以前著書を紹介した事もある正木晃氏応現院
にてあの世と仏教 霊魂・葬儀・先祖供養」の題で講演をして
いるのを、常楽我浄にてご覧になった方もおられる事と思う。
(直近の再放送はこちら
 実はこの講演、教苑内で発表当初は曼荼羅がテーマだった
応現院食堂棟の告知掲示物が、突然修正されているのを見て、
とても奇異に感じた事を今もはっきり覚えている。本年の寒修行
瑞教にて、苑主代表より真如苑大日如来像について話を聞くに
改めて、先の講演テーマ変更の件が思い出され、正木晃氏が
当初の予定通り曼荼羅をテーマに講演したらどんな内容だった
だろうかと、改めて氏の著作をチェックした中に

ガナ(集団)チャクラ(輪)=人間マンダラ

なる儀礼が紹介されていた。日本の密教は7世紀頃、インドから中国を通じて伝わった中期密教を基として発展したものだが、
その後もインドでは密教は別個に発展を続け、8世紀に性行為
を修行に導入した後期密教が登場する。元々インドではマンダラ
を地面に描く事が密教初期から行われていたが、後期密教の
マンダラには選りによって、墓場で死体の腸によって描かれ、
その上で生身の男女の修行者達が性的ヨーガを中心とする
儀礼を行ずるのだという。これをガナチャクラと言うのだそうだ。

 真におどろおどろしい光景が描写されるのだが、ここでふと
思い出したのが普段真如教徒が通常取組む向上接心。実は
これも『集団』で『輪』を描いて取り組む修行である。接心者は
内側を向いて輪を描いて座り、接心をとる霊能者はその輪の
内側に座り接心者に相対する。霊能者は一人の接心をとると
基本的にはその左隣りの接心者の前に移る。
 修行そのものだけではない。この接心の『輪』に入る為に
待機する接心者も30人程度を1グループとして『輪』と呼ばれ
案内・誘導の際管理されている。この様な修行が下記に引用
したような穏やかな日常的な雰囲気の中行われている。
 この様な一般人がその社会性を喪失せず、日常を通じて
本来峻厳な中に追求されるような悟りを求めていく事ができる
修行が実現した背景には、これまでも教苑において讃迎されて
きた開祖霊祖の苦難の取組み、両童子の抜苦代受は元より、
仏教、そして密教がインドで発祥し現代日本に真如三昧耶流
が生まれるまでの法流血脈が辿ってきた歴史的観点から
いえば、唐・律令国家下における「金胎両部の相承」に始ま
って、恵印三昧耶法の「実修実証」の精神、そしておそらく
最後の要素として、大般涅槃経を以って、総ての人々への
悟りへのインターフェース」と、その総てが

悟りへの到達と社会性の両立

とでも謂うべき一貫性を持っているように思われる。

 この接心の『輪』に入ると言う事は、即、この身このまま、
真如曼荼羅界会の世界に入っている事ではないだろうか。



まるで病院のよう
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  応現院を訪れると、その大きさ、駐車場の広さにまず驚かされるが、全体の雰囲気は大学
キャンパスに近い。ただ、屋根の上に、金の相輪が輝いている点が宗教施設だということを
示している。
 一階の広いロビーに入ってみると、たくさんの信者であふれているが、両側には受付が並ん
でいて、それはまるで病院の受付を思わせる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 何より印象的なのは、そこに非日常的な雰囲気が漂っていない点である。一人一人の信者
がどの程度の頻度で応現院を訪れるのかはわからないが、なかには遠方からやってきた人
たちもいるはずである。その点で、そこは日常の場ではなく、非日常の場であるはずだが、
そうした雰囲気がない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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 日常的な宗教
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そもそも霊能者は特殊な格好をしていないし、入神するのに本尊に向かって印を結び、唱え
言をするだけである。教団では、誰もが霊能者になることができるとしている。霊能者が一人
の信者に相対する時間も三分程度で、霊能者が発する霊言の内容も、教えを再確認したり、
先祖の不幸を聞き出したり、信者の健康状態を確かめるといったものである。霊能者自身、
霊からのことばを仲介しているというよりも、自らの直感にしたがってアドバイスを行っていると
認識している。そして、自らの接心が終わると、信者たちはその場を去っていく。霊能者にし
ても、接心が終われば、入神を解き、やはりその場を退いていく。
 こうした接心は、シャーマニズム的な神憑りというよりも、カウンセリングに近い。初期の
教団では、激しい霊動が起こったこともあったようだが、今ではそうではない。受付の雰囲気
と相まって、まさに応現院はスピリチュアルな病院なのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
島田裕巳著『日本の10大新宗教』9-真如苑 より)

 


マンダラとは何か

追記

 近年、接心のカウンセリングとしての側面のみが重視され
接心において『輪』を作る事の霊的な意味を忘れたかの如き
会座運営がされる事が見受けられる。現代社会に生きる
一般教徒各個人の事情を配慮した結果と感謝に受止める
反面、真如苑の接心修行において『輪』をつくる事の意味を
今一度深める契機になればとこれを著した次第。

                                  南無真如



2015年3月17日火曜日

真如-その視覚的表現(その2)

「早く郷国に帰りて、以って国家に奉り、
 天下に流布して、蒼生の福を増せ。
 然らば即ち四海泰く、万人楽しまん」
                                        (『御請来目録』より)


 ここで本年1/25の寒修行瑞教にて発表のあった、友心院
ついての予定、以下の二点に触れておきたい。

  ①真如苑大日如来安置
 さる3/5に総本部第一精舎にて真如密により入仏開眼された
真如苑大日如来像は、Yushin Annex(旧称:友心院B館)に
移送・安置され、いわゆるギャラリー形式で大日如来像を中心
として真如曼荼羅世界が表現される。4/27にプレオープン。
 広く社会に向け真如曼荼羅界会の世界を明らかにしていく
ものと思われる。暫くは現地も混雑が激しいだろう。落ち着いた
頃レポートしたい。

  ②四天王奉安
 10/18に復建接心道場にて行われる予定の護法善神入魂法要
『呼応』して、友心院に四天王が奉安される。法要の企画として
総本部と友心院の2つの拠処を映像回線等相互中継し、一方の
拠処に修法の導師として苑主代表が、もう一方に鳥飼尚之
ら教務長クラスの教団職員を副導師として派遣し、同時進行で
執行される事が予想される。
 ところで友心院において

四天王はどの様に祀られるのだろうか?

 今まで真如苑において四天王といえば総本部第二精舎や、
応現院菩薩の間等、十一面観世音菩薩の脇侍として祀られる
姿が一般教徒にとって馴染み深いのではないだろうか。(他に
金剛寿命陀羅尼にその姿が見受けられる)しかし今回の発表
では、本年の精進目標

ー親苑の荘厳に 護法の精神で 真如済摂を広げるー

 の元、真如苑地霊系護法善神・笠法稲荷護法善神への独自
の真言制定等、護法善神全体の存在のクローズアップがなさ
れる中、同じ一環で、これまで教苑にない形で四天王自身が
『真如苑の玄関』とも位置づけられる友心院において今までの
様に単なる一菩薩尊格の脇侍としてのみ祀られる事は、少々
考え難い。2つ程のパターンを想像してみる。

 友心院の1F玄関ロビーには他の教団施設には無い、開祖
謹刻の成年の聖徳太子像が祀られており、これを以って
教苑の次のステージの入口象徴としている事から、これと
関連付けた祀り方が考えられる

 もう一点、上記の通り友心院が『真如苑の玄関』である事、
その立地が現代日本の政治や経済の中心・千代田区である事
(これを利用する主たる人の層も推して知る事ができる)、近隣
皇居靖国神社もある事等から、平安初期に空海が、時の
朝廷より給預され、国家鎮護を祈念し、また平安京への密教の
情報発信の拠点とした東寺講堂の立体曼荼羅に倣った宝前
荘厳が実現するのではないか。

真如苑・友心院宝前
 四天王を如何に祀るのか。誤解を恐れずに謂えば四天王寺
の様な聖徳太子を中心とした祈りの場が実現するのか。あるい
は古の真言宗に倣うのか。いずれにしても、四天王を日本の
中心となる土地に祀る事で今まで以上にはっきり見えてくるの
日本の安泰への祈りと観ずる。

                         南無遍照金剛
                         南無上宮太子聖徳皇
                         南無真如
 


2015年3月10日火曜日

真如-その視覚的表現(その1)

密蔵は深玄にして翰墨に載せがたし
 更に図画を仮りて悟らざるに 開示す
                     (『御請来目録』より)




 さる3月5日に発祥第一精舎にて開眼された真如苑大日如来
X線透視図には、この金剛界様式(智拳印を結ぶ)で刻まれた像
の内部に、底部から頭部まで胎蔵の象徴である木製の五輪塔が
立てられている事から、これを苑主代表は

「・・・金剛界・胎蔵界 不二(ふに)
として刻まれた尊像なのでしょう・・・」
(親苑時報2015年3月号『今月のご瑞教』より)

としている。真に大きな宇宙が表現されているのだそうだ。


 真言宗各派の伝統寺院は言うに及ばず、真如苑でも総本部
真澄寺宝前や応現院の明王の間や曼荼羅の間に金胎両部の
曼荼羅が一対祀られている。また教苑の重要な法要の願文や
表白にも

「・・・真如曼荼羅界会一切の聖衆…」

といった文言が見られる。金胎両部不二の世界とは、そして
真如曼荼羅界会とはどの様な世界なのか?。真如三昧耶流の
修法の導師にはどの様に映っているのか?。未だ悟らざる凡夫
の自分には知る由もないと言ってしまえばそれまでなのでこの
問いをこんな形に集約してみる。

真如の仏の世界は視覚的にどう表現される?

 両部不二を一幅に表現した曼荼羅は存在する。真如苑開祖
伊藤真乗が醍醐寺にて修めた二つの法流のうち、当山派には
その独自の世界を象徴した「修験恵印総漫拏攞」が存在する。
 修験道修行大系に、仲田順和真言宗醍醐派宗務総長(
現醍醐寺103世座主倪下)によって、この梵字で構成された
曼荼羅を、伝書によって解読した構成図が掲載されているが、
これを倪下は本書の中で

 この構成を見ると、密教でいうところ
の金胎不二と、修験道の特色、あるいは
修験道の思い、願いとで描き出された大
きな世界であると思う。

と、述べておられる。仮に真如三昧耶流の曼荼羅が描かれる
なら、この総曼荼羅の延長線上にその相がある様に思う。




「・・・・・
 恵印とは何かーを密教的にいえば、智慧の金剛界と慈悲
 の胎蔵界が融合した「金胎不二」の真理に到達する義です。
 開祖はこの不二を一なる「真如」と昂め、真如三昧耶の
 教相事相を確立・・・・・」
(親苑時報2014年10月号『今月のご瑞教』より

と、あるので上記緑色の憶測は全く的外れとも思えない。

                              南無真如