2019年4月22日月曜日

開基八十年 敬老のお祝い(4)~改元秒読み

 日々の務めを第一に、僅かな余暇の合間を縫って、更新の機会を得たのが、空前の10連休GWの直前。改元も秒読みに入ったこの時、結論を急ぎたい。

 話は昨秋に戻る。半蔵門の真澄寺別院・友心院において、駒沢大池上良正教授による講演「施餓鬼と廻向」が行われた。これには、日本は元より、極東の諸地域における死者への供養が、身内からより多くの他者へ、仏教を基底として、元々仏教の中で別の物だった、施餓鬼と盂蘭盆が混然として発展拡大し、最終的に、コミュニティの集団儀礼として確立していった事が述べられている。
 真如苑も立創よりその発展に応じて、多摩川霞ケ浦河口湖、そして現在ではハワイ台湾で水施餓鬼廻向法要・灯籠流しを行うに至っている。

 このシリーズの最初の回で、福祉の現場における問題について指摘した。改めて教書「一如の道」を紐解くと、これに対応するかのような、医療職の誓願を題にとった摂受心院の親教が収録されているが、今日の視点で改めてこれを拝読するに、これは医療職だけでなく、広く福祉の職にある教徒全般にそのみ心を向けられたものであり、廻向というものがどの様な所から通じるか、説かれている。福祉の仕事に廻向に通じる道があると言えよう。特に、高齢者介護においては、人生の最期の時を迎えた利用者に、追善追福の廻向を手向ける大きな機会に恵まれているのではないだろうか。日本は祖霊信仰の国である。

 このシリーズの2回目で、日本の超少子高齢化と、皇室の後継問題はいわば同根であるとの私見を示した。神仏分離の徹底した現状の制度から、古の様に皇室自体が仏教によって徳を積みこの件を解決していく訳にはいかない。

 聖武天皇の大仏造立の詔には『…一枝の草、一把の土を以て像を助け造らんことを情に願う者有らば、恣にこれを聴せ…とある。衰退の一途を辿る日本において、特に過酷な状況に置かれた高齢者介護の現場において、これに関わる一人も多くの職員が、この詔の様に徳を知識として廻向し僅かでも利用者への生前からの追善追福に取組み、やがて最期を迎えた時に独りも多くの徳の在る祖霊を送り出していく事に、日本のスピリチュアルな復興の可能性があると思うのだ。
 
  

                   南無真如

1 件のコメント:

  1. 今週末発表があったが、長年ハワイで行われてきた灯籠流しに本年より「Shinnyo」がタイトルの冒頭に入る事になった。現地ウエブサイトにて確認できる。
    https://www.lanternfloatinghawaii.com/

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